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あなたの職場も「残念な職場」かもしれない。さて、どう「脱却」する? — 河合薫「残念な職場 53の研究が明かすヤバい真実」(PHP新書)

ビジネスパーソンで、企業や官庁での勤務経験のある方には、大なり小なり「職場」というところは「残念」で「面倒なこと」の宝庫であることは衆知のことであると思うのだが、そういう「残念な職場」について取り上げて、改善策、脱却策を探っているのが本書。
 
構成は
 
第1章 無責任な人ほど出世する職場
第2章 現場一流、経営三流の職場
第3章 「女はめんどくさい」と思われている職場
第4章 残業のリスクを知らない職場
第5章 残念な職場を変えるには
 
となっているのだが、それぞれの職場についての論評が、皮肉のスパイスがたっぷり効いていて刺激的である。例えば「無責任な人ほど出世する職場」では、お決まりの「ピーターの法則」はもちろん披瀝されるのだが、そのほかに
 
米国ではその責任感を個人のパーソナリティ特性と明確に位置づけ、「他責型」と「無責型」に分けるのが一般的です。
具体的には、
●他責型は「人を責める」「人のせいにする」タイプ 
●無責型は「自分の関わりを否定する」タイプ  を示します。
米国企業のトップの7割はこのどちらかに属するとされ、・・・
無責任な人たちはたびたび をつきます。しかしながら彼ら彼女らには、「 をついている」という罪悪感がいっさいありません。・・・実際には、嘘を貫き通すことができると、次第に”チーターズハイ”と呼ばれる高揚感に満たされ、どんどん自分が正しいと思い混みようになっていくのです
 
といったことや、「現場一流、経営三流の職場」の
 
「経営者は孤独」とよく言いますが、物理的に孤立していることが問題なのです。孤立してれば孤独だろうし、「孤立してちゃ、経営はできない」のです。  
 
「組織が厳格すぎたり、階層構造的になると、当事者たちは緊急情報に上手く対処できない。NASAのスペースシャトルの失敗はその典型的ケースだ。NASAでは直属の上司・部下の関係を超えて、情報が行き交うことは絶対になかった。すべての管理職は、直属の部下から上がってくる情報だけに頼っていた。  経営幹部は通常の報告を監督する以上の仕事をしなければならない。自ら探し求めなければ手に入らない情報を、手に入れなければならない
 
といったところに、思わず頷いてしまう向きも多いのではないだろうか。
 
当方が思うに、日本企業の隆盛の原因が、長期雇用や、年功序列の人事体系にあったかどうかは議論があるだろうが、少なくとも、それらを批判して颯爽と登場した成果主義やプロフェッショナル人事が、前評判ほどうまくいってないことは間違いない。そのあたりは、特定の組織に劇的に効くものと、多くの組織に汎用的に効くこととがごっちゃに議論されることが問題で、自分の組織が欧米的な文化に馴染む組織とそうでない組織のどちらに属するのかを、きちんと分析することがまず先決のように思えるのである。
 
さらには「「女はめんどくさい」と思われている職場」での
 
皮肉にも〝ファーストシフト(第1の勤務)〟=職場が働きやすい場であればあるほど、〝セカンドシフト(第2の勤務)〟=家庭より職場に魅了され、仕事に没頭することで自分の存在意義を感じていたのです。 「家庭がいちばん」「家族との時間を大切にしたい」と思いながらも、家庭にいるときの息苦しさから逃れたくて、仕事に没頭する。「子どもに悪い」「夫に申し訳ない」と思いながらも、仕事を選ぶ。そんな〝もうひとりの自分〟と葛藤する。まさしく「時間の板挟み状態(Time Bind)」です。
 
そして、家庭に置き去りにされた子どもは、母親の注意をひこうとわざと反抗したり、問題を起こす。そんな子どもとの関係を 繕うための〝サードシフト(第3の勤務)〟に、母親たちはさらに疲弊します。
 
といったあたりには、女性登用の掛け声のもと行われる「職場環境改善」の皮肉な側面を垣間見るし、
 
男性たちは自分たちの集団に女性がひとり入ると、自分たちが〝男〟という同質な集団だったことに気づき、その一枚岩を壊したくない、壊されたくないという思いが無意識に働き、「男性性」をまとった発言や行動をとるようになります
 
といったところに、ジェンダー間の越えられない裂け目を感じるのは当方だけではあるまい。
 
さて、こうした「残念な職場」からの脱却法として
 
どんなに「 17 時退社」を掲げても、業務量を減らさないことには、サービス残業や隠れ(隠し)残業が増えるばかりです。そこで彼に「業務量はどうやって減らしたのか?」と質問しました。  すると返ってきたのはまさしく「成功の法則」です。 「みんなで考えたんです。よく話しましたね。部長も、課長も、リーダーも、チームも、もちろん私も、『こうしたらどうか? これは○○でやればいいんじゃないか?』と意見を出し合い、上手くいくと『早く帰ったら楽だった』『育児もできる』と報告しあったり。上手く仕事を減らせない人には『こうやったらどうだ』とアドバイスしたり。いい方に回転しだしたら、どんどん加速していきました。
 
心理的安全性。互いに敬意を払い、意見を出し合い、「ああ、ここは大丈夫だ。信頼できる場所」という職場にしていくことで、生産性は上がり、 17 時退社が当たり前になったのです。
 
といったところが特効薬的に注目されるあたりは、ちょっと安易かな、と思ってしまうのだが、当方が重要と思うのは、「疲労」をとること、それは従業員の「疲労」であるし、組織の「疲労」でもある。双方の「疲労回復」を図るのが「残念な職場」からの脱却法である、というあたりが筆者の主張ではなかろうか。
 

つい自説に拘ってしまう「あなた」に捧げるアドバイス — 竹内薫「99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方」(光文社新書)

本書の初出が2006年であるので、ほぼ10年前の本なのであるが、国際情勢、国内情勢問わず、今までおそらくは揺らぐのは時間がかかると思っていたことが、ぐらんぐらんと変化する実態に直面すると、改めて、本書の主張の新鮮さを感じる。
 

 

構成は
 

 

プロローグ 飛行機はなぜ飛ぶのか?実はよくわかっていない
第1章 世界は仮説でできている
第2章 自分の頭のなかの仮説に気づく
第3章 仮説は一八〇度くつがえる
第4章 仮説と心理は切ない関係
第5章 「大仮説」はありえる世界
第6章 仮説をはずして考える
第7章 相対的にものごとをみる
エピローグ すべては仮説にはじまり、仮説に終わる
 

 

となっていて、目次でおおよそわかるように
 

 

この世の中に定説はひとつもないのです(P34)

 

常識は仮説にすぎないのです。
プロローグの飛行機の例をみてもわかるように、「科学的根拠」があると思われているものも、案外なにもわかっていなかったりします。
われわれの世界観、われわれが親から教わること、われわれが学校で教わること、そういったものは、すべて仮説にすぎません(P57)
 

 

といったところがまずは要点であるのだが、ここらあたりは、頭ではわかっていても、感情的なところ、根源的なところでは、
 

 

いまある枠組みに都合のいいように、蜥実のほうがねじ曲げられてしまいます。
でも、本人には意図的に事実をねじ曲げたという意識はない。
自覚がないから、自分が特定の仮説にしばられていることにも気づかないのです。

といったところであるので、寄りかかっていたものがひっくり返って初めて、思い知る、といったのが大方のところである。
じゃあ、どうしたらいいんだ、というと
 
常に「仮説」と「グレー」という観点から社会で起きている現象を吟味する癖をつけておくと、かなり結果は変わってくるはずです。(P127)

 

専門家の意見も時代とともに大きく変動するものなのです。
ですから、われわれは、いくら白にみえる仮説でもいつグレーから黒に変わるかわるかわからない、と肝に銘じておくべきなのです。もちろん、その逆も然りです。(P129)
 

 

といった自衛方法が一番確かであるらしいのであるから、ここは、かなり「人を悪く」しておかないといけないものか、身構えてしまうのだが、そうではなくて
 

 

それは、自分の仮説を絶対視せず、他人の仮説をも理解しようとする柔軟な態度にほかなりません。
それは、価値観の相対化といっていいでしょう。
かたく世の中を相対化してみると、それまで自分が採用してきた(頑なな)仮説のもとではまったくみえていなかったことがみえてくることがあるのです。
 

 

といったことで、要は「俺が、俺が」はいい加減にしておけ、といったことと解釈したがどうであろうか。
まあ、何にせよ、自分の説に拘って、キリキリ生きていくよりも、「所詮、仮説の一つだよね」と気楽な気持ちで、肩の力を抜いて物事に取り組んだほうが、良い結果が出るというものかもしれんですね。
 

「JR九州の躍進」は、熱気を持って、基本に忠実に動くことにある — 唐池恒二「新鉄客商売 本気になって何が悪い」(PHP研究所)

前作「鉄客商売」での、本州各社に比べて、経営基盤も脆弱なJR九州の引き続きの、奮闘記。
本書では、JR九州を象徴する「ゆふいんの森」や「ななつ星」のデザイナーである水戸岡氏と筆者とのインタビューも収録されていている。
 
構成は
 
本気にまえがき
上場までの道のり① 逆境と屈辱
上場までの道のり② グッドデザイン イズ グッドビジネス
会社人生をまるっと変えた四ヶ月 丸井学校への入学
玄界灘 波高し① たからもののの社員たち
玄界灘 波高し② ケンチャナヨ課長
「外食王」への道 第二幕① レストランはメーカーである
「外食王」への道 第二幕② 上・京・物・語
「外食王」への道 第二幕③ 最高の大家さん
「南九州観光調査開発委員会」のこと① 会議は走る
「南九州観光調査開発委員会」のこと㉜ なんとなくカツオではダメなのだ
「エル・ブリ」に学んだこと 世界一をめざすがゆえに
上場までの道のり③ これが本気の人事だ
農業を始めた 動物記
或る仕事論 競争は力なり
きっかけは「日本一の朝ごはん」 日本一のたまご
宮崎・飫肥という理想形 まちの三題噺
その気にさせる力① いつでも最新の夢を
その気にさせる力② 本気を伝える戦略
本気の学び
 
となっていて、前作では、国鉄かたJRへの切り替えの頃から「ななつ星)誕生までの間の、福岡〜釜山間の高速船就航の誕生話やJR九州外食事業部の居酒屋「驛亭」やカレー店の「印度屋」が人気店になっていくまでのいわば成功物語、成り上がり物語が多くを占めていたのだが、本書で当方的に印象に残ったのは、JR九州の上場や「ななつ星」のところではなくて、フードサービス部門がいつの間にか
 
一本五円のコスト削減を成し得たわけだが、それ以上に失ったものは大きかった。来店客数が減少し、「手づくり」を行なっていた時期と比べると、売り上げそのものが二割から三割ほど落ち込んでいた。
 
といった風に、本社の指示によるコスト削減の美名のもとに、売上が激減していたものを
 
メーカーは、仕入れた原材料を自らの手で加工したり組み合わせたりして付加価値の高い商品をつくり出す。小売業は、出来上がった商品を仕入れ、ほとんど手を加えずに仕入れたままの状態で販売することを業とする。  そして外食業は、仕入れた食材を調理という加工を施し料理という付加価値の高い商品をお客さまに提供する。だから、外食業はメーカーのひとつとして分類される。小売業とは違う。
 
といった信念から、「手作り」の基本を取り戻して再生させるところが結構、泣かせどころなのだが、「管理部門」が口を出して「角を矯めて・・・」ということになるのは、どこの組織も同じなのであるな、とちょっと悲しくなる。
 
さて、未だ勢いの衰えないJR九州の、しかも、その躍進の原動力となった人物の回顧談であるので、少々、熱が熱すぎるところはあるが
 
一方で、 ひとつの夢がかなうということは、その夢が夢でなくなるということ。  次なる夢を描かなければ組織は停滞 してしまう。夢があるから、組織や人は進むべき方向を見失わない。 方向が見えていると「気」が満ち 溢れてくる ようになる。逆に、夢がなくなると「気」も集まってこない
 
と「前へ、前へ」と組織を動かしていく力には学ぶべきところ多数である。
特に「熱気あふれるビジネス書」を久々に読みたくなった向きにオススメでありますな。
 

天才浮世絵師「北斎」の娘「阿栄」がよい働きをいたします — 山本巧次「大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう 北斎に聞いてみろ」(宝島社文庫)

シリーズも4作目となると、現代の東京での分析ラボの連中とか、江戸時代での、なかなか最後の関係まで行かない伝三郎を始めとする南町奉行所の面々とか、登場人物も設定も落ち着いてくる反面、マンネリ感が出てくるのだが、今回は、サブキャストに工夫して、それを防いでいる。
 
構成は
 
第1章 青山の贋絵
第2章 六間堀の絵師
第3章 神田の廃物問屋
第4章 本所のクリスマス
 
となっていて、大筋のところは、新美術館の目玉商品である北斎の肉筆画の真贋を鑑定する話なのだが、すでにその作品が、新美術舘の目玉として宣伝されているので、ここで「贋物」となると大騒ぎに、といった事情を抱えての真贋認定である。
 
真贋騒動の発端は、郷土史家から古文書が出て、その文書には、「鶴仙堂永吉」という当時の絵双紙屋の名で「その絵は、貞芳という絵師が自分の描いたものを北斎の贋の落款を入れてすり替えたものを自分が、贋物と気づかず中野屋という大店に売ってしまった。今回、本物の絵を八方手をつくして探し出したので、あなたに本物を売ります」と書いてある。新美術館の所蔵するのは、その「中野屋」所蔵のものだったからさあ大変、という始まり。
 
もちろん、「おゆう」こと北村優佳に絵の真贋が鑑定できるはずがないから、「江戸」へのタイムスリップと江戸での人脈をフル活用してのお仕事である。
ただ、ここで「真贋騒動」とは違った方向にいくのは、絵の作者である北斎当人が中野屋所蔵の絵は自分の描いた本物を証言し、真贋騒動は結論が出るのだが、それを、現代にいる依頼者にどう説明・信用させるか、が新たな難題になる。
 
そこで、「おゆう」は、贋物だ、という文書を書いた「鶴仙堂」に接触するが、黒幕に、唐物屋の「梅屋」とか「西海屋」といった、長崎由来の品を扱う商人の大物も現れてくる。彼女が操作しているうちに、「鶴仙屋」や偽絵を描いたらしい貞芳の娘絵師も殺され・・、といったのが大筋の展開。
 
今回は、江戸の「大物」(オランダのカピタン)はでてくるものの、あくまで原因をつくった人物としての登場で、本作の重要な狂言回しは、途中、「おゆう」に殺人の疑いがかかったり、伝三郎たちの「おゆう」への不信感の払拭するのにいい働きをする、北斎の娘「阿栄」であることは間違いない。
しかも、彼女自身が絵師であるので、当時の浮世絵をめぐる世界を垣間見ることができて、珍しく「江戸趣味」を感じることが出来た。
 
さて、巻きを進めるにつれ、「おゆう」と「伝三郎」の関係はどこまで進展するのか、という別の楽しみもでてきた。現代の技術を使って「江戸」の事件を解決する、変わり種の「捕物帳」をお楽しみあれ。
 

Kindleで「50%OFF以上、歴代日替わりセールベストセラー」を実施中なので気になるビジネス本をピップアップ

少々、シゴトが立て込んでいてエントリーできずにいたら、期限が迫ってきたので、あわててエントリー。7月17日まで、「50%OFF以上、歴代日替わりセールベストセラー」が実施中である。

気になるビジネス本は、まずは英国人のアナリストで、小西工芸の代表でもある、デビット・アトキンソンの「新・観光立国論」「国宝消滅」がリリース。文化財観光という新しいアプローチに脚光を当てた魁として、おさえておくべき。

 

オーソドクスなところでは、大前研一の「企業参謀」。初出はかなり古いが、いまだに定番となっているのは流石である。

 

このほか、仕事術では、「イシューからはじめよ」「どんな業界でも記録的成果を出す人の仕事術」がリリース。

 

さらには、読書術として外せない、佐藤優・池上彰の「僕らが毎日やっている最強の読み方ー新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の習慣」、佐藤優の「読書の技法」がリリース。読書の仕方は自由といえば自由なのだが、効率的な情報収集の仕方は結構、気になりますね。

「鳥」に続いて「魚」についての諸星ワールド — 諸星大二郎「私家版魚類図譜」(講談社)

私版鳥類図譜に続いての、魚類版である。
収録は、
 
第1尾 深海人魚姫
第2尾 鮫人
第3尾 魚が来た
第4尾 魚の学校
第5尾 魚の夢を見る男
第6尾 深海に還る
第7尾 ネタウナギ
 
となっていて、第1話目「深海人魚姫」の深海に住む人魚の娘が、深海探査の訪れた潜水艇の調査員の青年に惹かれて、深海から海面まで、ダイオウイカの妨害や貧酸素層を乗り越えて浮上する話と、第6話目「深海に還る」の、浮上後、人間界で水族館関係の売れっ子となった後、再び、深海へ帰還する(ような)オチにいたる話の合間に、諸星ワールドらしい掌編が挟まる構成である。
本筋となる、第1話と第6話は、美少女が、肉親のエピソードに導かれるように、今まで過ごしていた世界から飛び出して、新しい未知の世界へ行き、そこでさまざまな経験をするが、再び故郷へ還る。しかし、その故郷はすでに荒れ果てていて、といった展開で、これは、構造的には「暗黒神話」や「孔子暗黒伝」などのs初期のシリーズから共通のものであるよね。
 
当方的に懐かしい「諸星ワールド」、と思うのは「鮫人」。中国の宋代に皇帝の命をうけて南海の探査に来た将軍が、女だけの住む島に難破してからの不思議譚で、諸星氏の諸怪志異をはじめとする怪異譚のジャンルの風合いが懐かしい。
 
あとがきによれば、鳥、魚と続いたが、これを拡大して、植物やほかの動物の図譜を、描く予定はないらしい。図譜は当面、ここで打ち止めであるようだ。諸星ワールドに郷愁のある方には残念ではあるが、しばし、幻想色豊かな世界に浸ってみてはいかがでありましょうか。

「デキる」(と言われている)人への、辛口アドバイス — 小倉 広「自分でやった方が早い病」(星海社新書)

ヤリ手と言われる人ほど、部下のやっていることが、要領が悪く見えるという悪癖を抱えがちで、つい口出しをして冷たい目でみられたり、部下から仕事をとりあげたり、といったことをやりがちなもの。
そうした「デキる」(と言われている)上司へのアドバイスが本書。
 
構成は
 
はじめに 「自分でやった方が早い」という病の恐ろしさ
第1章 病が進行すると「孤独な成功者」になる
第2章 病を克服すると「幸せな成功者」になれる
第3章 病の根本にある「自分さえよければ」という考え方
第4章 「自分でやった方が早い病」への処方箋
第5章 「自分でやった方が早い病」が再発しないために
おわりに 「自分でやった方が早い」の正体は「自分でやった方が遅い」
 
となっていて、本書によれば
 
この病にかかっている人は、平気でまわりの人の悪口を言います。まるで自分は違うと訴えたいかのように、堂々と言います。嬉しそうに、ドヤ顔で言う人もいます。
しかし、勘違いしてはいけないのは、まわりの人のレベルは自分のレベルだということ。自分のレベルが高くて、まわりのレベルが低いと思っていること自体が勘違いです。優秀な人が集まって来ないのは、あなたが優秀なリーダー的存在ではないからです。ろくでもない部下しか集まって来ないのは、あなたがろくでもないリーダーだからです。
 
ということらしく、「自分でやったことがはやい。」と思いだしてそれを喧伝し始めたら、要注意というところであるらしい。そういわれれば、「自分がやったほうが・・・」という口癖の「デキる人」というのは、当方の周囲で幾人か見受けられるのだが、総じて本人が優秀でも、徐々に干からびたりしてしまうことが多くて、そこは、その人の周囲に「人」が集まらなくなり、「人」からもたらせられる情報も枯渇し、「人」の援助や応援も少なくなるからであるようだ。
 
そして、チーム全体のパフォーマンスを考えると、一人のプレイヤーのパフォーマンスがいかに高くても、チーム全体が力をつけている場合に比べると、どうしても持続力や永続性の面で劣る場合が多く
 
一人の百歩よりも、百人の一歩のほうが、両輪がうまく回る仕組みになっていると言えます。
外部環境適応で言えば、百人が一歩を踏み出しているのですから、変化の激しい外部環境に適合しているでしょう。
 
といった状態をつくることが、組織全体にとって最適解であるようだ。
とはいうものの、今まで「デキる」と言われてきた人が「人に任せる」という境地になり行動を示すのは、そう簡単ではなく
 
「自分でやった方が早い病」を克服して、まわりの人と成長していくことに決めたあなたは、もう「エースピッチャー」ではありません。
昔の快感が忘れられずに、いつまでもマウンドに登り続けていれば、若手のピッチャーが成長しません。
若手の活躍できるチャンスをみすみす奪っていることに他ならないのです
 
「我慢」が必要なのです。
一時的にトラブルが多発しても、子どものことを信じて待つしかありません。40%のパワーで我慢していれば、いずれ子どもは少しずつ変わっていきます。
本当に徐々にではありますが、プラスに向かっていくのです。
 
といった風に、今まで自分のパフォーマンスを挙げてきた手法とは、視点の異なる手法が必要となるようだ。そして、さらには
 
会社の中は、ビギナーコースです。
つまり、任せるけれど、すべて見ているし、細かくチェックもする。
一挙手一投足を眺めて、脇からハラハラしながら見守る必要があます。
いざとなればすぐに助けを出せる態勢を整えておくわけです。
 
まわりの人や部下に仕事を任せると楽になる。
そう勘違いしている人も多いのですが、それはまわりの人が一人前だったり、部下が立派に成長してからの話です。
最初は、必ず仕事量が増えるので、任せた本人の負担も大きくなります。
 
ということらしいので、「人に任す」というのもスムーズにやるのは、結構骨が折れるものである。
 
ただまあ、
 
伸びている会社の社長さんには共通点があります。「忙しい」と言わない。また、いつも余裕があって、ニコニコしている、ということです。
伸びている会社ほど仕事は多いはずなのに、そのトップである社長が余裕の表情を浮かべている。この謎ももちろん「自分でやった方が早い病」が絡んでいます。伸びている会社のリーダー、マネージャーはきちんと任せることができているのです。
 
ということであるので、「自分でやった方が早い病」の克服は、成長を目指す「個人」や「企業)に必須のようだ。本書を読んで、治療をがんばってはいかがでありましょうか。
 

「新しいこと」を始めるには、良い意味で「鈍感」になることが大事

最近読んだ「社長の「まわり」の仕事術」の「サニーサイドアップ」のところで、「良いな」と思ったフレーズがある。それは
 

 

これはどんな組織でもあると思いますが、何か取り組みを進めると懐疑的だったり、否定的なことを言われたりすることもありますよね。そういうときに、直接受け止めると、疲れるし辛いわけです」
  だから、絶対にいいものだ、本気でやるべきだ、と判断したものに関しては、〝鈍感〟になることにしている。
(略)
「それは、本当に鈍いんじゃなくて、自分を鈍く仕上げていくということです。それで丸く収まることがすごくたくさんある。全部にいきり立って、こうあるべき、こうじゃないか、というスタイルもあるのかもしれませんが、そうではないポジションを取るべきだな、と思っています。」
というもので、新しいものに常にチャレンジしている同社の中枢にいる人らしい発言である。
とかく、目新しいことや、今までのやり方を変えようとすると、有形無形の抵抗に遭うのは、どこの組織でもあることで、ともすると、そういった内部の抵抗を打ち破ることのほうが、新規事業をやることより難しい場合すらある。
とりわけ、その抵抗は「客観性」などといったもっともらしい衣をまとってやてくるから、その撃破に結構力がいって、どうかすると面倒になって、新規プロジェクトをやる気が失せて、プロジェクト自体が雲散霧消してしまうことすらある。
そういう時に、この「鈍感になる」というアドバイスはとても有益である。そして、この「鈍感になる」ということは、けして、「抵抗を無視する」、「傍若無人に振る舞う」ということを意味しているのではなくて、プロジェクトの欠陥の指摘については謙虚に受け止めつつ、漠然とした不安感や、新規なものの考案者に対する嫉妬については、キレイに無視する、といった感じで捉えるべきであろう。
「客観的に分析すると」や「現実を直視すると」といった、新規プロジェクトに対する批判は、「主観的で」「個人的な思い込みと夢想」に根ざしていることがよくあるもの。いつも明晰であるよりも、適度に「曇って」いて、「鈍い」ことが、突破力をつけるには大事なように思えてきますね。
 

学歴による強固な「ガラスの床と天井」が、日本にもたらす影響は何か — 吉川徹「日本の分断 切り離される非大卒若者たち」(光文社新書)

世代論というのは、年を取った世代から、若い世代へ向けての評価ないし、レッテル貼りという仕掛けのようで、たいてい、好意的な評価はくだされないのが通例である。ただ、そうした場合の大前提も、意識の面で同じ共同体にいることでなのだが、そうした「意識面」において日本の世代間の分断、しかも学歴をキーにする分断がおきつつあるのでは、と提起するのが本書。
 
構成は
 
第1章 忍び寄る次の時代
第2章 現役世代の再発見
第3章 学歴分断社会
第4章 人生の分断
第5章 分断される「社会の心」
第6章 共生社会に向かって
 
となっていて、実はこうした「分断」の状況を作りつつあるのが
 
昨今の若者文化のよどみの背後には、団塊世代が主導した、20世紀近代のわかりやすく力強い文化現象が過去のものになりつつあることがあるのです。・・この現象は「若者の団塊離れ」と意味づけることができるかもしれません(P34)
 
ということを背景に、大学進学率も50%ぐらいで頭打ちという状況の中で
 
大卒層と非大卒層には、就いている職種や産業、管理職への昇進のチャンス、仕事を失うリスクの大きさ、求職時の有利・不利、そして賃金において明らかな格差があります。さらにものの考え方や行動様式も異なり、友人関係や恋愛や結婚においても同じ学歴同士の結びつきが強く、日常生活においても異なる学歴の人と接する機会が少ないなどの傾向があります。
加えて、大卒学歴をもつ父母は大学進学を望み、両親が非大卒であると、子どもの大学進学率が低いという傾向があるため、ひとたび成立した学歴分断の傾向は、世代を超えた慣性をもちはじめます(P94)
 
という「学歴」による世代間を超えた「分断」「乖離」が生じ始めているという啓示は、日本社会の今後の行く末に大きく影響しそうな気配を感じる。
というのも、同じ社会の中に、ほとんど交わる、あるいは溶け合う部分を持たない層、グループを持ち、それが継続するということは、今、階級差の厳しい国(欧米も例外ではないよね)におけるような騒乱、事件の種子となることはもちろん、戦後、我が国の安全な経済発展を支えてきた、国民の同質性意識を根底から崩す萌芽ともなるかな、とも思えるのである。
 
そして、その分断される中心が
 
分析を進めるうちに姿を現してきたのは、若年非大卒男女がおかれている生活状況の厳しさです。
ただし若年非大卒女性は、若年層のなかでは既婚者が最も多く、次世代を生み育てるということにかんして、他の人びとでは担うことのできない重要な貢献をしています。・・・彼女たちのなかに貧困と隣合わせの水準で暮らしている、リスクの大きい社会的弱者が数多く含まれていることを、わたしたちはすでに知っています。それゆえに彼女たちには、行政を中心にさまざまな支援の手が差し伸べられています。(P214)
 
しかし、若年非大卒男性のほうはどうかといえば、彼らについては、気力や体力があり、自由を謳歌している人たちだとみなされていて、その人生・生活に考慮すべき困難があるとは、一般には考えられていません。
けれども、実情はそうではありません。(P215)
 
という筆者の仮設が間違いなければ、最近のさまざまな事件の数々も、こうした「分断」が根っこにあるのでは、と邪推してしまう。
 
筆者の分析によれば、現代日本の各世代のプロフィールは、
 
・壮年大卒男性・・・20世紀型の勝ちパターン
・壮年非大卒男性・・・貢献に見合う居場所
・壮年大卒女性・・・ゆとりある生き方選び
・壮年非大卒女性・・・かつての弾けた女子たちは目立たない多数派に
・若年大卒女性・・・多様な人生選択、都市部で最多数派
・若年非大卒女性・・・不安定な足場、大切な役割
・若年大卒男性・・・絆の少ない自立層
・若年非大卒男性・・・不利な境遇、長いこの先の道のり (P155〜)
 
ということになるらしく、「学歴」による固定化をさけるため、筆者は「軽学歴」といった新たな概念をつくることを提唱している。「高度人材の育成」「高度プロフェッショナルの育成」といった側面でなく、それぞれが、きちんと居場所と力の振るう所を作り上げることを目的とする政策議論が必要なのかもしれんですね。
 

「錠前師」と「富くじ」の因果な関係 — 山本巧次「八丁堀のおゆう 千両富くじ根津の夢」(宝島社)

江戸と現代の東京を、祖母が残した家の押入れの奥の階段を使って行き来して暮らしている、現代の東京では失業OL、江戸では女十手持ちの、関口優佳こと「おゆう」さんの推理シリーズの第三段。
 
今回の構成は
 
第一章 本石町の蔵破り
第二章 根津の千両富
第三章 蔵前の活劇
第四章 板橋の秋日和
 
となっていて、「富くじ」をめぐる事件の謎解きである。
 
もともとの発端は、女とどこかに消えてしまった金細工師・猪之吉の行方を、細工師の女房から頼まれるところからスタート。
もっとも、その依頼とは関係なく、最初の事件は、「蔵破り」。しかもその手口が、七年前に、その見事な手口で世間をを騒がせながら、忽然と姿を消した、有名な盗賊・疾風の文蔵の仕業に似ている、ということで、当時、その盗賊を捜査していたベテランの岡っ引き・茂三や、強請などで庶民から金を搾り取っている悪徳十手持ちの長次とかいう輩も登場してきて、結構賑やかに始まる。
 
その後、最初の「天城屋」の蔵破りに始まって、骨董屋の木島屋と蔵破りが続くのだが、どうもその蔵の錠前を開けたのが、猪之吉らしいといった風で、最初の依頼事に結びついていく。さらには、猪之吉は失踪前に家に「富くじ」を残しているとともに、猪之吉は10年ほど前に、さる寺の富くじの掛け金を修理したことがあるらしく、彼の失踪も「富くじ」に関係しているようなのだが、なんとも霧の中といった具合である。
 
そして、この蔵破りの事件と並行して、「富くじ」系では、明昌院という寺がかなり大規模な「富くじ」を始める。ここの住職の「玄璋」は貧乏な小寺の住職から明昌院の住職に出世し、さらに上の門跡寺院を目指しているらしいのだが・・という噂の強欲坊主。しかも、この坊主は、前述の悪徳十手持ちの長次と関わりがあるらしく、おゆうの想い人の同心・伝三郎とと配下の源七が監視を強める最中、その長次が変死を遂げる。
 
さて、蔵破りの事件と、富くじと長次の変死は、どう結びつくのであろうか・・・、というところで、七年前の「疾風の文蔵」一味が姿を消した本当の理由へと突き当たってくる展開である。
 
ネタバレ的に付け加えると、「玄璋」を捕まえる際の、寺社奉行所と町奉行所の網の張り方と、盤の詰め方は結構、読みどころでありますし、この寺社奉行が、後の老中・水野忠邦で、「富くじ」を禁止した張本人というのも、結構凝った設定でありますね。
 
本書では、優佳の祖母の江戸生活の話も聞くことが出来て、このシリーズ、だんだんと円熟味が増してきましたね。