月別アーカイブ: 2017年1月

本屋のホームズとワトソン、書店営業と出会う — 大崎 梢「ようこそ授賞式の夕べに」(東京創元社)

成風堂書店シリーズの第3弾。今回は、書店大賞(本屋大賞のもじり、だよね)の受賞をめぐり、怪文書が届き、それをマスコミが嗅ぎつけ、本屋大賞の実施が  というストーリー立て。

本屋大賞当日の7時40分に始まり、20時30分に事件の解決をみる、という実質 13時間ぐらいの話であるので慌ただしいこと極まりないが、テンポよく進行するのと、「邂逅編」とあるように成風堂の杏子、多絵と書店営業のひつじくんたちが事件の解決に向かって、半ば共同作業をするという新味があって、最後までぐいぐいと読ませる。

話の大筋は、書店大賞の実行委員に、今の書店大賞は創設時の趣旨を損なっているといった趣旨のファックスが届くあたりから開始する。

ところが、その差し出しの「飛梅書店」は数年前に店主が急死して店をたたんだ書店で今はない。さて、誰がどんな目的で・・・といったところで、成風堂のメンバーと書店営業のメンバーがそれぞれに捜査を開始し、やがて真実に向かって大集合する、といったところ。

主筋は、誰が何の目的で本屋大賞の妨害をするのか、といったことなのだが、それとは別に、昨今の出版業界の様子であるとか、書店の経営の厳しさなどなど、「本」の業界の裏話的なことが随所にでてくるのが興味深い。

ちょっと楽屋落ちっぽいところがないではないのだが、成風堂シリーズ、書店営業マンシリーズどちらの読者にもおすすめでありますな。

書店業界・出版業界の裏話もまた興味深い — 大崎 梢「背表紙は歌う」(創元推理文庫)

中小出版社の明林書房の営業の「ひつじ」くんこと井辻智紀くんの書店シリーズの第2弾。

収録は

「ビターな挑戦者」

「新刊ナイト」

「背表紙は歌う」

「君と僕の待機会」

「プロモーション・クイズ」

の5編。

さて、ネタバレすれすれのレビューをば。

「ビターな挑戦者」はひつじくんが、大手取次店の横柄な大越こと「デビル大越」に出会うところからスタート。彼は社内外問わず横柄で傲慢で有名なのだが、どういうわけか書店の評判は良いという謎とき。最近の出版不況というか、本離れのご時世で経営の厳しい書店の哀歌が垣間見えるお話

「新刊ナイト」は、新人作家のサイン会にまつわる話。人前に出たがらない作家さんがようやくOKしたサイン会とトークショーなのだが、サイン会の最後の書店で、その作家の高校の同級生という書店員にひつじくんが出会う。ところが、この作家さんの評判の最新作は、高校時代を舞台にした自叙伝っぽくて、しかも、その高校の同級生や教師は性格の最悪なやつらの話ばかり。その書店員はサイン会でぜひ会いたいと言っているのだが、間違うとサイン会・トークショーがドタキャンになる、さて・・、というお話。まあ、大団円ではあるのだが、ひつじくんのお手柄ではないよな

表題作の「背表紙は歌う」は新潟の地方書店(シマダ書店という名になっている)の経営危機をどう救うか、というもの。智紀のジオラマの師匠で、今回彼に相談をもちかける、フリーの書店営業の久保田さんは、この書店の経営者の元配偶者。経営の危機の原因は地方の素封家で文化人の有力者と書店経営者の喧嘩が素らしいのだが、どうやら、前妻の久保田さんのことも関係しているような、していないような、といったところで、今回は、遠隔捜査役として、智記の同業他社の書店営業の真柴氏がよい働きをしてくれる。地方出版と地方文化の関係は切っても切れないのだが、この間にもグローバリズムの盈虚ぷがでてるのかも、と思わせるエピソードが挟まる。

「君と僕の待機会」は東々賞という文学賞にまつわる話。この賞が出来レースだ、という噂が流れ、エントリーされている作者の事態騒ぎまで出そうな風情。これはマズイと、書店営業の面々が謎解きに乗り出す、というもの。

最後の「プロモーション・クイズ」は新刊につけられる、書店員のコメントにまつわる話。コメントにこめられた謎と書中にでてくる「なぞなぞ」との二重の謎解きがでてくるのだが、この話で、別のシリーズでおなじみの成風堂の名探偵が謎解きに参加する。

これは「授賞式の夕べに」の布石でもあるかな。

当方、電子書籍はであるとともに自炊派でもあるので、書店や出版社を含め「本」というものに関連する業界には思う所いろいろあるのだが、まあ、「本」一つの産業であり文化であることは間違いない。そして、産業であるから、様々な内輪話とかトリビアとかがあって、そうしたことも楽しみの一つになるのは間違いない。業界ネタ満載の明るい名ステリーとして楽しめるものでありますな。

かなり辛口のアングロサクソン流「文化財論」 — デービッド・アトキンソン「国宝消滅ーイギリス人アナリストが警告する「文化」と「経済」の危機」

「新観光立国論」で一般の人や地方の観光関係者にも超有名となったアトキンソン氏による「文化財」論。

構成は

はじめにーなぜ今、「文化財の大転換」が必要なのか

第1章 経済から見た「文化財」が変わらなくてはいけない必要性

第2章 文化財で「若者の日本文化離れ」を食い止める方法

第3章 文化財行政を大転換するため、まず「意識」を変える

第4章 文化財指定の「幅」が狭い

第5章 文化財の入場料は高いか安いか

第6章 文化財の予算75億円は高いか安いか

第7章 職人文化の崩壊

第8章 なぜ日本の「伝統文化」は衰退していくのか

第9章 補助金で支えるのは「職人」か「社長」か

となっていて、最初の第1章~第2章と「おわりに」のあたりは、他の著作でも共通の主張である、「人口減少時代に日本の繁栄は観光立国化がキー」「日本は文化財で観光立国するべき」、しかし、「日本人の生活から日本文化が消えているのでなんとかしないと」「日本の特有性の多くは幻想」といったところなので、前著の読者にはおなじみであろう。

本書で前著あたりとちょっと違った論調があるのは、第5章から第9章あたりの、文化財の拝観料や「職人の育成」といったところで、例えば

拝観料が安いということは、ユーザーメリットがあるように思われますが、むしろ文化財に関わる人たちにとっての恩恵のほうが大きいのです。一見消費者主義に見えますが、実はこれは供給者主義的な考え方だと思います。

入場料を挙げたくないと強弁するのは、利用者のことを考えてのことではなく、今の価格設定がサービスをしなくてもよい最低ラインだからではないか、と思えます。それ以上に高くして、たとえば600円を1500円なりに挙げてしまうと、余計な仕事が増えてしまいます。「入場料を上げるな」というのは、「余計な仕事をしたくない」という言葉の言い換えではないか、と真剣に考えています。

とか

今は時代が変わってしまいました。家庭や地域から伝統工法を使った仕事が消えると、職人が生きる道は文化財しかないのです。

そこではやはり、発想を変えないといけません。職人の技術が消えないようにするためには、文化財の補修だけで職人を1年中養えるだけの仕事を、文化財行政が要ししないといけません。

といった感じで一読すると、職人文化の衰退を単純に憂いているようではあるが、いやいやアングロサクソンの辛口は侮ってはいけなくて

「プロ」と呼ばれる仕事ならば、一人前になるのに時間がかかるのが当たり前であって、何も職人だけが特別なわけではない、ということがいいたいのです。・・・全体的に見れば「職人」だからといって何か特別なわけではなく、他の産業と同様の人材育成上の問題を抱えているのです。

職人側もまだまだすべき「努力」があるということであり、それを阻害しているのが、職人だけは他の職業や産業で当たり前のように行われていることをやらなくていいという「特権意識」であり、さらにそのような勘違いを助長しているのが(職人が少ない」「職人は一人前になるのに10年かかる」というステレオタイプの職人イメージだと言うことです

と一般的に言われる「職人文化擁護論」では手厳しくて

伝統技術の世界ではこれまで申し上げてきたように、個人経営の「家業」なので、合併や買収は簡単には起きません。みな経営が苦しくても、息子や娘が跡を継いで、完全に事業が続けられなくなるまで、最後の最後まで歯を食いしばって頑張ります。そのなかで、家族ではない第三者の職人がいれば、簡単に首を切って中国人に外注します。職人が経営者を助けるための犠牲になるという、きわめて非効率的な事態が起きるのです。

私にとって、守るべきものは「職人」です。日本の職人が行う「ほんまもん」の伝統技術を残すのであれば、分業制という生産ラインを見直さなくてはならない

宣伝をして余計な仕事は増やしたくないという思いが強くなると、やがて自分は日本の文化を守っている特別な存在だという「驕り」が生まれます。しかし、それで食えないとなると、税金で支えられるのが当然だという「勘違い」が始まります

と、職人の世界もきちんとビジネスということを考えろよ、とかなり辛口の結論に至ってしまうのだが、さて、これを耳障りと思うか、うむうむと思うかはそれぞれが立脚するスタンスでの違いがでるということか。

黒船効果ではありますが、こういった辛いものを戴くと、しゃっきりしますな

100年長寿社会の陽の側面 — リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット「LIFE SHIFT – 100年時代の人生戦略」(東洋経済新報社)

「高齢者」の定義を”75歳以上”にしようといった、年金支給開始年齢の引き上げ云々を疑われるような話題もでてはいるのだが、日本の”国民年金”といった制度とは無縁のアメリカで出たビジネス書であるゆえ、ここは先進国での長寿化に対応した、人生設計の見直しとそれにあわせた労働環境についての純粋な提言書として読んでおこう。

ただ、アメリカも、例えば企業年金であるとか老後資金の備えについては、日本と共通の問題でもあり、これから急激な労働人口の減少と高齢化の進展に直面する日本、そして我々にとっては特に切実な問題といっていい。

構成は

序章 100年ライフ

第1章 長い生涯ー長寿という贈り物

第2章 過去の資金計画ー教育・仕事・引退モデルの崩壊

第3章 雇用の未来ー機械化・AI後の働き方

第4章 見えない「資産」ーお金に換算できないもの

第5章 新しいシナリオー可能性を広げる

第6章 新しいステージー選択肢の多様化

第7章 新しいお金の考え方ー必要な資金をどう得るか

第8章 新しい時間の使い方ー自分のリ・クリエーションへ

第9章 未来の人間関係ー私生活はこう変わる

終章 変革への課題

となっていて、1945年、1971年、1998年生まれの世代の比較を行いながら、100年のライフステージ下における「職業生活」「資金計画」「人間関係の構築」について語られている。

事の発端は、21歳ぐらいで教育期間を終え、60歳ぐらいまで働いて引退し、70歳で世を去るという1945年生まれの世代の「3ステージの人生」が、1971年生まれの、85歳ぐらいまで生きる世代、1998年生まれの100歳ぐらいまで生きる世代では、公的年金の運営困難による老後資金の調達難から、長い間働かざるをえなくなり、さらには医学の進歩により、健康に過ごせる期間が長くなることにより夫婦・親子・友人といった人間関係の変化も、といったことにある。

どうも、今回の著作は前著の「ワーク・シフト」よりは歯切れがわるく感じる。というのも、ワーク・シフトの中では好意的に捉えられていた技術の進化がAIの登場により、「コンピュータの処理能力が高まれば高まるほど、雇用の空洞化は加速する。高スキルの労働者も、テクノロジーに補完されるのではなく、代替され始める」といったむしろ負の影響も持ち始め、

テクノロジーによって消滅しない職に就きたいのなら、次の2つのカテゴリーから職を探すべきだ。一つは、人間が「絶対優位」をもっている仕事、もう一つは、人間が「比較優位」をもっている仕事

であり、

長い間働くジェーンは、生涯を通じてより多くの変化を経験し、より多くの不確実性に直面する。そこでジェーンに必要になるのは、もっと柔軟性をもって、将来に宝庫言うてんかんと再投資をおこなう覚悟をもっておくことだ

といった「不確実性」の幅が増していることにあるようだ。

ただ、まあ、こうした未来に関して不確実で不安の多い課題について、アメリカ人の著作らしく希望の光が垣間見える処方箋を見せてくれるところで、本書では「エクスプローラー」「インディペンデント・プロデューサー」「ポートフォリオ・ワーカー」のステージが提案されていて。

「エクスプローラー」とは

エクスプローラーは、一箇所に腰を落ち着けるのではなく、身軽に、そして敏捷に動き続ける。身軽でいるために、金銭面の制約は最小限に抑える。このステージは発見の日々だ。旅をすることにより世界について新しい発見をし、あわせて自分についても新しい発見をする

あらかじめ1年と決められたギャップイヤーとは違う。それはもっと長期間続く人生のステージだ。

エクスプローラーとして生きるのに年齢は関係ないが、多くの人にとって、このステージを生きるのにとりわけ適した時期が三つある。それは18~30歳ぐらいの間、40台半ばの時期、そして70~80歳ぐらいの時期である。

というものであり、

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そろそろPebbleに別れを告げる時かな

Fitbitへの買収となり、スマートウォッチとしての存在感をすっかりなくしてしまったPebble.

こうしたガジェットは新しい機種や新しい機能がアップデートされていってこそ存在感があるもので、そこは「ウォッチ」とはいっても、通常の時計とは違って、走り続けないと転んでしまうような哀しさがある。

で、そのPebbleなのだが、同期エラーとかあれこれ出はじめて、そろそろ、こうしたガジェットとして使い続けていくことの限界を感じ始めている。やはりこうした機械は、絶え間ないシステムメンテナンスが裏打ちとなってはじめて常用できるのだな、とデジタルの裏で動いているアナログの大事さというものを感じる次第。

スタートアップの成功例として数々の話題になったPebbleなのだが、なんとも早い幕切れでは有りましたな。

奇妙な味のグリム童話 — 高橋葉介「ストーリィ−テラー」(ぶんか社)

毎度おなじみの奇妙な味の作者、高橋葉介の手による「グリム童話」である。

設定は、「月刊テラァ・ストーリィ」の編集者、九鬼奇句子(くききくこ)が一般の人から聞く不思議な体験、目撃談が紹介されるというもので、収録は

赤ずきん

ヘンゼルとグレーテル

ラプンツェル

ハーメルンの笛吹き

眠れる森の美女

シンデレラ

夏の庭、冬の庭

白雪姫

長ぐつをはいた猫

青ひげ

オオカミと7匹の子ヤギ

漁師とおかみさん

ろくろくび

おはなしの原典

の13篇+解説1篇。

で、グリム童話の設定や雰囲気を活かしながら現代(といっても昭和初期のイメージなのであるが)風の物語にしたてたストレンジ・ストーリィ−。

例えば、

就職難の折、小さな会社にやっと入社した女の子がはじめて本社に書類を届けにいかされるのだが、赤いベレー帽をかぶっていけといわれ、ついた本社で女社長の前で書類を開くとそこには・・(赤ずきん)

といったのや

家出した少女が、豪邸に連れて行かれ、そこの老主人の相手をさせられるのだが、その都度、相手は若返っていく。ついに年老いた少女は町に置き去りにされるのだが、彼女は、老主人からもらった靴をかかえて・・・(シンデレラ)

といった風に、怪奇風味だけでなく、皮肉な結末を付け加えるのが「ヨースケ」流というもの。

そのほか子供の臓器売買屋の話(ヘンゼルとグレーテル)や継母の過去の子供に守られる少女の話(白雪姫)などなど。

ありきたりの物語に飽きたら、こうした珍味もよろしいのでないかな。

アメリカ方式の意見調整・利害調整の手法とは — ラリー・ドレスラー「プロフェッショナル・ファシリテーター」(ダイヤモンド社)

社内の打ち合わせに始まって地域振興の話し合いなどなど、会議の生産性の低さが一頃言われていたことがあったのだが、その効率を高め、利害を調整して結論を導く、プロとして注目を浴びていたのが「ファシリテーター」。

アメリカではファシリテーションを職業にするプロもいるようなのだが、ちょっと日本で

職業的に独立していくような感じはしない。とはいっても、会議やら調整のための話し合いやら、様々に利害調整や意見対立をまとめないといけないことは洋の東西を問わないわけで、当事者がその任に当たらなければいけない日本のほうが、よりファシリテートの能力は、ビジネスマン個々が身につけておかないといけないものなのかもしれない。

構成は

序章 炎上する会議

パート1 ファシリテーターの修羅場

第1章 炎を味方につけよう

第2章 「炎の達人」としてのファシリテーター

パート2 修羅場を切り抜ける6つの流儀

第3章 自分の状態変化に敏感になる

第4章 「いま、ここ」に集中する

第5章 オープンマインドを持つ

第6章 自分の役割を明確に意識する

第7章 意外性を楽しむ

第8章 共感力を養う

パート3 プロフェッショナル・ファシリテーターになるために

第9章 日常的に行うトレーニング

第10章 ファシリテーションの事前準備

第11章 修羅場にどう立ち向かうか

第12章 振り返りと休息

パート1、パート2がおおむねファシリテ−ションの技術論、パート3が心構えと自薦準備といったところなので、「ファシリテ−ション」のテクニックを身につけようとする人は向けにパート2中心にレビューすると、ファシリテートの基本は

自分の状態や変化を意識の中にとらえておかないと、見たこと、感じたこと、韓挙げたことのすべてを「真実」だと思いこんでしまい、偏った判断をすることになる(P61)

ということを念頭に

自分の役割を誇示したり気をみおんだりすることなく、仕事に集中しなさい。あなたが「こうあるべきこと」ではなく「実際に起こっていること」をファシリテート

(P88)

し、

自分とは違う見解に耳を塞ぐようになると、プロ失格である。自分の認識・判断・推測が正しいと思い込み、「自分の想定どおりになった。これが結論だ」と安易な判断を下すようになる。・・それではせっかくのグループの力を引き出せずに終わってしまう

といったことがポイントのようだ。

とはいっても、友好的な会議ばかりではないことはアメリカでも同様のようで、

オープンマインドを保つための最後のポイントは・・他人に常にオープンでいてはいけない、というものだ。拒絶する、うろたえる・・といった態度にみんなが陥っているときには、それを受け入れるのではなく、希望と可能性を持ち続けることだ(P108)

とか

意見が厳しく対立し息詰まるような会議でも、自然体で柔軟に現場に対応するには・・3つの能力(「こだわりを捨てる」「遊び心を持つ」「必ずうまくいくと確信する」)を育てることが大切だ(P145)

といった、危機管理的な忠告が混じってくる。

利害対立や意見対立を第三者が間にたって調整し、意見をまとめていく手法は、ワークショップなどで必要性はいわれるものの、日本的な「調整」の手法とはちょっと違っているためか。ファシリテーションも言葉だけが踊っているような印象を受ける。まあ、意見調整、利害調整ができれば、アメリカ的な手法にこだわることもない。本書も、アメリカのファシリテーションの手法の分析と割り切って、自らの調整方法や会議運営のテクニックに取り入れていくといった読み方をすればよいのでありましょうね。

寄席は「落語」ばかりではないよ — 愛川 晶「高座の上の密室」(文春文庫)

東京の神楽坂の老舗寄席「神楽坂倶楽部」シリーズの第2弾。

寄席といえば、落語、噺家が中心となるのだが、寄席の演目はそればかりではない。手妻、大神楽と呼ばれる撥・傘の曲芸、漫談など「色物」と呼ばれる他の芸も豊富なのだが、タイたいていのところ、ここに注目した小説はあまりお目にかからない。

今回は、そんな色物を題材にしたミステリー。

収録は

高座の上の密室

鈴虫と朝顔

の二編で、最初の「高座の上の密室」が手妻。二番目の「鈴虫と朝顔」が大神楽という芸が主題。

最初の「高座の上の密室」は手妻師母娘の「葛籠(つづら)」を使った「葛籠抜け」という手妻がメインテーマ。ちなみに、本書によると「手妻」の「ツマ」はもともと刺身のつまとと同じで「てづま」つまりは手慰みという意味で、仕掛けらしい仕掛けを使わず、指先の技術を見せる芸を「手妻」、からくりのある道具や大道具を使う芸を「手品」というらしい。

この話では、手妻師とその元夫で元噺家の師匠との確執がからんでくるので少々込み入ってくるが、篭抜けのトリックの謎解きと、母娘がテレビの録画の前で篭抜けの実演をやった時に、娘が舞台の上から忽然と消えてしまうという児童誘拐もどきの事件の謎解きもセットの二重の謎解き。

二番目の「鈴虫と朝顔」は太神楽という曲芸の父から息子への芸の伝承がテーマ。太神楽とは、「ルーツは室町時代までさかの」ぼり「もともとは「代神楽」、つまり神社に参詣できない人たちのため、出張サービスとして獅子舞などを行っていたのに、やがて曲芸や茶番が加わって現在の形になった」ものであるらしい。

謎の大筋は、神楽坂倶楽部で太神楽を演じている「鏡太夫一座」が父親の鏡太夫から息子の鏡之進の代を譲るに当たり、席亭代理の希美子に芸の検分をしてほしい、というところから。で、その検分の当日、鏡之進は高座の前列に座った高校生カップルを前に、どういう訳か、課題である五本の綾撥を披露しない。披露したのは傘芸でしかも季節外れの「鈴虫の鳴き分け」。なぜ鏡之進は、襲名がかかった大事な時にそういうことをしたのか・・・、という理由を希美子が解き明かすのが一番目の謎解き。これをもとにして、鏡太夫の離婚の理由と天才と評された鏡之進の姉の突然の芸の衰えと引退、そして鏡太夫の引退の理由あたりもはっきりとしていくのが第二・第三の謎解きである。

一作目と同じく、小粒感は否めないが、なに、大掛かりな長編モノばかりがミステリーの醍醐味ではない。最近は、400g超えのステーキや、フランス料理フルコースのようなものが評価される傾向が強いように思うのだが、蕎麦屋で台抜きか小さな小鉢に入った酒盗を肴に、日本酒をキュッと呑って、スイッと店をでていくようなミステリーの醍醐味もあるというところであろうか。

現代娘「寄席」の経営者デビュー — 愛川 晶「神楽坂謎ばなし」(文藝春秋)

「神田紅梅亭」シリーズに続く「寄席」ものが、この「神楽坂倶楽部」シリーズ。発端は、神楽坂倶楽部の席亭の娘に生まれつつも、幼いころに、席亭の父と母が離婚したため、生き別れになっていた教育系出版社に勤務する「武上希美子」が、父の実家「神楽坂倶楽部」の席亭代理となり、芸人や近隣の人々、あるいは実の父親などが巻き起こすトラブルに振り回されていきながら、謎解きをしていくというストーリー。

もともと、出版社から席亭代理になる経緯も、大御所の落語家の時事評論ものの出版をめぐるトラブルからということで、まあ落語家をはじめとする芸人とは切ってもきれない関係であったということか。

収録は

セキトリとセキテイ

名残の高座

の二編。

で、今回の「神楽坂」シリーズは、「紅梅亭」シリーズが落語が中心であったに対し、今回は手妻、大神楽といった「色物」がよくでてくる。

「セキトリとセキテイ」は、このシリーズのオープニング・ストーリー。冒頭の大御所落語家の出版をめぐるあれこれと生き別れの父親との再会、そして席亭代理への就任といったあたり。

「名残の高座」は、癌にかかって余命幾ばくもない老噺家の最後の高座の話。といっても、病気と年波で結構芸が荒れてしまっている老師匠にの引導を渡していく筋なので、本来とてつもなく暗くなるか、妙に人情噺っぽくなるのが常ではあるが、希美子が席亭代理になる原因となった噺家、寿々目家竹馬の計らいで粋に仕上がっている。希美子の化物よけのおまじないの所以などなど幼いころの記憶の種明かしが判明する。

謎と言っても小ぶりの寄席ネタが多いので、本格モノなどを期待して読みたい向きにはちょっと向かないが、寄席や高座の豆知識を得ながら楽しめる、ちょっとした箸休め的なミステリーというべきであるかな。

Windows95開発関係者による、かなり「猛烈な」働き方の提案 — 中島 聡「なぜ、あなたの仕事は終わらないのか」(文響社)

Microsoft本社でWindows95の開発に携わった日本人SEによる「仕事術」の本。

Windowsもすでに10になり、AppleのMacのほうが今風では、といった風潮がある中、デジタルネイティブには及びもつかないであろうが、Windows95が、この世界にもたらしたインパクトは、とんでもないことであったということは記しておこう。

構成は

1 なぜ、あなたの仕事は終わらないのか

2 時間を制する者は、世界を制す

3 「ロケットスタート時間術」はこうしてうm気出されラ

4 今すぐ実践 ロケットスタート時間術

5 ロケットスタート時間術を自分のものにする

6 時間を制する者は、人生を制す

となっていて、中心は「ロケットスタート時間術」なるものは何か、ということであるといっていい。

仕事の仕方が違うだけで、アメリカ人も結構働いています。外国人はしごともせずに遊んでいるわけではありません。彼らが私達と決定的に違っているのは、朝が早いという点です。彼らは朝の7時に会社に来て、夕方の5時や6時に帰るという仕事のスタイル持っています。

会社の企画を任されたときにプロトタイプを創ると全体のイメージが固まります。・・・細かいことはさておき。まず全体像を描いてしまったほうがいいのです。これがつまりプロトタイプです

とか

最初に私が驚いたには、ビル・ゲイツが何らかの説明を社員から聞く時に、直接その社員からは話を聞かないことです。彼は情報をかみくだき。彼にわかりやすく説明してくれる専門の社員を雇っていたのです。

といった風に、アメリカのビジネスマンやビル・ゲイツの意外な姿を教えてくれあたりも参考にはなるのだが、「ロケットスタート時間術」の本質は

指定された期間の2割(この場合は2日間)を見積もりのための調査期間としてもらい、その期間、猛烈に仕事に取り掛かります。・・その間に、「8割方できた」という感覚が得られたなら・・「10日間でやります」と伝えます。

最初の2日間に8割終わらせることを目標にロケットスタートを切ります。私は大体、この期間にソフトウェアの大まかな設計を作り上げます。企画書を書いている人は、この期間に企画書の大枠を書き上げます

時間に余裕があるときにこそ全力疾走で仕事をし、締切が近づいたら流すという働き方

といった風で、求められる期間の2割方のところで仕事のかなりの部分の完成をさせてプロトタイプを完成し、残りの8割で磨き上げをしていくという方法であるようで、本の後の方でのロケットスタート術の並行的な実施というあたりとなると、ワークライフバランスや働き方の面で、うーむ、どうかなという点がないわけではないが、「成し遂げる」という仕事の方法論から見れば、うむ、と頷かせるところ多数である。

まあ、提案どおりにやるとかなり「猛烈」な働きぶりになるので、どこまで付き合うかはそれぞれの価値観次第であろうが、「ファーストトラッカー」的な働きぶりはこうであるか、と仕事術を考える上で、非常に有効なスパイスと認識しておくべきでありましょうな。