月別アーカイブ: 2015年12月

Pebble ClassicのWatchFace二種

スマートウォッチの楽しみの一つに時計のデザインを還ることができることがあって、Pebbleの場合も。そのサイトに各種がリリースされている。

Pebble ClassicのWatchFaceのインストールはスマホのアプリから好みのものをダウンロードすると自動でPebbleに転送してくれる。

アナログ時計のデザインもあるのだが、今はこういうのをメインで使用。スマートウォッチであるので、少しはデジタルな風味のあるものが使いたい故。

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このデザインの前は気温とかも欲しいねと思って、こういうデザインを使っていたのだが、ある種の難点を発見して使用を中断した。

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なにせ、気温が華氏なので、摂氏に慣れている日本人である当方はなんとも温度感覚がつかめなかたのである。{(華氏温度)マイナス32}÷2で摂氏になるらしいのだが、気温というやつは見たなりに体感できないとなんかしっくりこないよね。

大晦日なのだが「姫路おでん」を食す

大晦日ではあるのだが、先だって出張土産に買って帰った「姫路おでん」の賞味期限が怪しくなってきていたので、年越しそばの前に食すこととする。新幹線から在来線への乗り換え口のKioskで慌ただしく買ったレトルトの土産物である。

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おでんは日本各地に名物だ、名物だ、と喧しいのだが、姫路のはショウガ醤油で食すらしい。

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本来ならここに大根もあるのだが、家族に最初にとあっれてしまった。

色も少々濃いのだが、味付けもどちらかというと濃い目。しかも醤油味の濃い目である。それを生姜醤油で食すので、ここはビールのつまみか御飯と一緒に食したいところ。

路湯も一人用としてはタップリ目にあるので単身赴任のお父さんの自分用の土産でもよいかも。

Pebble Classicの通知機能を試してみる

スマートウォッチを購入した動機が、Lineやメッセージとかの取りこぼしをなくそう、ということであったので、通知機能をあれこれ試してみる。

iPhoneの場合は、「設定」→「通知」と辿り、新しい通知が届いた時にPebbleに表示させたいアプリの「通知センターに表示」をONにすればよい。

デフォルトでは、多くのアプリがONになっていると思うので、この際、クリーンアップしておいてもよいだろう。特にGメールやYahooメールなど連絡用のメインのメールアプリの通知設定をONにしておくかどうかは一考しておいたほうがよい。当方の場合、メインのメールアプリであるGメールの通知機能はオフにしている。というのも、やたらと通知がくるようになって、チェックしておきたいアプリの取りこぼしが発生する可能性が高くなるからである。ま、このへんはお好みのままに。

Pebble Classicの通知の画面はこんな感じ。白黒ではあるが内容を簡単に確認するにはこの程度でよい。下のボタンを押せば下にスクロールして続きを読むことができる

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通知の一覧は、設定画面の「通知(NOTIFICATION)」のところで一覧が確認できる。こんな感じだ。

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本体の記憶容量はまだ調べていないので、どれぐらい保尊できるかは不明。まあ確認だけなのでそんなに多くは必要ないけどね。

Pebble Classicを設定するーOSをtime lineにアップデートする

Pebbleは幸いな事に本体も進化を続けていて、今はPebble Timeというカラー版が出ていたり、丸いPebble Time Roundと言うのも発売されている。

本体の更新が続くということは当然、新しい本体に合わせてOSもアップデートするということで、今の最新のOSはtime lineというもので、これがPebble Classicでも使えるというのが嬉しいところ。

ということで、Pebbleの旧OSを使うのもそこそこにOSのアップデート。初期設定の時のように、スマホのアプリから行うので、「PebbleTime」というアプリをダウンロードして起動。

言われるままに操作を続けていると ”古い「Pebble」” を削除しろというメッセージが出て、何をしていいやらわからず、Pebble本体をリセットしてみたりと嵌ってしまう。うーむ、と悩んだすえに単純にiPhoneからアプリを削除するとこれが正解でした。あまりいらないことを悩むな、ということでありますかな。ここをのりこえるとアップデート画面を指示のままに進む。

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アップロードが進行し、こんな画面になって

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本体の方はこういう画面でアップグレードが進行し

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しばらく待つと、無事Time lineにアップデートが完了。英語のままで良い人はこのまま使えばよい。ただ、メニューとかは英語のままでも使えるのだが、メールとかの通知をするとなると、日本語の部分の□□□といった豆腐状態になって、判別不能である。次の課題は「日本語化」である。

Pebble Classicを設定するーまずはPebble設定

Pebble TimeのOSであるtime lineがPebble Classic でも使えるようになっているらしいのだが、初心者らしくまずは旧OSであるPebbleを導入・アップグレードする。

操作はPebble本体ではなく、スマホのほうからやる仕組みなので、Apple Storeから「Pebble」というアプリをダウンロード。アプリを立ち上げると、Pebblemのアカウントを取れというメッセージが出るので、素直にアカウントを取得。

アカウントを取ったらBluetoothの接続を試みる。アプリでの接続は何度か失敗して、ダメ元で、iPhoneの「設定」のところで接続を試みると成功する。ここらへんはなぜうまくいったのかは不明。
接続できたら、アプリでアップデートを続ける。
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とか

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とかがでて

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Pebble Classicを買った

最近、Lineを見忘れが増えたり、職場から出張中に仕事上の確認が必要なメールが頻繁にくるようになったのだが、iPhone6 Plusなので、上着の内ポケットに入れたままの状態が多く、なかなか気付かないことが多く、家人に叱られることが多い。

しかし、スマホをいつも握りしめているわけにもいかず、流行りそうで流行らないスマートウォッチを購入することを決意。とはいっても、Apple Watchを豪気に購入するほどお小遣いも潤沢ではないので、iPhoneで使えて、満足度の高そうなPebble Classicを購入。Pebble Timeにしなかったあたりに使いこなせなかった時にね、という貧乏性の表れ。

amazonで注文するとこんな感じで届いた。とても武張った梱包であるが、こういう状態であれば破損のおそれはないな、と感心をする。

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箱はこんな様子。6.5☓9.7☓7cmのかなりコンパクトな箱である。

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久々の異譚・奇譚 ー 太田忠司「奇談蒐集家」(創元推理文庫)

そのミステリーの腕力は、登場人物とシチュエーションの巧妙さにかかっているといってよい。このミステリーもそのあたりは巧妙に仕掛けてきていて、都会の場末の「starwberry hill」が舞台。ここで新聞記事で募集した「世にも稀な奇談」が買われており、老若男女が訪れては、「恵美酒 一(えびす はじめ)」という男に奇談を語るのだが、横で聞いている秘書と称する男性であるらしいのだが女性でもあるような「氷岡」という秘書も話を聞いていて、というのが最終話以外の筋立て。

収録は

自分の影に刺された男

古道具屋の怪

不器用な魔術師

水色の魔人

冬薔薇の館

金眼銀眼邪眼

すべては奇談のために

となっていて、奇談はそれぞれ、姿見に憑依した江戸時代の姫君そっくりの女性とめぐりあう話であるとか、街の中にあるバラの美しい屋敷に住む主にここに一緒に住もうと誘われる訳とか、特異なものであるのだが、それぞれの話の結末で、「氷岡」の謎解きがあまりにも現実的で夢をぶち壊されるというのがひとまずの展開。

ところが、最終話で、この奇談収集の話を小説家志望のライター見習いが、雑誌に書くために取材を始めたところから、なにやら今までの話が妙なことになりはじめ、といったところで、ネタバレになるといけないのでレビューはここまで。

ミステリーの一つのジャンルである「風変わりな話」「ストレンジ・ストーリー」を久々に読みました。

明治末期の風情やいかに ー 三木笙子「人魚は空に還る」(創元推理文庫)

時代ミステリーというやつは、その時代についての知識や興味がないと入り込むのに手こずるもので、このミステリーの時代も日露戦争の後、明治40年代を舞台にしていて、恥ずかしながら、当方にとってかなり霧のかかった時代ではある。

とはいっても、作品の出来は良好で、登場人物に、当時の三文雑誌の記者をしているが、実は時の司法大臣の義理の息子 里見高広 をホームズ役に、当代きっての天才画家 在村 礼 をワトソン役に据え、しかも性格の悪いのはワトソン役のほうという配役は巧い。

収録は

第一話 点灯人

第二話 真珠生成

第三話 人魚は空に還る

第四話 怪盗ロータス

第五話 何故、何故

となっていて、ざっくりとレビューすると

第一話は、化粧品の広告のコンテストで入賞した中学生の失踪というか誘拐事件で、贋札事件がどういうわけか絡んでくるもの。

第二話の「真珠生成」は、高広の義理の姉の結婚の嫁入り道具の物色中に起きた、宝石店での真珠の盗難事件。盗まれた真珠yの一部が、その店の金魚鉢からでてくるたりが捜査を撹乱するのだが、犯人は以外に近くという話。

第三話は、浅草の見世物小屋の「人魚」の蒸発事件。失踪とか言う意味での「蒸発」ではなく、観覧車の中からの。文字通りの「蒸発」の謎。

第四話は、米相場で大儲けした成金のところに洋画の盗難予告。差し出したのは、ルパンならぬ怪盗ロータス、ということで、今後、里見高広・有村礼のコンビのライバルとして育てていこうという作者の糸が見え見えではあるのだが、本筋の「日本にどうやって洋画が浸透したか」の方は少し調べると意外な歴史ネタが隠れているのかもしれない。

最後の第五話は、有村礼のおじの浮世絵画家が登場。事件自体は質屋からの単純な事件なのだが、官憲に追われる途中で簡単に盗んだ金を燃やしてしまった理由は、という話。

それぞれの謎自体は、趣向を「こてこて」に凝らしてあるという訳ではなくて結構オーソドックスで、読みどころは、やはり、明治時代後半という、まだ江戸期のおどろおどろしさや風情を残しながらも、近代に足を突っ込んでいる、という、レビューの最初でいったような「霧のかかった」感じを物語の舞台設定でうまく使っているところであろう。時代ミステリーは、その時代の感覚を感じれる、追体験できるというのが魅力の根っこのところであるので、その時代がなんとも怪しげであればあるほどよいというもの。

浅学ゆえ、この時代のエピソードやら紹介できる状態ではないのだが、なんとなく「明治末期」を味わえるシリーズであります。

日本古代に「但馬」という新しい舞台が登場 ー 関 裕二「海峡を往還する神々」(PHP文庫)

国情が不安定になったり、国勢が下がっている気配が見えると、ナショナリズムが高揚するというのは、他の国々でもよくあることと思うのだが、ここ日本においては、その国の成り立ちのルーツというか、その頃の王権に関わる言説があれこれ飛び交うことが多いような気がする。
それは、本書でも取り上げているように、戦後間もないころの「騎馬民族征服説」でもあったし、竹島問題とか、歴史認識とか大陸の某国との間でギクシャクし始めたこの頃の話でもある。
構成は
第1章 渡来人と森の話
第2章 アメノヒボコの謎
第3章 ヤマト建国の知られざる黒幕
第4章 往還する神々と天皇家の正体
となっていて、関裕二氏の他の著作でもよくでているように、邪馬台国、ヤマト王権の成立時期についての考察である。
平たく云えば、機内、九州に偏重しがちな古代日本の政治情勢を、最近の考古学の発掘状況を踏まえながら、吉備(岡山)を中心とする瀬戸内海、出雲(島根・鳥取西部)を中心とする日本海西部を、それぞれ権力中心ととらえながら古代日本の政治模様を解き明かそうとする考察は、関西以外の西日本の居住する当方としては、うむうむとワクワクしながら読める題材である。しかも、瀬戸内、出雲以外の豊岡を中心とする「但馬」を権力中心として持ち出してくるあたり、ほう、こういう考えもあったか、と「ムー」顔負けの説に喝采を叫ぶのである。
ま、古代のことでもあるし、浅学非才の当方としてはどれが正しいといえるほどの学識のないのだが、いろんな異説・怪説様々にあるほうが、素人の歴史好きとしては好ましいもの。
年末年始の一時に、こうした日本古代の歴史書もいかがであろうか。

フィクションは本当に劣勢なのか

日経Asocie 2015.12号の「男と女の言い分な関係」というコラムを読んでいたら、

男性、女性問わずm現代はこうしたフィクションや物語といった文化そのものが劣勢に立たされているのは、間違いのないところです。・・・ビジネスの現場に身を置いていると、小説やテレビドラマ、映画やマンガ・アニメに触れる機会は減る一方です。代わりに私たちを取り巻き、時間やエネルギーを半ば強制的に費やさせているのは「情報」

というところにでくわして、納得の半分、どうかな、と思うこと半分。

というのも、フィクションに触れなくなるのは現代と過去の比較ではなくて、年齢の重ね具合といったところもあるのではないかということ。特に現役世代であれば、仕事に追われる具合が強くて、フィクションが負けてきている、あるいは興味が持たれなくなってきている以上に「隙がない」といったことが多いせいでは、と思う次第。

当方とて若い頃よりフィクションを読まなくなってきているのは確かなのだが、それは興味が云々というより、仕事のアイデアを出したり、書類を読んだりといったことに時間を取られて、フィクションに使う精神の力が残らないなー、と思っているところである。

フィクションgあ読まれなくなったのは、フィクションが「劣勢」なのでなくて、フィクションへまわす精神のキャパが「乏しい」のではなかろうか。