「人生100年時代」の「学び直し」について考えてみよう ー 落合陽一「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」

「人生100年時代」という言葉が一般化してきて、100年時代における「働き方」であるとか「職業戦略」については、たくさんの人が主張を始めているのだが、必然的に長くなる「職業ステージ」の中で、「どう学び直すか」という点については、議論がまだまだ薄い現状と言わざるをえない。

とはいうものの、「人生100年時代」は、本書内で言われるように

何となく人気がありそうで、安全に思える進路を選ぶという発想は、近代における生存戦略として有効でした。それは、社会構造的に集団戦で生きることが中心だったからです。
しかし、これからの社会において、それはあまり意味をもつ戦略ではないかもしれません。・・・他人軸で自分の行動を判断するような生き方では、物事の本質を見抜くような知見は得られません。IT技術の発展によって限界費用より限界効用が変化し、新しい平衡点が生まれ労働より資本の投資が重要になるこれからは、新しい価値観を呼び込み価値を蓄積可能なニッチなものにこそ価値が認められる時代でしょう。つまり、大衆迎合的な方向へ流される人は相対的に弱くなるわけです

という時代であるならば、自らを常にブラッシュアップしていく必要性にかられるわけで、そのためには、「学ぶこと」を学校教育の期間内でやめてしまうことはとてつもないハンディキャップとなることは間違いなく、「学び直し」が必然なこととなるのは間違いない。

そうした「人生100年時代の学び直し」について、若手有数の論者である筆者・落合陽一が縦横無尽に論じたのが、本書『落合陽一「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書」(小学館)』である。

 

【構成と注目ポイント】

構成は

プロローグ 人生100年時代の「新しい学び方」とは
第1章 Q&A・幼児教育から生涯教育まで「なぜ学び続けなかればならないのか」
 Q1 子供に「なぜ学校に行かないといけないの?」と言われたら?
 Q2 ディスカッションが苦手。どうしたらいい?
 Q3 プログラミングの早期教育は必要ですか?
 Q4 幼児教育は何から始めればいい?
 Q5 英語はいつから習えばよいですか?
 Q6 2020年度の大学入試改革の攻略法は?
 Q7 これから大学はどう選べばよいですか?
 Q8 就職には文系より理系のほうが有利ですか?
 Q9 20代前半までに見につけておくべきことは?
 Q10 これからはMBAよりリベラツアーツを学ぶべき?
 Q11 突出した才能がない人はどう生きていけばいい?
 Q12 人生100年時代を生き残るには何をしたらいい?
 Q13 未来の学び方は変わってくるの?
第2章 落合陽一はこう作られた・どんな教育を選び、どう進んできたか 生成過程
第3章 学び方の実践例・「STEAM教育」時代に身に着けておくべき4つの要素
 言語 ロジカルシンキングとアカデミック・ライティング
 物理 現象を五感で感じ「なぜ?」と考える
 数学 数字が示す世界を読み解くための数学
 アート コンテクストを持った鑑賞力と創造力
エピローグ ライフスタイルとして楽しむ 学びから生まれるイノベーション

となっているのだが、まず注目したいのは

プログラミングは今後あらゆる分野で求められるスキルの一つであり、コードもある程度は知っておいたほうがよいでしょう。しかし、プログラミングはあくまでツールであることを忘れてはいけません。

というところ。最近、義務教育のカリキュラムに「プログラミング教育」が導入されるということで、プログラミングを教える学習塾やオンラインスクールを見るようになったのだが、一時期、英語教育が導入されたときのおなじように「プログラミング教育」を考えてはいけない気がする。当方的には「プログラミング教育」は「思考方法」を学ぶカリキュラムと考えるべきで、どうかすると特定言語を覚えることに熱心になりすぎないよう注意すべきであろうね。

そして、これは「リベラル・アーツ」についてもいえるようで

ビジネスに有利だからリバラルアーツを学ぶ、という考え方はこれからの社会では通用しません。リベラルアーツとメカニカルアーツは分離すべきではなく、学問としてどちらも身に着けておくべきなのです

と手厳しい。

どうもあまり、「利益最優先」「功利主義」で、これからの「学び直し」は捉えないほうがよさそうだ。

そして、それはすなわち、「正解探し」からの脱却でもあって、

日本のSTEAM教育において不足しているのは
・言語(ロジック化など)
・物理(物の理という意味で)
・数学(統計的分析やプログラミング)
・アート(審美眼、文脈、ものづくり)
近代日本の教育は「何を習熟させ知識をつけるか」を重視した結果、「どう学ぶか」が欠落してきました。
この4つの要素は、正解を見つけるためではなく、自ら課題を発見し、その解決に実践的に取り組みながら学び続けるために必要なツールとなると僕は考えています

というあたりとか

人生100年時代は、人生に関わるさまざまなことが20世紀の標準的な生き方から劇的に変化する時代になるでしょう。もうすでに、工業生産と情報産業の分野でビジネスのルールは変化しつつあり、働き方や企業の在り方のみならず、学歴の作り方、研究の仕方など、すべての価値観が変わっていくでしょう。「何か正しいのか」という定義そのものも毎回違っているような世界になるので、誰かが言った正しいことを信じる人よりも、今この時代に正しいことは何かを考えられる人のほうが価値があります

をみると、これまでの学校教育で重視されてきた「いかに早く正解にたどりつくか」ではなく、「いかに幅広く物事をとらえられるか」といったほうが重視される時代へ変化すると思われるのだが、そうなると今までの学校秀才や偏差値云々とは違った尺度が必要となるのは間違いない。(もっとも、その「尺度」を探すこと自体が「人生100年時代」にはそぐわないのかもしれないね)。

【レビュアーから一言】

ともあれ、「100年」は正直、長い時間である。とても短距離走のペースでやっていては顎が上がってしまうのは間違いない。

これからの長い人生を生きる人々は、水を呑みながら走るマラソンランナーのように学び続けなければなりません。その過程で失敗することも一つの学びであり、その失敗を挽回する時間もたくさんあります。最も価値のある学びとは、本気の挑戦の中にあるトライアンドエラーです。さらに専門知識を学び直すことは何才からでもできるし、そこで得た学びを生かしてまたチャレンジすることもできます。常に考え、学び続ける。その繰り返しが自分を更新することにつながり、新しい時代の一員として生きることになるのです

といった気持ちで、息長く、根気よくやっていくのが、なによりの「王道」であるような気がしてきましたね。

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