月別アーカイブ: 2017年12月

江戸城御用達の甘い罠。一番悪どいのは「御上」かも — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 大江戸料理競べ」(時代劇文庫)

さて、調理人季蔵シリーズの第14弾は、江戸城への料理御用を独占している有名料亭「八百良」と並んで、江戸城へ料理を納入する店を決める料理勝負がメインテーマ。
 
収録は
 
第一話 新年福茶話
第二話 大江戸料理競べ
第三話 ごちそう大根
第四話 千両役者菓子
 
となっていて、第一話は季節が正月なので、鮑の身を細長く切り、薄く打ち伸ばして干した打鮑を、ぱらりと載せた雑煮とかといった料理も良いのだが、メインは質屋の大黒屋の黄金仕立ての仏像が元旦に消え失せてしまった謎をとくというもの。ただ、話の最初に出てくる、寺子屋で神童と言われる子供の噂話が、名料亭「八百良」が茶漬けに使う水をはるばる玉川の取水口から汲んできたという話や、初春狂言で人気の歌舞伎役者・中村春雷の噂とかとかがでてくるのだが、最終話でぐるりとつながってくるのでご記憶のほどを。
 
第二話と第三話は、この巻のメインストーリーで、江戸城の出入りを三料理店が競う料理比べなのだが、季蔵はこの競争には参加せず、監視人という役割。
競われるのは大根の料理で披瀝されるのは、漬物の大根を小指の先ほどの厚さに切り、水にさらして塩出しした後、出汁で煮合わせた「大根のぜいたく煮」、細かく叩かれた鶉肉を鍋にいれ、ひたひたに酒を注いでそぼろに炊き、これを小口に切った大根と交互に重ね出汁を注いで炊き上げた「そぼろと大根の重ね煮」、開いた穴子を湯通しして、鍋に入れ、酒、砂糖、味醂で煮含めたものに、皮を剥いて縦半分のして、小指の長さほどに切った大根を入れてやわらかく煮た「穴子大根」の三品。
さて、どれが一番?といった野暮なことは、この勝負に参加している「酔壽楼」の主人・又兵衛が変死して、どっかにいってしまう。さらには、第三話で、同じく勝負に参加した富士屋の女将・お美菜も毒殺され、この催しそのものが彼方にいってしまうという筋立てで、話の本筋は、この二つの変死・殺人事件の謎解きであるのだが、時代ものらしく、男女の仲が絡むのはいつものことか。
 
最終話の「千両役者菓子」で第一話の伏線が生きてきて、歌舞伎役者の中村春雷が、季蔵に菓子を注文する話が登場するのだが、本筋は、第二話・第三話の事件の犯人が明らかになるところ。それにも増して、驚くのは、この料理競べが催された幕府の意図なのだが、御公儀ってのは悪どい者の集まりなんでげすな、と思わず嘆息するのでありました。

プリニウスを通して描かれる「ローマ帝国」の健全さと退廃 — ヤマザキマリ「プリニウス」(新潮社)1〜6

テルマエ・ロマエで一挙に人気作家となった、ヤマザキマリ氏がとり・みき氏と組んでのローマもの。
個性ある二人の合作で、しかも題材が、稀代の博物学者プリニウスである。
物語はヴェスヴィオ火山の噴火の場面から始まるのだが、これは全体のプロローグ。第一巻は、プリニウスの書記官となるエウクレスと、噴火直後のエトナ山の麓で出会うところから始まる。
いまのところ、6巻までしか出版されていないので、全体の展開をどうこういえないのだが、プリニウスの諸国遍歴の旅の物語というよりも、プリニウスの歩く、特にポンペイを廃墟にしたヴェスヴィオ山の噴火をはじめとするローマとその周辺地域の自然と、皇帝ネロに代表される都市国家ローマの退廃が、このシリーズの主人公であるような感じ。
ただ、それらを演ずる役者たちが、プリニウスとその護衛官フェリクス、書記官エウレクスをはじめとして、哲学者にして大金持ちのセネカ、皇帝ネロ、その妻のポッペイアなどなど。塩野七生氏が火をつけた「ローマ好き」の人々には、とんでもなく垂涎モノには違いない。しかも、山や野原、街の佇まいなど、背景描写が、もう本当に精緻で唸らせられること多し。
さらには、ウニコルズス(ユニコーン)や頭がなく口と目が胸についているブレミュアエ族とか革の紐のようなヒマントポデス族とか、妙ちきりんなものもでてくるので、諸星大二郎ファンにも向いているのかもしれない。
なにはともあれ、「アナザー・ローマ人の物語」的な奇妙な魅力に溢れたシリーズであることには間違いないですな。

創業物語の「苦い」部分も書かれているのが良いね — 遠山正道「スープで行きますー商社マンがSoup Stock Tokyoを作る」(新潮社)

 三菱商事の商社マンで、食品産業とは縁のなかった筆者が、日本で初であろうスープのファストフード専門店の立ち上げから、軌道に乗せるまでの奮闘の数々を綴ったもの

 
構成は
 
第一章 成功することを決めた
第二章 Soup Stock Tokyoの誕生
第三章 働き始めたビジネス
第四章 つきつけられた現実
第五章 スマイルズの人々
第六章 振り返りとこれから
 
となっていて、初版発行が2006年であるので、その後の事故米穀混入の件であるとか、スマイルズの分社化といったこと以前のものであるのだが、本書を読む目的は、一人の若い起業家が自分の精魂を傾ける分野を如何に見つけ、会社を立ち上げ、お決まりの経営危機をどう乗り越えていったか、といったところが大勢であろうから、そこはあまり関係ないといっていい。
 
で、こうした事業立ち上げの物語を読む際には、力点の置き方というのが、人それぞれに、あるいは読者が置かれているビジネス環境その時ごとに違ってくるのが通例で、当方的には、流行を掴んだ会社がどのあたりで危機に陥って、どう切り抜けたか、といったところにスポットで当てて読んでみた。
 
同社の危機が訪れたのは1998年8月1号店の開業から6年後、苦労はあれども店舗も増えて、さらに勢いに乗って強化展開をしようかといったあたりで、登っていくときほど足下に気をつけないとね、といった織田信長的な危機の迎え方である。
 
それは、三ヶ月にわたっての業績の伸び悩みという事態で現れ、しかも、その原因がつかめない、分析しきれないというおまけつきである。そして、三ヶ月で創業以来の蓄えを使い切ってしまうという事態を迎えるのだが、その根本原因は
 
以前よりも本部から店舗へ指示することが多くなっていました。
そこには、ブランドとしてのイメージを統一して質を良くしていこうという狙いがあったのですが、現場には、その意図まで伝わっていませんでした。
そのために、私に近い所にいる本部のメンバーが偉くて、現場は私の意図を想像するしかないという構図ができ、不満が蔓延していたのです。
また、その頃、各店が達成すべき「売上予算」が、その店舗に伝わっていないという、とんでもない事態も判明しました。
本部と店舗の聞には、いつの間にか大きな構ができていたのです。
 
 
といったことで、その解決手段が
 
私は常々、大企業によくみられる、閉塞感のある縦割りの仕事の仕方が嫌いでした。
それよりも感性を重視し、素敵な会社を作ろうと立ち上げたのがスマイルズです。
仕事の仕方も、デザインや雑誌編集、レコード製作などのような「プロジェクト型」が良いと思ってきました。背広もネクタイもしないで、異業種の才能達が意見を交換しながら物事を決めていく、あの感じです。私はそれを、「スパゲティ型」なんて呼んでいました。
しかし、これは「攻めるに強く、守るには弱い」やり方であることもわかってきました。社内の誰も、店舗の営業の結果に責任を持つ構造になっていなかったのです。
私は自分の認識が甘かったことを思い知りました。
「スパゲティ型」から「定食型」へ。おかずがきちんと仕切りに収まっている幕の内弁当のようなイメージです。分業して、それぞれの仕事に責任を持ってもらう。個人の個性を信頼し尊重すれば、自分たちらしくできるはず。とにかく、そう信じることにしました。
 
という、オーソドクスなところに帰着する辺り、「基本」を大事にすることの重要さと、すべての組織において、「本部と現場」との乖離は常に起きる課題で、しかも、経営を揺るがす事態を簡単につくり出すのだな、と改めて認識した次第。
 
 まあ、当方が取り上げたところだけではなく、創業部分であるとか、人材確保の方法であるとか、それぞれに、「ああ、こういうやり方もあるのか」と気付かされるところは多いだが、なによりも評価したいのは、経営危機に陥った時の「苦い」部分の描き方であろう。「甘い味」ばかりでは、経営書としては薄っぺらになるもので、やはり、こういう苦みがないと物事はしまらないよな、と思った次第なのである。
 

Amazon Kindleを紛失してわかったANAとAmazonの神対応とデジタル製品の精神に占める領分

先日、東京出張でANAの機内にAmaozon Kindlewo置き忘れてしまって、ANAとAmazonのカスタマーサービスにご厄介になったのだが、その際の対応が見事であったので、まずは、ここでご紹介。

ANAの機内で置き忘れたのだが、それが見つかって連絡が来たのが翌日。一番近い空港に届けていただいて手元に戻ってきたのがその次の日、ということで置き忘れから、なんと2日で問題解決となりました。しかも羽田空港から最寄り空港かでの配送は無料。

また、Amazonには、紛失した際の端末登録の解除は即座に、見つかってからの端末登録の再開はメールを送ってから翌日早く、ということで即座といっていいスピードで対応してもらいました。双方のカスタマーサービスの方々には多謝。多謝であります。

で、タブレットの紛失は、両社のおかげで無事解決したのだが、その期間の妙な喪失感は、通常の忘れ物の時と違った感じであった。その感じは、何か身体というか精神の一部がどこかにあるような感じと、さらに、タブレットの中を他人に見られることで自分の心の中を見られるのかもしれないという、ぞわぞわした感じであった。

まあ、当方は少々デバイス依存の傾向があるので割り引く必要はあるが、多かれ少なかれ、読んでいる本といったささいなことではあっても、自らの嗜好と思考をタブレットに預けているということがなせるものなんであろう。そして、今回はタブレットに記録を預けているからそう思うんであって、クラウドに多くを預けるようになれば、おそらくは自らの頭脳や体感がぼわーっと膨らんでいく感じを味わいそうな気がする。これが進めば、「人」の意識の在り様というのはどういう方向にいくんでありましょうか?

 

小猿を従えた美少女くノ一の登場 — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 祝い飯」(時代小説文庫)

シリーズが定着してくると、キャストも固まってきて、話の展開も安心して読めるのは一つのメリットなのだが、マンネリ感が滲み出してくるのはどうしようもなくて、その弊害から逃れるのは、いかに魅力的で気を引く、短期的なキャストを用意するか、であると思う。
今巻は、全巻で季蔵の弟分・豪介を結婚させてしまって、今までのキャストからの新しいネタの提供がちょっと難しくなったところでの、美少女の投入である。
収録は
第一話 祝い飯
第二話 里芋観音
第三話 伊賀粥
第四話 秋寄せ箱
となっていて、結婚した豪介の披露宴と豪介とおしんの子供ができたといったところから始まる。そして、二人の祝言にふさわしい料理を考える季蔵であったが・・・。ってなところで、鯛を使った毒殺事件、といったあたりが、本作でおきまりの突然の舞台転換である。で、ここで投入されるのが、くノ一と思しき、小猿を連れた美少女・お利うで、背中に観音菩薩の刺青を背負っているという念の入った美少女なのでありますな。
まあ、話の本筋は、前作ででてきた、北町奉行の烏谷が幕府の重役と結託してつくった、ご公議公認というか、幕府の財源を生み出すために創った「賭場」の後始末の話。10巻頃までは正義の見方であった北町奉行にも泥がついていたか、となるのはちょっと苦い展開ではある。
今巻で登場する料理は、塩釜で蒸した焼き芋であるとか、潮仕立ての蛤汁であるとか少し小ぶりな物が多いのだが、ここは「お利う」の妙な愛らしさに免じて「可」としよう。
残念ながら、「お利う」は最終章で故郷に帰ってしまうようなのだが、是非に再登場していただけないかと思う次第なのである。

お茶屋の小町娘が手折られる話は悲しいね — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 涼み菓子」(時代小説文庫)

シリーズも12弾目となると、登場人物に少々の変更というか、環境変化が欲しくなるところなのだが、本作で、季蔵の弟分・豪介の身の上に変化が起きる。
収録は
第一話 涼み菓子
第二話 婿入り白玉
第三話 夏の海老
第四話 乙女鮨
となっていて、まずは豪介が、「みよし」という甘酒屋の看板娘・おれいの婿取りのコンテストに立候補するところから始まる。そのコンテストというのが、この店に出す「冷やし甘酒」に合う「涼み菓子」を考案するということ。
で、豪介が季蔵の助けを借りながら考案するのが、西瓜糖を使った菓子なのであるが、その菓子ができて、婿取りコンテストの結果も、ってなところで、この甘酒屋の小町娘に不幸が訪れる、といった展開となる。
総体に、このシリーズは、好事魔多しというか、上げ潮にのって調子づいていると、それと同じくらいに下げ落とされるというのが常で、今回の話も、後半は、その小町娘の事件の謎を解くというもので、彼女に限らず、幾人かの美人娘が殺されるので、少々気が滅入ってくるものではある。なんにせよ、若い美女が死ぬってのは良くないよね。
まあ、この巻の清涼剤は、豪介と季蔵の考案した、黒砂糖、ざらめ、水を煮詰めた黒蜜に西瓜糖を一匙加えて白玉にかけた「涼み菓子」と、最後の話の各々牛蒡のシャクナギ、蓮根の揚げ牡蠣、茄子の昆布締めが詰められた「乙女鮨」であろうか。
最後の方で、豪介の身の上の変化にちょっと救われた気がするので、最後まで読んでくださいな。

陰惨な事件は「獣肉」料理で口直しをしよう — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 ひとり膳」(時代小説文庫)

季蔵捕物控シリーズの第11弾は、季蔵の師匠・長次郎の残した「三段重提げ弁当」に関わる話。
収録は
第一話 梅見鰤
第二話 饅頭卵
第三話 吹立菜
第四話 ひとり膳
2月の声が聞こえるようになると、塩梅屋でも「梅」にちなんだ「梅見弁当」をつくる季節になるのだが、この巻は、亡き長次郎が三段重の弁当箱を使わなかった理由と、「鰤尽くし」を封印してしまった理由を解き明かすのが主眼となる。
ざっくりとレビューすると「梅見鰤」は今回の話の発端話。2月の声が聞こえるようになると、塩梅屋でも「梅」にちなんだ「梅見弁当」をつくる季節になるのだが、亡き長次郎が三段重の弁当箱を使わなかった謎と、「鰤尽くし」を封印してしまった謎を解き明かすのが、この巻の主筋であることが示される。
謎は謎として、
鰤に限らず鍬焼きなどの照り焼きには大きな鉄鍋が使われる、火にかけた鉄鍋に菜種油を敷き、そこに皮を舌にした鰤を焼き付け、返して焼き上げたところに、醤油と味醂、酒、砂糖を混ぜたタレを回しかけて調味する。タレの香ばしさが最大限、鰤の身の旨味を引き出す絶品であった。
という「梅見弁当」の華である「鰤の照り焼き」が旨そうである。
これを受けての第二話は、梅屋敷に出かけた、おき玖が落雷騒ぎに巻き込まれる。そして彼女が避難した梅見茶屋「亀可和」で、新酒問屋のお内儀さんの持つ「夜光の珠」の盗難騒ぎがおきるという話。風情と心根がぐるんぐるんと変わり、美しい女性の「怖さ」を感じるのは当方だけか。まあこれは伏線の筋で、本筋は、おき玖を助けてくれた「與助」の身の上が次話へと続く話となる。
第三話の「吹立菜」は、與助と梅見茶屋の女将が惨殺されるところから始まる。で、この話で、亡き師匠の長次郎が春慶塗の重箱を使わなくなった理由が明らかになるのだが、これが與助の話と関連してくるという仕掛け。
そして最終話「ひとり膳」で重箱の謎とか、鰤尽くし封印の謎とかが明らかになるのだが、このシリーズの常として、善人面した奴が、実は一番悪いヤツという原則がここでも遺憾なく発揮される。まあ、この巻は江戸の暗闇に巣食う「巨悪」ってやつは出てこないのだが、その分、悪事を見逃している有力者の姿と、子ゆえの闇そのものの母親の姿は余り心地よいものではない。なので
小鉢に叩いた鹿肉と、少々の味噌、おろしにんにく、きざみマンネンロウを合わせた。それを俵型に丸めて、小麦粉を叩き付け、ぷつぷつと小さな泡の浮いてきた小鍋へと落とす。
(中略)
シューッという小気味よ音がして、鹿肉の唐揚げが一つ、出来上がった。
(中略)
口の中いっぱいに香ばしさと清々しさ、そして、えも言われぬ、旨味が広がっていく。
といった鹿肉のカツレツで口直しとして、このレビューを了としよう。

菓子の甘さに隠された江戸の「家族」の人情話 — 西條奈加「まるまるの毬」(講談社文庫)

親子三代で営む、小さな江戸の菓子屋「南星屋」を舞台にした時代小説。
 
収録は
 
「カスドース」
「若みどり」
「まるまるの毬(いが)」
「大鶉(おおうずら)」
「梅枝(うめがえ)」
「松の風」
「南天月(なんてんづき)」
 
の7編。
 
主人公は、五百石の旗本の次男でありながら、菓子屋となっている「治兵衛」、その娘の「お永」、孫娘の「お君」、そして治兵衛の弟で大刹・相典寺の大住職「石海」が主人公たち。「主人公たち」と書いたのは、解説でも触れられているように、一人ひとりではなく、彼ら「家族」が活躍する「ファミリー・ストーリー」として読みべきであるから。
 
そして、店の主「治兵衛」が実は高貴な武家の落し胤で、幼い頃、実の親から各地の銘菓が届けられていたことや、修行の過程で全国の菓子屋を渡り歩いて、諸国の名物といわれる菓子をつくることができる、というのが設定の肝。このために第1作目の「カスドース」では、平戸藩の門外不出のカステラ菓子の製法を盗んだ疑いをかけられるし、最終話の「南天月」で、次兵衛一家だけでなく、実家の岡本家が大きな災厄に見舞われる原因ともなる。
 
本来なら一話ごとにネタバレ寸前のレビューをするのが、この書評ブログの常であるのだが、この「まるまるの毬」は、一話一話が独立しているのだが、全体として、家族がまとまって危難に対応し危難を切り抜けていく物語であるんで、今回は一話ごとのレビューはパス。
それは、最終話で、南星屋を陥れようとした柑子屋の「あんたは何ひとつ失くしてなぞいないのだから」という捨て台詞にも現れていて、家族が一つであれば何も恐れることはない、という昔ながらの家族神話の物語として、この一冊を読むべきだろう。
 
そして、この話のキーになるのは「お菓子」。でてくるものをいくつかレビューすると「まるまるの毬」の
 
ゆでた栗を裏ごしし、砂糖をまぜて弱火で練る。手順は栗餡と一緒だが、水の加減を少なくして、粉ふき芋のようにぽろぽろとさせる。これを団子の上半分にまんべんなくまぶして、いが餅にするつもりであった。
 
とか、「松の風」の
 
小さめの歌留多の札にような、四角い薄焼きを手にとって、しげしげとながめる。・・・見てくれは煎餅に近いが、干菓子のひとつであった。
水に白砂糖を煮溶かし、麦粉を入れて、よく練って桶に寝かせておく。冬なら七日、夏なら三日で、表面にぷつぷつと泡が出てくる。そこへさらに白砂糖を加えてかきまぜて、薄くのばして焼いたもので、表にはたっぷりと白胡麻をかけてある
 
という「松風」という菓子であるとか、ちょっとお目にかかれない当時(?)の菓子の風情を楽しむのも一興。殺人事件とか盗みとかの物騒な話はでてこない、少々軽いタッチの人情時代小説でありますな。

10年前の殺人が発端となる、隠された秘宝をめぐる大量殺人 — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 思い出鍋」(時代小説文庫)

第9弾で、秘宝探しにまつわっておきた事件の解決編が第10弾。9弾目の「菊花酒」の最終話「黄翡翠芋」の続きといったところ。
収録は
第1話 相愛まんじゅう
第2話 希望餅
第3話 牛蒡孝行
第4話 思い出鍋
第1話で、塩梅屋が筍の調達で世話になっている光徳寺の和尚が教えている画の会でのトラブル相談が最終話の伏線として張られているので、ここは注意どころ、
さて主な筋は、二十年前の死骸が発見され、手がかりとなるのは、以前、流行した、饅頭に仕込まれてた陶製の「桜の印」。被害者は意外に早く判明して、10年前くらいに手代に金を持ち逃げされて潰れた「小田原屋」の手代・宗助であることが判明。これをきっかけに、宗助を殺した犯人探しが主筋として展開する。
犯人は、この金を持ち逃げした手代・七之助であることは結構早くに判明するのだが、この七之助が、やたら凶悪で、この事件に関わる人をやたらと毒殺するので始末が悪い。
ただ、この犯行の裏には第9弾の後半で出てきた「秘宝」探しが絡んでいて、それが光徳寺に関係しているようで・・、と言う感じで、最初の伏線が生きてくる。
そして、このシリーズは、一話ごとに凝った料理が出てくるのだが、今回は「牛蒡孝行」にでてくる
季蔵は、まず、人参だけは輪切りに、葱は小指半分ほどに切って茹でた。形の似ている巻湯葉も、ほぼ、葱と同じ大きさに揃える。小ぶりの椎茸は十字に切れ目を入れておく。
(中略)
あとの葉物はさっと茹でて、葉が一番小さい京葉を芯に、小松菜で巻き、最後に大きな葉の三河島菜でくるくると巻き上げ、食べやすい大きさに切っておく。こうすると、葉によって異なる緑の濃淡が美しい。
後は鍋に青物と巻湯葉を入れ、大豆の絞り汁である豆乳に、出汁、昆布風味の煎り酒を加えて調味して火にかける
という「精進明日香鍋」が珍しいのだが、最終話で殺人の道具として使われていて、縁起の面ではどうかな、という次第であります。

「一日」を分で計算してマネジメントする — ケビン・クルーズ「1440分の使い方」

「1440分」とは1日を「分」で表示したもの。確かにこれぐらいの数字で見ると、多いようで少ない、微妙な分量感を覚えるから不思議だ。
本書は、その「1440分」の時間管理術ではあるのだが、アメリカの時間管理本らしく、成功者へのインタビューから導き出すのが特徴。
構成は
超多忙だったあの日、ニュージャージーの高速道路で
1 1440分の威力
2 適切な優先順位の重要性
3 To Do リストをやめる
4 先延ばし癖を克服する
5 罪悪感なく5時の退社する方法
6 成功者たちのノート術
7 3210メール術
8 グーグル、アップル、ヴァージンの会議術
9 大成功へと導く小さな一言
10 強力なパレートの法則
11 ハーバードの3つの質問
12 テーマのある毎日
13 「一度しか触らない」ルール
14 朝を変えて。人生を変える
15 すべてはエネルギー次第
16 すべてをまとめたE-3C方式
17 まだまだある
18 7人のビリオネアに学ぶ時間管理の秘訣
19 13人のオリンピック選手に学ぶ時間管理の秘訣
20 29人のオールAの学生に学ぶ時間管理の秘訣
21 239人の起業家に学ぶ次巻管理の秘訣
付録1 あなたの時間管理の特性診断
付録2 次巻管理の名言ベスト110
「#1440」を広めよう
となっていて、「パレートの法則」「朝の活用」とか類書でも見かける項目はあるのだが、
大成功を収めた人たちは、ToDoリストの項目を減らそうと四六時中躍起になったりしない。むしろ、優先順位や、各々のタスクにかける時間について熟考したら、それでよしとするのだ。
重要なことはすべて、やる時間を決め、スケジュール表に入れておく  この手法は「タイムブロッキング」もしくは「タイムボクシング」と呼ばれてている。
という「To Do リストをやめる」の項目や
このような働き方をするためには、しっかり自制し、地道な練習を重ねるしかない。私には、一日のテーマを決めるのが効果的だった。

起業家コーチとして高名なダン・サリバンは、以下の3種類の日を組み合わせて1週間を構成するよう提案している。 ・集中日:いわゆる「勝負の日」で、自分にとって最重要の活動(主に収益性のある活動)を行う日。できれば自分ならではの才能を活かすべき日でもある。したがって、この日には一番得意なことをやろう。 ・予備日:たまったメールや電話への対応、社内会議、仕事の委託、書類仕事をやる日。 ・休日:仕事を一切しない日。私は曜日ごとのテーマを決めるだけでなく、各月の最終金曜日はランチやお茶の約束を入れる日と決めている。

という「一日のテーマを決める」といったところは斬新で、「ToDoリスト」万能を訴える時間管理本の反論でもある。
とはいっても
ノートを取るなら、ノートパソコンやタブレット、スマートフォンよりも、紙ベースのきちんと綴じられたノートを使ったほうがいい。
のように、「アナログ」の重要性を訴えるあたりは日本のものとの共通項も多く、時間管理であれこれと議論が動くのは、日本もアメリカも共通のようであるし、
一点集中とは「ノー」ということだ
 
といったところは、いかにもアメリカ的という印象を受けるが小気味いい。
さて、時間管理は、こうした技術的な知識を豊富に入手するのと同時に、自分にはどういうものが合っているのかを試してみるのが大事なもの。今回は、どれを試してみますかね。