尾張へ向け、今川義元進軍。信長どうする? ー 宮下英樹「桶狭間戦記 4」

「東海一の弓取り」と高く評価されていながら、天下を狙う途上で非業の戦死を遂げたせいか、現代では軽く扱われることの多い今川義元と、彼を討滅した戦国時代を集結させた「魔王」織田信長の若い頃を描く、仙石権兵衛のニェットコースター人生を描いた「センゴク」シリーズのビフォーストーリーである、「桶狭間戦記」シリーズの第4巻。

前巻までで父・織田信秀の跡を受け「織田弾正忠」家を継いだ後、尾張下半郡を治める守護代の三奉行のうちの一家という立場から下剋上を繰り返し、尾張全体を手中に収めるまでにのし上がった信長なんおだが、ここで、駿府・三河を支配する今川義元という当時の「大強敵」との戦いが始まるのが今巻。

【構成と注目ポイント】

構成は

第19話 唐鏡の国
第20話 商業都市 津島
第21話 寄親寄子
第22話 今川義元出陣
第23話 大高城兵糧入れ
第24話 熱田神宮
第25話 分岐点
第26話 大高道
第27話 最悪のとき
第28話 運命の地

となっていて、まずは、今川義元の治める「唐鏡の国」駿河の首府・駿府へ周辺の国から難民が流入するとともに、その危機に気づかず国主・義元が蹴鞠やら宴会やらの浮かれた暮らしをしているのを憂えた、譜代の重臣たちが諫言のため駿府の「今川館」へやってくるところからスタート。

彼らの目には難民の流入で治安が乱れ、さらには将軍家とは敵対外交を始め、国内的には小さな村争いにまで介入する義元の政策がかなりあやうく見えているようです。
しかし、義元の戦略は、今回の永禄の飢饉が長引くと予測し、彼の定めた「今川仮名目録追加」による国内の村々への「紛争介入」、入り込む難民を飢饉による耕作放棄地へ送り込んでの農業振興によって、国を自らの完璧な統治下におこうというもので、ついには将軍家も彼の軍門に下ります。

その上で、彼が下した決断は「尾張侵攻」でありました。このあたりをみると、今川義元という武将は、単なる「京都かぶれに軟弱な武将」ではなく、当時の経済状況をしっかりと把握した上で、緻密な政略構想を繰り広げる「智将」であったようですね。

一方、攻め込まれる側の尾張の「信長」ですが、尾張を統一したといっても、伊勢神宮の商人たちは今川方に鎧の原料の皮革といった軍需品を輸出したりするなど、国内はまだまとまっていない状況です。

この状況を的確に把握する義元の尾張攻略戦略は

ということで、伊勢湾貿易の拠点を制圧し、米の備蓄も多い清州城に織田軍を籠城しようとも、彼らの経済力の根幹を絶ってしまう戦略ですね。ここで、迎えつつ信長の重臣たちは大高城を見捨て、清洲城籠城の作戦を支持するものが多数なのですが、

信長は

といった馬廻衆と津島の商人たちとの結束を固めるとともに、今川勢が食指を伸ばす「熱田」の商人たちの引き止め工作を展開。熱田神宮に単騎で、信長が出向くのですが、この時、信長に動きについていけたのは馬廻衆だけだった、という話もあるので、織田勢の旧臣たちは信長の作戦にあまり賛同せず、あくまで清洲籠城にこだわっていたということなのでしょう。そして、ドラマなどでは、大軍の今川勢に対峙する前に、地元の熱田神宮に戦勝を祈願したということになっているのですが、実質のところは、有力な商人連合である「熱田商人」を織田方に引き止め、かれらが抱える私兵の「熱田衆」を自軍に組み入れる作戦であった、と筆者は推論しています。

そして、熱田衆を味方にした信長は、今川方の全軍が見渡せる位置にある善照寺砦に入り、今川義元の本陣を見極め、そこに奇襲をかけるという捨て身の作戦を採用します。その先鋒をつとめるのが、先述の「熱田衆」なのですが、その作戦は今川義元の想定内。以前、信長の父・信秀が三河侵攻を図ったときに、信長の兄・信広の軍勢を打ち破り、織田軍を壊滅させた今川方の勇将・岡部元信が、しっかりと網を張っています。

さて・・、ということで、ここから先は原書のほうで。

【レビュアーから一言】

今川義元がこの当時、「今川仮名目録追加」という新しい法律でつくりあげたのは

といった制度で、この時期に落ちずれていた小氷河期が起こす天候不順による飢饉で難民化した民衆に今川家から、食料を提供したり紛争を解決したりすることで、地侍たちの配下に組み入れ、その地侍をさらに今川家の武将たちの下に組織化し、その上に今川義元が君臨するという「重層的」なもので、おそらくは当時の一番最先端の「統治組織」であったと思われます。この緻密な組織に、秩序立っていない、「信長」たちがどう立ち向かうのかといったのも、このシリーズの読みどころでありますね。

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