作成者別アーカイブ: takafam

元許嫁・瑠璃の心を騒がせる”男性”が登場するのだが・・・ — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 菊花酒」(時代小説文庫)

最初、短編で始まった物語もシリーズ化してくると、だんだんと中編・長編となることが多いのだが、この料理人・季蔵シリーズも一冊で筋立てが完了するといった態になってきた。
 
さて、シリーズ第9弾の収録は
 
第一話 下り鰹
第二話 菊花酒
第三話 御松茸
第四話 黄翡翠芋
 
の4作
 
まず、最初の「下り鰹」で、前作で昔、盗賊であったことが明らかになった亡き松島屋のところから珊瑚細工の簪が盗まれたところが判明する所から始まる。どうやら骨董屋・千住屋の仕業らしいのだが、確証はなく、といったところだ。また、最初の「下り鰹」で、この巻の助演を務める内与力の清水佐平次に登場し、季蔵の武家時代の許嫁・瑠璃に気に入られた風で、季蔵が心穏やかでないところが次の話以降の微妙な布石になる。
料理は、江戸人が「猫またぎ」として下手に見ている「下り鰹」で、見事な料理をつくるもの。もっとも、下り鰹が脂がのって旨いのは現代では常識だから、まあここは季蔵の常識にとらわれないチャレンジ精神を評価するところ。
 
続いての「菊花酒」は最初、季蔵が春の筍料理に使う筍をいただく寺の住職の昔話から始まるので、てっきりそちらの方へ向うのかと思いきや、前話で登場する内与力・清水佐平次の家庭の話へと移っていく。奉行はこの清水に裏稼業も手伝わせたい様子で、品定めが始まるといったところ。奉行が手土産にする「万福堂」の最中が次話への橋渡し。
 
三話目は、急に舞台が変わって、江戸市中に出回る「松茸」の市場流通を操る謀みにかかわる話。松茸の大産地である松原藩の若い江戸家老がでてきたり、菓子の最中を商う「万福堂」がこれに暗躍していたりとやけに騒がしい展開である。「松茸」料理ということで、炊き込みご飯や吸い物、焼き松茸といったありきたりのものが多く、松茸を保存するための「塩松茸」や「干し松茸」あたりが珍しいところか。
 
最後の「黄翡翠芋」では、この巻で登場する清水佐平次と前話で登場する松原藩の江戸家老とか斬り合ってふたりとも死んでしまう。しかし、その骸が怪しげな僧侶によって持ち去られ、といった展開。この二人が「不滅愛」という紙切れをもっていたっていうのが、一連の珊瑚の簪をはじめとする秘宝の盗難事件と今回の二人の死亡事件の鍵なんであるが、「不滅」「愛」なんて言葉は通常の色恋沙汰でっは使わない類の言葉であるよね。
結局、松茸流通を闇で支配していた「万福堂」もこれに関連して頓死するのだが、本当の悪党はまだ見えて着ないところでこの巻は終了。「黄翡翠芋」ってのはどんな料理・・と期待するも、ちょっと肩透かしをくらわせられる。
 
ともあれ、季蔵と元許嫁・瑠璃との間で波紋を呼びそうな男は、最初さっそうと登場し、あっという間に露と消えてしまうのは、あっけないといえばあっけないのであるが、まあシリーズの安定的な展開のためにはやむを得んかもしれんですね。
 

「AI]に追い抜かれるのはいつなのか、と「親」のような気分で考えてみる — 斎藤和紀「シンギュラリティ・ビジネス ーAI時代に勝ち残る企業と人の条件」(幻冬舎新書)

新しい技術というものは当然。光の部分と影の部分があって、どちらにその目を向けるかがくっきりと分かれるものだのだが、「AI」については、職が奪われるという否定的な側面が結構強く主張されているような気がする。
もちろん「AI」が人間の知能を追い越す「シンギュラリティ」が来るかこないかなんて当方が予測できるものではないんだが、少なくとも「来るかもね」といった態度で鋳たほうがなんとなく良さそうな気がしている昨今ではある。
 
本書の構成は
 
第1章 シンギュラリティとは何か
第2章 爆発的進化で起きる、六つのD
第3章 人間が死なない、働くなくてもいい社会
第4章 第四次産業革命が始まっている
第5章 エクスポテンシャル思考でなければ生き残れない
第6章 これが世界最先端のシンギュラリティ大学だ
第7章 シンギュラリティ後をどう生きるか
対談 AIと人間これからどうなる 
 
となっていて、「シンギュラリティ」あるいは「AI」開発の直近の状況をレポートしながら、「シンギュラリティ」後の人間の暮らしについて言及しようという意図。
こうした技術の進展は、とてつもない進度で進む時があるので、「直近」というのが、すでに遅れている状況なのかもしれないが、当方のような一般人には十分なレベルの新書であろう。
 
で、「AI」の進化状況については当方がつたない要約をするよりも、原書のあたったほうがよいと思うので省略するが、気になるのは、こうしたAIを始めととする最新科学の進化によって
 
第四次産業革命は始まったばかりですが、今後はこの世界規模の大変革が第五次、第六次・・・と立て続けに起こると予恕されます。
いまのうちに基本的ななマインドセットを変えなければ、国も、企業も、個人も、時代の変化に置き去りにされてしまいます。
国家レベルげの事業について考えると、これからの革命できわめて重要な意義を持つスーパーコンピュータの研究・開発がひとつの鍵になることはいうまでもありません。まさにエクスポネンシャルな進化を続けている分野ですから、いったん外国に性能の点で引き離されると、二度と追いつけないぐらいの庄が生じτしまう可能性があります。Aーをはじめとするテクノロジー革命の根底にあるのがスーパーコンピュータですからその性能の差はそのまま国力の差となって跳ね返ってきます。(P109)
 
といったところでは、一頃の「事業仕分け」が「国家戦略」とは違う「もったいないかどうか」といった議論で全ての物事を割り切ろうとしたことの国家的な不幸を思うし
 
シンギュラリティという想像を超える現象に向けて、エクスポネンシャルなテクノロジー進化がさまざまな分野で破壊的な局面を迎えることが感覚的に理解できれば、好むと好まざるにかかわらず、生き方や考え方を変えざるを得ません。
(中略)
米国では、二OO五年以降に生まれた新しい職種はすべて「非正規雇用」の仕事です。遅かれ早かれ、日本でも正規雇用の職業は生まれなくなると与えたほうがいいでしょう。(P131)
 
といったところでは、雇用論と科学の進化とがぎりぎりときしみあっている音を聞くようである。
 
発想法として「おや」と思ったのは
 
アクト・オプ・ボックス」という発想です。
私たちは既成概念という「箱」の小で物事を考えがちですが、「箱」の外にも開界があるとすれば、小さな箱を少しずつ大きくするのではなく、一気に10倍を目指す姿勢にもなれます。さらにいえば、そして、そもそもそこに「箱」があるのかどうかを疑ってみる。そもそもその「箱」は、私たちがっくりあげた幻想かもしれないからです。(P141)
 
といったところで、知らず知らずの内の「限界」を突き抜けるためは、革命的な技術革新への期待がないまぜになる必要があるのかな、と夢想してみる。
 
ともあれ、AIのこれからの課題は、どこまで「不完全な情報の下で適当にやる能力」を習得すること、であったり、、感情移入や、物事に因果関係を見出す能力を身につけること、であるらしく、人間になろうとするかに見える「AI」をなんとなく身近に感じされてしまうのは幻想でありのでしょうか。
 

「教養」という言葉で何を連想しますか? — 出口治明「人生を面白くする 本物の教養 」(幻冬舎新書)

「教養」という言葉ほど、日本の近現代の中で、明治から昭和初期の頂上のあたりから、バブル崩壊後グローバリズム全盛期の底辺期まで、毀誉褒貶のアップダウンが激しかった言葉もないような気がしている。
 そして、現在の混沌期も「教養」というものに対するう胡散臭そうに見る目は衰えていないように思えるのだが、そんな時に「教養」の価値を高らかに訴える「出口治明さんの言説は小気味いい。
 
構成は
 
第1章 教養とは何か
第2章 日本のリーダー層は勉強が足りない
第3章 出口流・知的生産の方法
第4章 本を読む
第5章 人に会う
第6章 旅に出る
第7章 教養としての時事問題ー国内編ー
第8章 教養としての時事問題ー世界の中に日本編ー
第9章 英語はあなたの人生を変える
第10章 自分の頭で考える生き方
 
となっているのだが、この順番のとらわれず、出口流の「教養主義」と思って自由に楽しんで読んだほうが良い気がする。
 
で、そういう読み方をする場合、気になった言葉、フレーズをあちらこちら書き散らのも許されるはずと勝手に思ってレビューしてみよう。
 
最初に「うっく」となるのは冒頭の方の
 
教養」とは生き方の問題ではないでしょうか(P18)
 
といったところで、ひさびさに「教養」というものをここまで持ち上げる話は見ないですね〜、と驚かされる。
 
さらには、アメリカの学生の
 
米の大学生が在学中にどのくらい本を読んでいるかを調べた調査がありました。
それによると、日本の大学生が平均約一○○冊の本を読んでいるのに対して、アメリカの大学生は平均約四○○冊という結果が出ていました。
じっに日本の四倍、勉強量に圧倒的な差があります。
 
 
とか、イギリスの
 
「インドを失った連合王国はもはや今後大きく成長することができない国家です。
いわば、没落が運命づけられている国です。学生たちには、そのことをしっかり認識してほしいと思っています。オックスフォードは明日の連合王国を担っていくエリートを輩出する学校ですから、未来のリーダーたちに、連合王国の現実を過不足なくしっかり理解してもらいたいのです。そして、没落を止めることはできないまでも、そのスピードを緩めることが、いかにチャレンジングな難しい仕事であるかを理解し、納得してもらいたいと考えています。」
 
といったところに世界帝国である(あった)国の矜持に感嘆するとともに、留学生の状況や今までの歴史的蓄積から、日本は中国に抜かれ離されるのであろうかな、という危機感と、「あぁ、やはり日本は武辺のくにであったのか・・」と嘆息してしまうのである。
 
まあ、こんな偏屈な読み方はしなくても、一つの分野を極める方法として
 
たとえば、何か新しい分野を勉強しようとするときは、まず図詳館で、その分野の厚い本を五、六冊借りてきて読み始めます。
分厚い本から読み始め、だんだん薄い本へと読み進んでいく。
これが新しい分野を勉強しようとするときの私の読み方のルールです。
 
分厚い本には詳しく商度なことがたくさん評かれていますから、岐初は何が沸いてあるのか分からず、読むのが大変です。しかし、「この分野について勉強しよう」と決めているのですから、辛抱してていねいに読みます。それでも、たいていは部分的にしか理解できませんので、岐初の一冊は「点の即解」にとどまります。
二冊目を読むと、こんどは少しずつ点と点が結びついてこれまで理解したことがつながり始めます。「線の理解」、すなわち線が浮かんでくるのです。分厚い本を五冊ぐらい読んでから薄い本を読むと、それまでの点がすべて線になってつながり、さらには「なるほど、この分野はこういうことなのか」と全体像が見えてきて、一挙に「面の理解」に広がります。
極論すると、いままで読んだ本すべてが、同時に脈に落ちるのです。
 
 
一カ月ぐらい時間をかけて一○冊ほど読むと、もう大丈夫です。
その分野に詳しい人と話をしても、何を言っているのかが分かり、会祇が楽しくなります。私はこのようなやり方で、新しい分野を開拓してきました。
 
といった一種の実用的なテクニックも披瀝されているので、その点はご安心を。
 
ただまあ、本書の効用は、「生産性」あるいは「効率」だけの議論で、心が荒れてきた時に
 
どのような問題であれ、「幹」と「枝葉」を峻別して考えていくことが必要です。
どんな事例でも一○○%メリットだけという話は存在しません。
必ずメリットとデメリットが混在しています。
まだら状のなかにあって肝心なことは何か、何が「幹」で、何が「枝葉」かを見極めていくことが、大局的な判断を謝らないために求められているのです。
(P200)
 
といったことを胸において、書物とともに着々と人生の「歩」進めていくべきことが大事であること教えてくれるところなのかもしれんですね。
 

怪談落語の影には、昔の未解決事件あり — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 へっつい飯」(時代小説文庫)

シリーズ8作目の季節は夏で、6作目と同じ趣向で、落語仕立てである。ただ、6作目と少々異なるのは、収録されているそれぞれの話が完全に独立ということではなくで、太い筋を基本において、一つの話としてまとまりをもっていること。
 
収録は
「へっつい飯」
「三年桃」
「イナお化け」
「一眼国豆腐」
の4話
 
おおまかな展開は、夏の盛りの暑さを忘れる趣向で、落語の怪談会が開かれることになる。もちろん、落語にちなんだ季蔵の料理が供されることになるのだが、怪談会の進行に併せて殺人事件が起き、昔の盗賊の事件の解決に繋がっていくというもの。
 

語られる怪談は、「へっつい飯」が”へっつい幽霊”、「三年桃」が”三年目”、「イナお化け」が”お化け長屋”、「一眼国豆腐」が”一眼国”で、それぞれ供される料理は、それぞれ、熱いかけ汁をかける丼飯、桃の白酒かけ、イナ(ボラの小さいの)尽くしであらいと梅和え・竜田揚げ・押し寿司・イナ饅頭、江戸と上方の豆腐料理で、木綿豆腐を使った田楽と冷やうどん豆腐。

 
中でも聞いたことがないのが「イナ饅頭」で
 
(イナのワタをとり、背骨まで取り除いたものに)甘味噌の八丁味噌に、戻した干し椎茸と葱、人参のみじん切り、麻の実を加えて練ったもの・・を腹からたっぷりと腹に詰め
 
焼いたもので、本書によると「尾張」に伝わる料理らしい。
 
もうひとつは「冷やうどん豆腐」で
 
きしめんのように切った豆腐を、汲み立ての井戸水で冷やし・・煎り酒で煮付けに使う、味醂風味以外のもの、梅風味、鰹風味、昆布風味を倍に薄めてつゆに
 
したもの。どちらも、夏には気を引きそうなものではある。
 
本書で気になるのは、殺された岡っ引きの娘、美代吉親分と同心・田端の中なのであるが、その結末は素ご想像どおりではあるが、最後の方で明らかになる。一方で、最後でどんでんをくらわせられるのが、親切そうな顔に隠された、旧悪の顔というやつなのだが、このシリーズの悪人には珍しく、人間、年齢を重ねて守るべきものができると、骨の髄まで悪に染まっているのが、幾分か抜けていくのかね、というところ。

物語は進行する。けれど謎は深まる — 坂井希久子「居酒屋ぜんや ころころ手鞠ずし」(時代小説文庫)

「ほかほか蕗ご飯」「ふんわり穴子天」に続いての「居酒屋 ぜんや」シリーズの三作目。
 
収録は
 
「大嵐」
「賽の目」
「紅葉の手」
「蒸し蕎麦」
「煤払い」
 
 の五話。
 
林只次郎も「ぜんや」の馴染となってきて、そろそろ女将の「お妙」との仲が心配になるあたりなのだが、男女の仲はそう簡単にはいかないのが、今のご時勢と違う所。
 
ざっくりとレビューすると
 
最初の「大嵐」で只次郎と鶯仲間であった「又三」が殺されるのだが、その犯人探しは、また後で。ということで、貸本屋もやっている大家の失せ物探し。雨を避けるため、あちこちに避難させた草双紙の一冊がない、とぜんやが疑いをかけられる。そんなに貴重なものか、と皆が色めきたつのだが・・・、というのが主筋。
 
「賽の目」はお妙を襲った駄染め屋の行方を捜すため、只次郎が、旗本屋敷で開帳される賭場に潜入する話。
 
その賭場で食う「具は烏賊だ。衣は分厚く目いっぱい油を吸い、身は恐ろしく硬い」という屋台の天麩羅と、ぜんやで供される「細めのサクに衣をつけて揚げたものを三切れ皿の載せてある。衣と身の間には、くるりと海苔が巻かれていた。・・・断面の繊維に沿って、地艶やかな脂が滲み出ている。さくりと歯を立てるとたちまち、それが、口の中に広がった」という戻り鰹の天麩羅の対比が絶妙ではある。
 
三話目の「紅葉の手」は、ひさびさに升川屋のご新造・お志乃の妊娠にまつわる騒動。姑と旦那が冷たいと、奥座敷に篭ってしまったお志乃と姑の和解をとりもつ話。双方に悪意がなくても、行き違うと人間関係拗れるよね、というもの。今回の表題の「手鞠ずし」は、この三話目出て来るのだが、押し寿司が主流であったこの頃に、寿司が食べたいというお志乃の希望をかなえ
 
お志乃のおちょぼ口にあの大きな寿司は不粋ではないかと思われた。ゆえに茶巾絞りの要領で、たねと飯をひつつずつ。キュキュッと小さくまとめたみた。
たねは小鰭、海老、烏賊、鯖、甘鯛、平目、鮪。薄焼き卵で包んだものは、多産を祈って酢蓮根の薄切りを乗せてある。
甘いものが好きなお志乃のために、蒸した南京を潰し、茶巾絞りにしたのも用意した
 
という、お妙が用意した手の込んだもの。現代でもこういうのが出す料理屋があると通いづめになるよね。
 
4話目の「蒸し蕎麦」では、あれほど探しての見つからなかった駄染め屋がお縄になる。さらには、林家の上役である「佐々木」が絡んでいる模様。彼がどういう自白をするか、が気になりつつも、今回の料理は茹でるものと決まっている切り蕎麦を昔は蒸したということだ、という話からそれを復元しようという話。で、又三を殺したのも駄染め屋であることが判明する所で次の話に続く。
 
最後の「煤払い」は、駄染め屋が捕まり、又三殺しとか諸々を白状したのだが、真実のところを誤魔化して「お妙」に伝えていた只次郎が窮地に陥る話。惚れた女が傷つかないように、と慮ったのが裏目に出たんですな。
 
さて、物語は進展していくのだが、お妙が佐々木によって監視されていた理由とか、お妙の亭主が本当に事故死したのか、といった諸々の謎はまだ解けてこないので、消化不良の感がありますな。次の4巻目ですっきりとするのでありましょうか。
 

立身出世だけにとらわれない、汎用的な「リーダー論」の基本書の一つ — 河野英太郎「99%の人がしていないたった1%のリーダーのコツ」 (Discover)

前著「99%の人がしていないたった1%のコツ」で仕事の段取り関係のビジネス本で評判をとった著者の今度は「リーダー論」。
「リーダー論」というと、どうしても会社などの組織上の「地位」と密接不可分なところがあって、例えば佐々木常夫氏の「そうか、君は課長になったのか」とかは管理職という側面がセットになっているのだが、本書は、そういう会社内のランクとは別の「リーダー論」として読むべきで、それは「はじめに」の冒頭の
 
リーダーとはあくまでもチームや組織で仕事をする上の「役割」であり、特別、り‥ダーが偉いわけでも、価値が高いわけでもない
 
といったところで、立ち位置を示している。
 
 
で、構成は
 
CHAPTER1 メンバー選びのコツ
CHAPTER2 仕事の依頼のコツ
CHAPTER3 メンバー評価のコツ
CHAPTER4 トラブル対処のコツ
CHAPTER5 チームを前進させるコツ
CHAPTER6 モチベーションを高めるコツ
CHAPTER7 人を育てるコツ
CHAPTER8 自分を整えるコツ
 
となっていて、「組織管理」ではなく「チーム管理」という色彩が強い印象で、
 
実際には、すべての領域で自分が「トップ」であることを優先した結果、チームの目標が達成できないほうが、人心は離れていきます。
いかに自分より優れた人に働きやすい環境を提供するかが、リーダーの仕事であるとすらいえるのです
 
 
 
リーダーや一部のだれかばかりがメンパーを引っ張り、それ以外のメンパーはあとに続く、というチームであってはいけません。
それではチームで仕事をしている意味が半減します。
リーダーの能力以上の成果が出ない組織になってしまうのです
 
といったところを見ると、いわゆる「立身出世術」とは一線を画するリーダー論であり、「リーダーの職能」論として読むべきであるようだ。
 
であるから
 
チーム編成をするときは、「前に出て引っ張る人」「全体を冷静に見渡す人」「専門分野で貢献する人」「それぞれを支える人」など、個々のリーダーシツプの特徴を見極めることが重要です
 
 
仕事の制り振りを考えるとき、どうしても一部の人に仕事の配分が集中してしまうことがあります。
 
私はそれでもやはり、まずはうまくやれそうな人に依頼すべきだと考えています。過去の経験では、できる人というのは私の想定以上のパフォーマンスを出すケースがほとんでした
 
と「組織をうまく運営する」というよりは「組織体のパフォーマンスを上げる方法」といったところが顔を出すのはやむを得ないが、一方で、会社などのオフィシャルな組織だけでなく、いわゆる「組織」全般でのリーダー論として汎用性は高い。
 
 
ただ、もちろん
 
駆け込んできた人に対して「解決策を考えてからもつてこい!」という対応をしてはならないということです。
なぜなら現場で解決策を考えているうちに、解決できないところまで状況が進んでしまうことがあるからです。
 
といった組織運営のコツも披瀝されているのでご安心を。
 
初版が2013年であるので、すでに4年が経過した本ではあるが、基本書は少々以前の本であっても、目を通しておくべきで、この本もその「基本書」の一冊である気がしますね。
 

「ミス」は続くよ、どこまで、といってもいられないあなたへの処方箋 — 中田亨「事務ミス」をなめるな (光文社新書)

ミスや意図しない手抜きといったことが組織の命運や行く末を左右することが多くなったご時勢である。しかも、「ちょっとしたこと」というのが、以前に比べて比較にならないほど影響力を持っているように思える。
そんな時代にあって、「ミス」が起きる原因、そして組織的な防衛の方法についての、新書ながらしっかりまとめてあるのが本書であろう。
 
構成は
 
Ⅰ 理論編 なぜ人はミスをし続けるのか
 第1章 人は「有能」だからこそ間違える
 第2章 間違えのメカニズム追究はきりがない
 第3章 そもそも「間違い」とは何か?
 第4章 時代が事務ミスを許さない
Ⅱ 実践編 ミスはこう防ぐ
 第5章 ミスの解決は「6つの面」から考える
 第6章 「気付かない」から事故になる
 第7章 異変のはじまりはどこか
 第8章 「ミスをしないこと」は目標になりえるか
 第9章 御社の「手順」はムダだらけ
 第10章 氾濫する「ダメ書式レイアウト」
 第11章 「ミス」に強い組織に変える
 
なっていて、まず、「おおっ」と思うのが、ミスが起きる原因で
 
「能力が無いからミスをする」ではなく、「むしろ能力の副作用でミスをする」
「ミスの大半は素人がしでかす」から「玄人のミスも警戒すべき」
 
といった方向にミスが起きる原因を修正すべきといったところであるし、
 
人間の頭は、意思とは関係なく、強制的かつ即時的に、情報の乱れを除去してしまうことがわかります
 
といった人間の能力の高さゆえのミスの発生といったことも気づかせてくれる。
 
そして
 
各作業を失敗せずに実行できる能力を、作業確実実行力と言います。
ミスをせず、無駄を出さず、締め切りに遅れずに、所定の品質を満たす結果を出す技能のことです。
しばしば、この技能に優れている人は優秀であると表彰されます。
しかし実際には、作業確実実行力は、事故防止に対してあまり効果がありません。
 
といったところは、いわゆる世間の「優秀」という概念が「ミスの発生」という観点とは全く別に考えるべきであると提案するあたり、世間の「デキる人」思想への挑戦でもあるらしい。
 
もっとも、ミスの発生防止には
 
ミスの対策を考える人は、必ず現場に足を運ばなければいけません。
現場に行き、現物を見て、現実を知ることが肝腎なのです。
これを「三現主義」といいます。
 
「ご視察」は三現主義とは全く異なるものです。
現場を見るには、抜き打ちで気まぐれなコースを歩み、閉ざされた扉を自発的に開ける探求心がなければいけません。
 
とか
 
第二次世界大戦中、イギリスのチャーチル首相は、自分に送付される文書の膨大さにしびれを切らし、ついにお触れを出しました。
 
◯どの文書も1ページ以内に納めること(書ききれない場合は、詳細情報へのアクセス方法を付記すればよい)。
◯要点を箇条書きする。
◯明確に言い切ること(何をすれば良いのかが曖味な指示や、「ご参考まで」の情報を書かない)
 
といったあたりは、やはり現場主義、物事は単純にしる。といった基本原理が有効であることを示しているのかもしれない。
 
なにはともあれ、仕事をしていればフツーの人は「ミス」は付き物。うまい具合に付き合いながら、できるだけ大きな被害ないようにやっていく方法を、それぞれに模索するしかないようで、本書はそんなあなたの一助になる(かもしれない)一冊ですね。
 
 

幕末の落語家の周辺で起きる事件の数々 — 和田はつ子「円朝なぞ解きばなし」(時代小説文庫)

料理人季蔵シリーズとは同じ作者の噺家の三遊亭円朝を主人公にした推理譚。今回の主人公は岡っ引きでもなく、裏稼業をしているわけでもないので、日々の暮らしの周辺で起きる事件なのだが、物語が進行するにつれ、有名な盗賊が絡んでくるのが捕物譚の所以。
 
収録は
 
「幽霊師匠」
「怪談泥棒」
「黄金往生」
 
の三話。
 
ざっくりとレビューすると、最初の「幽霊師匠」は円朝の師匠の二代目円生が幽霊となって家族の住む家のあたりに現れるという話。円生は、自分より芸達者な円朝に嫉妬して数々の意地悪をいたが、まだ恨みが残っていて、この世の現れるらしい。円生の家族の家の近くでは、その噂を嫌ってか、引っ越しが相次ぎ、今や1〜2軒を残すばかりなおだが、その幽霊話の裏で企まれていたのは・・・、という話。少々、シャーロック・ホームズものを思い起こさせますな。
 
「怪談泥棒」は、円朝が、おとうと弟子の遊太を助けるために、遊太の知り合いの金持ちの隠居のところで、四谷怪談を音曲無しで演じるというもの。ところが、この席で隠居が所蔵する高価な茶道具が盗まれ、円朝がその嫌疑をかけらっれる話。謎は謎として、円朝の自分でも気づかなかった「恋心」に気付くのが、次の三話目の伏線となる。
 
最後の「黄金往生」は、円生の娘のお園と円朝を添わさせようという、円生の妻「おりん」の動きと並行するように、知り合いの岡っ引きやら、隣家の番頭やらが変死する。いずれも有名な盗賊が関わっているようなのだが・・・、という話で、ネタバレっぽくいうと、犯人は身内にいるっていうオーソドクスな仕立てではある。
 
三遊亭円朝はWikipediaで調べると、江戸末期から明治時代の噺家で人情噺や怪談話の名手。真景累ケ淵や牡丹燈籠の創作者でもあるらしい 。本書でも、その名人ぶりや真面目な暮らしぶりは、丁寧に描写されている。ただ師匠の二代目円生にひどく嫌がらせされたり、師匠の奥さんの「おりん」に岡惚れしているなんてことはWikiには出てこないので、この辺は”お話”として読んでおくところか。
 
どちらかと言えば、捕物風が強くて、江戸末期の寄席ものの風情があまりないののは残念だが、円朝の真面目な人柄が良い味を出している。また、当時の落語家の楽屋裏、ネタ裏みたいならところも感じられて、変わり種の芸人ミステリーといったところでありましょうか。ただ、シリーズものにはなっていないようで、この辺は、円朝や師匠の円生遺族の近辺でおきる事件の謎解きまでで、広めに物語が展開で行きなかったせいもあるかと推察。激動の時代を生きた噺家なので、この一冊で終わるのはちょっと惜しい気がしますな。

長次郎が残した幻の料理は復活できるか? — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 おとぎ菓子」(時代小説文庫)

シリーズもの、特に書き下ろしものは、一冊一冊の趣向が決め手になるものなのだが、今回の7巻目は、季蔵の師匠の長次郎が残した料理帖に記された謎の料理を復元していくのが、今回の工夫。
 
収録は
 
「春卵」
「鰯の子」
「あけぼの薬膳」
「おとぎ菓子」
 
の四編。
 
最初の「春卵」は文字通り「卵」の料理の復元。そのために、塩梅屋の名物である「煎り酒」の変わり種が作り出されていくさまが楽しい。事件の方は、粋香堂という香の店で起こる惨事。もともとは、店を継ぐ孫息子が、道楽にはまってしまうというのが発端なのだが、とんだ色恋沙汰での人殺しである。
 
次の「鰯の子」は、おき玖の昔の三味線のお師匠さんであった「おうた」が話の引き回し役。彼女の元の嫁ぎ先の海産物問屋の撰味堂が、店を江戸一番に復活させていと少々欲を出したやり手の主人が罠におちいってしまう話。話としては、最後の所で、「おうた」と撰味堂の娘が和解するところで救いはあるのだが、苦味の強い話である。
そのせいか、ちりめんじゃこのかけ飯の「千疋飯」や
 
まず、漬け汁をつくる。酢、水に味醂風味の煎り酒と少量の醤油、ごま油を鍋で煮立たせ、ここに小口切りにした唐辛子を入れ、小指半分ほどの大きさで、縦割りに切り揃えた葱、薄切りの椎茸、戻して千切りにした木耳を加え十数えて、火からおろす。
頭と臓物を除き、水洗愛した鰯を笊に上げ、よく水気を切ってから、小麦粉をまぶして、油でからりと上げ、熱いうちに漬け汁に漬けてよく味を染み込ませる。
 
という鰯のカピタン漬けがことさら魅力的に感じる。
 
三話目の「あけぼの薬膳」も長次郎の幻の料理の復活が伏線。主筋としては、季蔵の実の弟の堀田成之助が登場と彼の縁談話とその相手先の「良効堂」という薬種問屋の火事の原因究明。この話で、一話、二話の裏筋にいるらしい医者の姿が見えてくる。
 
最後の「おとぎ菓子」は一話から三話の全ての謎解き。その原因となるにおは、長崎奉行の任官騒ぎにあるらしく、役得の多い職はとかく騒動を起こすもととなるらしい。伏線となる料理は、白餡に求肥を加えて、弱火にかけた鍋の中で混ぜ練る菓子「練り切り」でお伽話の登場人物をかたどったもの。事件の鍵となる殺された赤蛙屋の幼い娘の描写がいじらしい。年齢を重ねると、幼い子供の姿や描写にほろりとしてしまうな。
 
ということで、7巻目もおしまい。全体の構成は、一話一話が独立しつつも、最後の第4話に向かって謎が解きほぐされていくといった構成。料理も多種彩々であるので、そちらもお楽しみあれ。

大きすぎる「幸運」はでんぐり返ると、とんでもない「不幸」になる — 和田はつ子「料理人季蔵捕物控 時そば」(時代小説文庫)

シリーズものは登場人物や設定が落ち着いてくると、ちょっと変わり種が忍び込まさされるものなのだが、この6巻目がそれに相当するのかもしれない。
 
収録は
 
「目黒のさんま」
「まんじゅう怖い」
「蛸芝居」
「時そば」
 
の四話。大筋は、元噺家で今は廻船問屋を継いでいる、長崎屋・五平が、女房の元娘浄瑠璃の水本染太夫こと「おちか」の頼みで、店で噺を聞かせる会を開くことになったのだが、そこへ出す料理を、季蔵が出すことになる。その料理、噺に負けない工夫があって、しかも旨いことが求められるのだが・・、というもの。ただ、単なる噺会ではすまずに、殺人事件などが起きるのが捕物帖のお決まり。
 
最初の「目黒のさんま」は、長屋の小町娘・お恵が、大店・和泉屋の若旦那に見初められて玉の輿に上がる話なのだが、その父親が嫁入り支度の費用捻出に悩んでいると占い師の予言でおもわぬ大金が手に入ったり、あやしげな娘霊能力者が、お恵の事故を予言したり、とあまりめでたくない話が振られる、この四話の導入譚。
話を彩る料理は、洗って水加減した米に、おろした生姜の汁と醤油、酒、味醂を垂らして炊き上げ、塩焼きの秋刀魚の身をほぐして入れて、さっくりと混ぜ合わせる「かど飯」が話の糸口となる。
 
二番目の「まんじゅう怖い」で、前話で玉の輿が決まったお恵が、なんと身投げをして死んでしまう。巷の噂で和泉屋の嫁入り修行でいじめられたのでは、といった話が流れる中、和泉屋の態度がひどく冷たくなる。お恵の父親の吉三はその心変わりをいまいましく思っていたのだが、といった感じで、「目出度い、目出度い」で浮かれていたら、すとんと大きな落とし穴にはまって、しかも底に溜まっていた水でずぶ濡れになるような展開である。
 
三番目の「蛸芝居」は、一話目、二話目をうけて、今度の玉の輿話の、裏の筋立てがだんだんと明らかになってくるというもの。この巻で重要な位置を占めるのは、第一話で嫁入り費用が神助で手に入ると予言した占い師・黄泉山日之助と周囲に蠢く商人たちで、この「蛸芝居」では、お恵の幼馴染で、彼女の婚礼にあやかって儲けようとした「おわか」と彼らの意外な関係が明らかになる。
ちなみに「蛸芝居」というのは上方話であるらしく、当方もこの話は全く知らなかった、全話がどこかで聞けないものだろうか。
 
最後の「時そば」は長崎屋・五平の噺会の最後となる話。ここに至って、占い師たちの影が五平の奥さんの「おちず」の懐妊に関連して長崎屋の中にも入り込んでいることが判明する。この占い師と彼とつるんでいる中西屋という商人、そしてその裏側にいる奉行所役人はなかなか尻尾を見せないといったところで、久々に季蔵が「裏稼業」で決着をつける。その時に使う料理は、芝居役者の蕎麦についての発句を書いた箱の蓋に蕎麦切りを盛った「歌仙蕎麦_という料理で、蕎麦切りには、生臭いほど卵を入れた「卵切り」であるらしいのだが、当方には具体像が浮かばなかった・・・。浅学かつ不粋であるな、と反省した次第。
 
さて、この料理人季蔵シリーズの楽しみの一つは、話の合間合間に出てくる料理の数々なのだが、このレビューでは「秋刀魚のかど飯」ぐらいしか取り上げなかった。原書でお楽しみあれ。