「昭和的強制のつながり」は令和になってどうなるか? ー 本田直之「ゆるいつながり」

ほぼ十年ぐらい昔の、ちょうど「平成」の真ん中頃に、「レバリッジ」ブームを起こした、本田直之氏による「人のつながり」についての著述が本書『「ゆるいつながり 協調性ではなく、共感性でつながる時代」(朝日新書)』である。「人のつながり」と書いたのは、本書の「はじめに」のところから引用すると


「なにかを得るために人脈をつくろう、人脈をつくればなにか得をするだろう」というような発想で人とのつながりを築こうとすることは、スタートから間違っています

ということで、世間でよくいう「「人脈は金脈」「人脈をつくってビジネスを成功させる」といったこととはちょっと違っている。筆者によれば「仲間に貢献することを大前提としたコミュニティやネットワークのあり方」について書いたとのことだが、レバリッジ人脈術、レバリッジ時間術、レバリッジ・リーディングなど「レバリッジを効かす」というフレーズで、ブームを起こした筆者による、新しい時代の「人脈」「人とのつながり方」は、よくある「人脈本」とは一味ちがうのは間違いない。

【構成と注目ポイント】

第一章 強制的つながりに疲れてきた日本人
第二章 「ゆるいつながり」の登場
第三章 つながりに必要なのは、協調性より、共感性
第四章 SNSで疲れる人、世界を広げる人
第五章 「ゆるさ」こそ多様性の源
第六章 AI時代・人生100年時代を生き抜くつながりの法則

となっていて、まず本書のキーワードの一つは「昭和的強制のつながり」で、その特徴は

①人間関係が濃密なようで、希薄
②人と知り合うためのハードルが高い
③知り合える人の範囲が狭く、画一
④出る杭は打たれる

ということで、「昭和」といいながら平成の最後のほうになっても、脈々と生き残っていた「つながり方」である。

このあたりは、筆者もきちんと認識していて、SNSやメールによる情報伝達が主流になってきていても、「電話にでない」や「メールにすぐ返答しない」と怒ったり、「強制ベースの人づきあいをネット上にも求めがちです」といったあたりには、あなたの周りに(年齢をとわず)幾人も外用する人が見つかるのではないだろうか。筆者はこうしたコミュニケーションのあり方は、どんどん時代から取り残され、

少し厳しい言い方になりますが、ヨコの人間関係が音手な人はこれからの時代、ビジネスで成功を収めるのも難しくなってくるでしよう。
なぜなら、ヨコの人間関係では「能力」のある、なしが露骨にわかってしまうから。「10年先に働いているんだから、自分のほうが偉い、仕事ができる」というようなタテ発想の″言い逃れクは通用しないのです

とするのだが、これについてはどうかなー、と思う。特に大組織や地方部の方では、しぶとく「指導理念」として生き残っていくような気がするんですが、どうであろうか。

そこのところは、これからの推移に任せるとして、筆者がSNS隆盛の現代において、「理解と適応」が必要とする「ゆるいつながり方」とは

①人間関係が希薄なようで、濃密
②人と知り合うためのハードルが低い。
③知り合える人の幅が広く、多様
④出る杭は伸ばされる

ということで、「タテの上下関係からヨコの並列関係」「定住より移動」というワークスタイル、ライフスタイルの変化も同時に導き出してくるようだ。そして、そこで個人個人に求められるのは

自分のオリジナリティを磨くことで、さまざまな人とのつながりができていくというのが「ゆるいつながり」の時代の大きな特徴です。
つまり、自分自身の「価値」を高めれば自然につながりが増えていくということ

であったり

自分の価値を高めるためには、ポジティブな人とつき合うことが重要だし、自分自身もポジティブに行動することが重要です

であったりと、「ゆるい」と表現されてはいるが、けして「ぼんやり」していればよい、というわけではなさそうだ。とはいうものも、ここでしゃかりになって「〇〇へ進めー」というのは、筆者の言う「昭和的強制」の世界の話で、「ゆるいつながり」の世界は

自分に合わないことをやっても意味がないと思います。
「昭和的強制」でさえ、全面的に否定すべきものではなくて、それも含めて多様性なのではないでしょうか。

「ゆるいつながり」というのも、現実はそうした方向に確実に動いているとはいえ、多様なコミュニティのあり方の一つでしかないのです。

みんながみんなネットを駆使して、人とのつながりを必死に追い求めるという状況も、それはそれで生きづらいと思います

という景色であるようで、世の中の進み方も「隊列を組んで一直線に進んでいく」ものから「ふわっとした集団をつくってボワーっと進んでいく」みたいなものに変わっていくのかもしれないな、と思う次第である。

【レビュアーから一言】

平成から令和へと年号も変わったのだが、平成より前の時代に生まれた当方を含めた「昭和世代」としては、これからの世の中の変化がどうなるのか、なんとも掴み所がない、というのが実感ではなかろうか。働き方にしろ、ライフスタイルにしろ、一番翻弄されたのが「昭和世代」ではないか、と思っている。掴みどころがない中で、人と世間と関わっていくにはどうしたらいいか、特に新しい情報ツールにどうつきあうか、悩んでいる人も多いと思う。そういう時には、筆者の


実は、わたしはフェイスプックにしてもインスタにしても、自分で始めた頃はなにが面白いのか理解できませんでした。けれどもやり続けてみました。
なぜかと言えば、いま若者たちが夢中になっている新しいテクノロジーのことを知らないと、自分自身の価値が下がってしまうと思っているから。「わからない、自分には必要ない」とそれを避けてばかりいると、どんどん頭が固くなつて、本当に理解できなくなってしまいます。
世の中の変化に取り残されていては、わたしの仕事は成り立ちません。だから初めはなにかよくわからなくても、とにかくやってみる。
すると、自分で使っているうちにその「面白さ」が理解できるようになってきます。

という言葉はとても参考になる。とにかく「実際にはじめてみる」のが大事なような気がいたしますね。

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