本書によれば
今、世界中のデータセンターの総容量は、ゼタバイト級
ゼタとは、ギガの1000倍のテラのさらに1000倍のペタのさらに1000倍のエクサのさらに1000倍(P18)
であるうえに
この10年間で起こったのは、情報を記載した媒体の総ページ数の激増です、ほんyあ雑誌は相変わらず存在する一方で、ネット上にはおびただしい数のホーム”ページ”が存在しています、
ということで、我々の周りを取り巻く情報の量はとてつもなく増加しているにもかかわらず、それを処理する”ヒト”のほうの能力は昔とそう代わりはない状況。
そんな時によく目にするのは、いかにして情報を効率的に処理するか、ということのノウハウ本なんであるが、どうかすると、情報に振り回される方法の伝授みたいな本がないわけではない。
本書は、情報との付き合い方を、その「捨て方」「遮断方法」も含めてアドバイスしてくれる点で、類書とはちょっと違うところを見せている。
【構成は】
序章 「情報とは一体何か」
ーバカを相手にしないための手段として
1章 情報を入手する
ー24時間浴びる、しかしルートは絞る
2章 情報を「見極める」
ー「どうせうそだよね」という思考習慣
3章 情報の「非整理術」
ー整理に追われて1日を終わる人々
4章 情報を「噛み砕く」
ー解釈する力のない者は敗れる
5章 情報を「生み出す」
ー受け取るだけの人間になるな
6章 情報を「活用する」
ー面白い生き方をしたいなら
特別章 成毛眞の「情報」個人史
となっていて、前半は「情報との付き合い方」、後半が、アウトプットも含めた「活用の仕方」といった仕立てである。
【注目ポイント】
「その本を少しでも面白そうだと思ったら、その場で買うこと」とか「私は、忘れてはならないことをメモする必要が生じたら、わざわざ文字やイラスト、写真が印刷された紙を使」い、ぺんてる赤のサインペンが一番、といったTips的なノウハウも散りばめられていて、使える知的作業のLifeHackのネタもたくさんあるのだが、筆者の本の魅力の一つは、その歯に衣着せぬ話の数々で
例えば
ダメ情報はその存在を知っただけでよからぬダメージを受けると思っています。
なぜなら、ダメ情報に接し続けると、ダメ情報への免疫ができてしまい。ダ情報を見分ける能力が著しく低下するからです。情報判断の閾値が下がってしまうのです。(P27)
とあって、確かに「朱に染まれば赤くなる」と言う言葉があるが、「情報」も一緒らしい。
さらに
みんなと同じ情報しか得られていなければ、みんなと同じ「判断を下したり行動を起こしたり」という結論になるのは目に見えているからです。
みんなと同じ行動ーそれでは、”大衆”から抜け出すことはできません(P21)
と皆と一緒であれば怖くない症に釘を刺した上で、
周りに差を付けたければ、周りが読んでいない本をよまなくてはなりません。
本選びに限らず、どんな情報を積極的にとりにいくかについても同じことがいえます。
周りが「自分には関係ない」とスルーしている情報こそ、貪欲にもとめていくことが重要なのです。
(略)
自分に意外性をもたせることを意識するといってもいいかもしれません。自分の勤務先や肩書とは、最も縁遠そうなところを攻めてみてはどうでしょうか。
そのギャップは人に「面白い人」というイメージを植え付けます。面白い人には面白う人が吸い寄せられ、そこでは面白い情報交換がされます。自分を面白い人にすることも、貴重な情報を入手するためのひとつの方法なのです(P54)
としていて、「他とは違うことをやる」ことをまず推奨するあたりが、筆者らしいアドバイスだな、と思う次第。ただ、単なる効率的、有効な「情報収集」のノウハウだけをのべるのではなく、「教養」という視点を出してくるところがひと味違うところ。
筆者によれば、教養とは「捨てたつもりで捨てていない情報」ということで、捨てたつもりなのではっきりとした記憶になっておらず、仕事の情報のように即効性はないが、
教養があれば、得た情報が、自分の持っている教養の何に「似ているか」がわかります。何と「相性がいいか」がわかります。何と「組み合わせたら面白いか」がわかります。この”何と”を多く持っていればいるほど、その人はアイデアを多く生み出せるわけです(P166)
といった感じで、アイデアを生み出す「触媒」あるいは「フィルター」として「教養」を捉え直す視点は新鮮である。
【レビュアーから一言】
本書の最後は
やりたいことをするためには、不要なものは情報であれ、人であれ、切り捨てていく勇気を持たなくては、楽しい人生は送れないのです
と結構、乱暴な締めくくりになっているのであるが、自分の持てる時間が有限である以上、何を残し、何を捨てるかは常に意識しないといけないことではある。
筆者の切れのいい言葉を読みながら、自らの方法論として消化してみてはいかがでありましょうか。
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