岡田屋鉄蔵「無尽」8= 伊庭の小天狗は将軍・家茂に従って上洛するが、土方たちとの溝を自覚

幕末の四大道場といわれ心形刀流の伊庭道場の宗家の生まれで、新選組の沖田総司と並び立つ、幕府側の凄腕剣士である幕府遊撃隊隊長・伊庭八郎を主人公にした幕臣側の幕末ストーリー『岡田屋鉄蔵「無尽」(少年画報社)』シリーズの第8弾。

前巻で清河八郎の企画した「浪士組」に応募して、近藤や土方、沖田といった試衛館仲間が上洛するのを見送った伊庭八郎だったのですが、幕末の情勢はさらに動乱の気配を強くし、将軍・家茂の上洛軍の一員として京都へ向かう姿が描かれます。

あらすじと注目ポイント

冒頭では幕府が朝廷と約束した「攘夷決行の日」の約を受けて、文久三年(1863年)5月に長州藩が外国船を砲撃を始め、7月に薩英戦争が始まるところから始まります。

この対外戦争で薩摩も長州も列強諸国によってコテンコテンにやられることから、幕末の幕府の退勢につながる大動乱が始まるのですが、江戸では「西国」での遠いところでの出来事ととらえられています。当時の江戸の庶民は西国の連中が好き勝手やって迷惑をかけているという認識だったようですね。もっとも、本シリーズの描き方では、例えば英国船に砲撃した長州の高杉晋作たちは

といった感じですので、そう思うのも無理はないところです。

一方、伊庭八郎のほうは、吉原の女郎「野分」が富永に怪我を負わされたことがきっかけで馴染みになった「左近」のところで羽を伸ばしていたりしていたのですが、将軍・家茂を警固する奥詰衆候補に選ばれ、家茂の上洛の護衛隊として京都へ派遣されます。いよいよ、京都の大動乱の中に巻き込まれていくわけですね。

そして、京都に到着した八郎は、新撰組の副長となっている土方歳三に面会するのですが、彼は試衛館で一緒にすごしていた当時の「歳さん」ではありません。局中法度を定めて「血の掟」で隊士を統率し、京都市中の不逞浪士を取り締まるために、その冷たさがより強まっている状態ですね。

これは騒乱の中心にあって、浪士に殺された死体が転がっているのが当たり前のことになっている京都で、日々刀を奮っている新撰組とまだ将軍の威令の届いていた江戸にいた旗本たちとの違いもあったのでしょうが、もともと幕臣ではない土方たちが「武家」になりきろうすることにも起因していて、沖田総司の「武士になろうと藻掻く者の気持ちは伊庭さんには絶対分からない」という言葉に象徴されるように、生まれながら幕臣の中でもエリートであった「伊庭八郎」との溝は大きくなっていますね。

新撰組となった近藤・土方・沖田たちとの違いは京都への滞在期間にも現れていて、元治元年(1864年)7月、将軍・家茂の帰還にあわせて八郎たちは二月遅れで江戸へ帰ってきます。
伊庭八郎たちは6月半ばに京都を発っているので、京都で大騒乱となった「蛤御門の変」には遭遇していませんね。
ただ、この「蛤御門の変」や「列強との講和会議」でも足を引っ張ったのは、高杉晋作や久坂玄瑞ではなく、藩内の過激派老人たちだったというように描かれています、若手攘夷派は京都襲撃や外国船砲撃にも賛成しておらず、むしろ慎重派だったらしいともされています。
批判を承知で言えば、過激な老人勢力というのが一番厄介なのかもしれんですね。

巻の後半では、この蛤御門の変の失敗で京都を追われた長州に対し、帝から長州征伐の直勅が発せられます。この時、長州は英米仏蘭の四国艦隊に砲撃され大敗を喫するのですが、再び賠償金は幕府に押し付けてきます。このあたりの高杉晋作の交渉術は、維新志士派は拍手喝采するところなのですが、本シリーズは佐幕派の立場から描かれているので、晋作はとんでもなく陰険な策謀家のように描かれています。

もっと言うと、こういう無茶苦茶なことを言われて賠償金交渉を面倒くさくされた四国艦隊の交渉担当者も頭を抱えたであろうことは容易に想像でき、おそらくはこの鬱憤すべてを幕府側がぶつけられたのは間違いないですね。

そして、長州征伐の勅がでているにもかかわらず、内部調整に手間取って征討軍がもたついている中、伊庭八郎は念願の将軍・家茂を警固する「奥詰衆入り」を果たし、次巻へと続いていきます。

なお、今回、特別番外編として、伊庭家の台所を預かっている礼子ちゃんが、鳥八十の鎌吉に八郎好みの料理を習う掌編が掲載されています。彼女の健気なところがたっぷり出ていますので、礼子ちゃんファンの方はぜひお読みください。

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レビュアーの一言

将軍・家茂の上洛軍に従軍するため、伊庭八郎は「陣羽織」をつくっています。そのデザインは、「旭日に波頭」という派手なもので、旭日を将軍・家茂になぞらえ、荒れ狂う波の上から天下の道筋を照らしている、という八郎の幕臣としての気合を表現したもののようですね。

ただ、「陣羽織」を着て戦地に赴くというシチュエーションには、京都でおきている攘夷派浪士との血みどろの争いとはほど遠いものがある上に、なんとなく「古臭さ」を感じてしまうのは管理人だけでしょうか。

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