イサックはフランス軍の追及をかわし、サン・マロへ潜入=真刈信二・DOUBLE-S「イサック」16

17世紀初頭から半ばにかけてドイツやオーストリアなどの中央ヨーロッパでカトリックとプロテスタントの間で戦われた宗教戦争「三十年戦争」を舞台に、大阪夏の陣の後、戦乱が収まった日本から、兄弟弟子が師匠から盗み出した銃を取り返し、師匠の仇を討つため、傭兵としてやってきた火縄銃の名手「イサック」が、プロテスタント側にたってカトリック諸国や兄弟弟子と戦っていくヨーロッパ戦場物語『真刈信二・DOUBLE-S「イサック」(アフタヌーンKC)』シリーズの第16弾。

前巻で、サン・マロでイギリス・オランダの連合軍の攻撃を、一人の銃士の指導のもとに女性たちだけで組織された部隊が、正確な射撃で防いだという情報をきき、その銃士がロレンツォであろうと確信し、密輸船に乗船してサン・マロを目指したイサックたちだったのですが、今巻ではその手前で足踏みをすることとなります。

あらすじと注目ポイント

第16巻の構成は

第76話 修道士
第77話 新たな軍勢
第78話 フランス軍進軍を阻止せよ!
第79話 ド・フォーブの館
第80話 ヨナスの覚悟
第81話 奪還

となっていて、冒頭ではサン・マロを目前として砂地に座礁してしまった密輸船から降ろされ、置き去りにされてしまったイサック一行の姿が描かれます。場所的には南フランドル地方で、現在のベルギー西部・オランダ南西部・フランス北東部のあたりですね。

この地方の南部はカトリックが勢力を巻き返しているのですが、作品中では「オランダ語を話す地方」とされているので、南フランドルの中でもプロテスタント派と考えてよいようです。ただ、用心をして、ここへたどり着いた目的は隠すのですが、偶然、ロレンツォをスペイン人の修道士が捜していることを知ります。

その修道士に詳細を聞くため、彼が住む小屋へやってきたイサックだったのですが、ここで、ロレンツォが自分たちだけでなく、スペインのアルフォンソ王太子の元部下からも付け狙われていることをしります。同じ人物を仇と狙う男を前にして、イサックはどうでるのか、というのが前半部分の注目ポイントですね。

イサックの行動は仲間の非難の的となるのですが、ゼッタの

という言葉が救いですね。

中盤では、修道士と別れ、フランス領に入ったイサック一行はフランス軍の軍隊と遭遇します。彼らはリシュリュー宰相から、フランスのプロテスタントの牙城である「ラ・ロシェル」の包囲戦に参加する前にサン・マロへ立ち寄って、東洋人の銃士と全ての銃を連れてこい、と言われているようです。

ラ・ロシェルは大西洋の交通の要衝で海港で栄えたところです。1562年から1592年にフランス国内のカトリックとプロテスタントが激しく戦った「ユグノー戦争」ではカトリック勢の攻勢を凌ぎきったプロテスタントの拠点として有名なのですが、これが今回、フランスのリシュリュー宰相がなんとしても陥落させたがっている理由でしょうね。

ちなみに、第二次世界大戦中も、ここにはドイツ軍の潜水艦基地がおかれ、最後までドイツ軍が連合軍に対抗したところで、筋金入りの「反抗拠点」といえるのかもしれません。

このフランス軍を率いる将軍は銃の威力を信じておらず、さらに「東洋人」への侮りがあるのですが、これに対してイサックが驚きの銃撃の技を見せつけます。もっともこれが災いして、イサック一行はフランス軍に追われることになるのですが、どうやって逃げきったか、は原書のほうでどうぞ。

後半部分では、サン・マロから半日ほどの距離にある、ド・フォーブという貴族の館にゼッタを預けて、サン・マロへ潜入します。サン・マロの拠点はヨナスの知り合いで、宿屋を営んでいるダニエラのところを拠点にして、ロレンツォ=錬蔵の様子をうかがうのですが、運送業の傍ら海賊を営んでいる町の男達にヨナスが捕まってしまい・・という筋立てです。

それと並行して、ド・フォーブの館へやってきたフランス軍の従者と知り合いになったゼッタは、フォーブ卿の裏切りに気づくこととなり・・という展開ですね。

フランス軍のサン・マロに対する東洋人銃士(ロレンツォ)とすべての銃の引き渡し要求の機嫌が迫る中、いよいよ、イサックとロレンツォとの「再戦」が始まりそうな予感です。

レビュアーの一言

今巻のあとがきで原作者の真苅信二さんが「サン・マロ」の独立意識の高さを書いておられるのですが、サン・マロが所在する「ブルターニュ地方」自体が独立意識の強いところですね。

この地域には旧石器時代から人類が居住していた歴史の古いところである上に、ローマ時代にグレートブリテン島から移住してきたこの地の多数を占める「ブルトン人」は、ラテン系ではなく、ケルト系であることも関係していると思われます。

この地方の独自文化や独自の言語である「ブルトン語」は19世紀のフランス政府による「ブルトン語」を禁止したフランス語化政策のもとで衰えていったのですが、20世紀半ばから文化復興運動が興り、35歳以下の若い層には「ブルトン人」意識も高まっているとのことです。

ヨーロッパでは、バスクやスコットランドのように、あちこちで独立運動っぽいものがおきているのですが、現在のところ、ブルターニュではそこまでの動きにななっていないようなのですが、分断の時代を迎えた今、今後どうなっていくかは興味深いところです。

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