「現代都市というものは、足を踏み込んで、最初はなかなか刺激的だ。わくわくする。し かし、ものの半時もすれば、友を見失ってしまうんだ。」
冒頭で、イタリアのスローシティの日本視察団が漏らす言葉である。
ゆるやかに流れる時を観光に、あるいは地域振興にと軽い動機で読むと、少々当てが外れるかもしれない。確かにそれぞれに地域を元気にし、観光に訪れる人も増えているのだが、それぞれに個性と主張があり、手強い。
構成は
第1章 人が生きていく上で必要なもの、それは人間サイズの町だ
第2章 スピード社会の象徴、車対策からスローダウンした断崖の町
第3章 名産の生ハムと同じくらい貴重な町の財産とは
第4章 空き家をなくして山村を過疎から救えーアルベルゴ・ディフーゾの試み
第5章 ありえない都市計画法で大型ショッピングセンターを撃退した町
第6章 絶景の避暑地に生気をもたらすものづくりの心
第7章 モーダの王者がファミリービジネスの存続を託す大農園
第8章 町は歩いて楽しめてなんぼである
第9章 農村の哲学者ジーの・ジロロモーニの遺言
となっていて、取り上げられているのは、トスカーナ州、ウンブリア州、フルウリ=ヴェネツィア・ジュリア州、リグーリア州、エミリア・ロマーニャ州、カンパーニャ州、トスカーナ州。ブーリア州、マルケ州の諸都市。
イタリアの地図を見るとかなり全土に散らばっているので、このスローシティの動きは、イタリアの限定地域の動きではないようだが、共通項はやはり「過疎」で、このあたり、都市への集中は日本だけの特異事項ではないということを思い知らされる。
さらに共通するのは「町を大きくしないこと」(グレーヴェ・イン・キアンティ村)や「人間サイズの、人間らしい暮らしのリズムが残る小さな町づくり」(オルヴィエート市)であるように、程よい小ささの追及と維持であるようで、このあたり、観光が盛んになると巨大化と広域化へ進む通常の在り様への反論でもある。
ただ、とかくこうした運動は、コンピュータなどの現代的なアイテムや暮らしを排除しようという復古運動に向かいがちであるのだが、オリヴィエート市のスローシティ運動の事務局長オルヴェーティ氏の
イタリア人が、古い建築物や伝統食にこだえあるからといって、スローシティの運動を、
ただの懐古主義や保守的な伝統主義と混同しないで欲しい
古いものと新しいもの、ローテクとハイテク、伝統の保存と最新の技術、それらが、うなく調和することが大切なんだ。そこから何か面白いものが生まれる
という発言に心を留めておくべきであろう。
最後のあとがきのところはちょっとありきたりの小言っぽくていただけないが、本書の主張の底流にある「それぞれの地の場所の復権」ということは地域の行く末を考えるうえで再認識してよい。地域活性化あるいは地域振興に携わる人であれば抑えておいて損のない一冊である。
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