丹羽長秀・長重と江口正吉、丹羽家主従の逆境を跳ね返す大奮戦記 — 蓑輪 諒「うつろ屋軍師」(祥伝社文庫)

戦国時代をテーマにした歴史時代小説といえば、その主人公は織田信長や豊臣秀吉あるいは徳川家康と言った天下を統一した綺羅星のような武将か、あるいはその周辺の石田三成や伊達政宗、ちょっと変わったところでは武田信玄、上杉謙信といったところが大抵のパターンで、本書のような丹羽長秀の配下の武将といった例はほとんどない。
当方も、本書を読むまでは、丹羽長秀という織田家中の柴田勝家に次ぐ二番目の席次の武将の名前は知っていたが、戦場働きはもちろんのこと、城郭の建築や大船の建造などの難題を、なんでも仕上げてきた「米のように欠かせぬ男」であったことを初めて知った次第で、汗顔の至りである。
さて、構成は
空論屋(うつろや)
羽と柴
犲の庭
泥濘に住む男
城の路
砕けているものの中の平和
踵鳴る
家の路
 となっていて、丹羽長秀のもとでうつろ屋と言われた「江口正吉」が、主君の丹羽長秀と秀吉の天下取りに協力しつつも、丹羽家が丹羽長重の代になって所領を取り上げられ没落。その後、  に所領を回復するも、関ヶ原の戦で再度没落、と、二度三度の没落劇を乗り越えて、家を再興する道程が、本書のおおまかな流れである。
そのために講じられる策は、個々の戦の際に講じられる策、例えば、本能寺の変の後、織田家の跡目を決める清州会議での、三法師推薦後、退席した秀吉に代わって、柴田勝家を論破する丹羽長秀の篤実な老獪さであったり、関ヶ原の戦の際、徳川軍に寝返った、加賀前田家の大軍を驚かした贋物の「大筒」や、大谷刑部と共謀した、偽りの水軍による金沢襲撃など多種多様な見事さなのであるが、一番推しは、没落の都度、秀吉によって120万石から15万石に大減封されてから、北条攻めなどの功績で封土を増やしていったり、関ヶ原の後始末で改易になってから家を再興するために講じられる策で、このあたりは本書で確認あれ。
ただ、お家再興といっても、忠臣蔵のような湿っぽさはなくて、江口正吉が、そのプランニングがとてつもなく想像力と空想力がありすぎて「空論屋(うつろ屋)」と呼ばれる如く、なんとも明るく、しかもけしてメゲない「再興劇」であるので、一種の爽快感があるのである。
しかも、丹羽長秀の
武力は恐ろしい、政治は恐ろしい。しかし、最後に物事決めるのは天の配剤なのだ
という言葉や、
長秀は秀吉に一片の音もない。むしろ、秀吉の方こそ長秀には返しきれない恩があるはしである。しかし、長秀は「志を汚さぬため。というだけの理由で。己が身も顧みずに救援に行く。
さらに驚くべきことは、長秀のこの言葉を聞いた途端、丹羽家中のだええもが反論をやめたことである。武士と畜生を分かつものはなにか。丹羽の侍は、その答えを一人残らず理解していた。
といったところに象徴されるような「天下を狙わぬ」清々しさがそれを裏打ちしてくれるのである。
さて、丹羽長秀や丹羽長重、いずれも能力はありながら、その欲のなさや時の運に恵まれなかったことで、天下争いから脱落したり、天下人から、封土を減らされたり改易されたり、と、いわば「敗者」の範疇にいれられる武将であろう。ただ、その家臣の、本作の主人公・江口正吉の、幻想を含みつつも壮麗な策略とあいまって、その物語はとても魅力的である。
本当に面白い物語は、勝者ではなくて敗者の中にあるのかもしれんですね。

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