「御宿勘兵衛」と聞いて、ああ、あの、と応じることができるのは、よほどの歴史通以外いないであろう。本書は、そんな、昔は、真田幸村と並び称された武将であリながら、今では一般人が知ることの少ない、戦国時代末期の武将を主人公に仕立てた戦国物語である。
収録は
第一話 虎跡の人
第二話 知れでもの雪
第三話 野本将軍
第四話 くせものの宴
第五話 荒野へ還るものたちへ
となっていて、「御宿勘兵衛」という、使える主がすべて滅んでいくために「疫神」と呼ばれた武将の半生記である。
彼が使えた、あるいは関わりをもった武将というのが、「武田勝頼」「佐々成政」、「北条氏政・氏直」、「結城秀康」、「豊臣秀頼」といったところで、「厄神」と呼ばれた男にふさわしく、信長・秀吉・家康による天下統一の陰で、隅へ追いやられてしまった者ばかりである。
簡単にレビューすると、
第一話の「虎跡の人」は、武田家滅亡後、依田信蕃という信濃の土豪あがりの武将が、武田家の再興を目論む。彼は、徳川・北条の対立の隙間を縫って、領地を蚕食するが、途上で真田昌幸の策略によって戦死するのだが、その野望が膨らみ、はじけるまでを、ともに戦う御宿勘兵衛の視点から描いたもの。
第二話は、織田信長の部下諸将の中で、信長死後、柴田勝家とともに秀吉に対抗した佐々成政のもとでの話。当方的には、時勢をみずに秀吉に逆らった武将としてのイメージが強かったのだが、本書によって、秀吉という成り上がりで、主家をのっとろうとする人物に対抗する、不器用だが、清廉な武将というイメージの方が勝ってきた。この成政と越中の土豪で、利に聡い久世但馬との対比が面白い。史実としては、佐々成政は秀吉のもとに屈することがわかっているのだが、なんとなく声援を送りたくなりますな。
第三話の「野本将軍」では、勘兵衛の姿はちらほらするだけで、中心となるのは関東の名家で、鎌倉時代には「野本将軍」といわれながら、今はみるかげもなく落ちぶれている、野本家の跡継ぎ、野本右近である。
時代的には豊臣秀吉が柴田勝家ほかの北陸勢を降し、西国すべてを手中にし、次は北条家に向けて小田原討伐が始まるころである。舞台は武州の岩本城で、豊臣勢に攻められる中、裏切り者、内通者の探索が話の主筋。裏切り者がいるという話の出処は、「御宿勘兵衛」、裏切り者と疑われるのが、他所者で最近仕官した「塙団右衛門」なのだが、その真相は、そして勘兵衛の本当の狙いは・・といった感じで展開する。名家の末裔の若武者の悩みと、戦の末に出した結論は本書で確認あれ。
第四話の「くせものの宴」は、御宿勘兵衛が大阪城にいくことになる直接の原因ともなる越前宰相・結城秀康とその松平忠長に使えた時の話。この話では。秀康の右腕でもある本多富正がサブの主人公。時代は、秀吉没し、関ヶ原の戦も終わった後の越前の国が舞台であるが、御宿が尊敬する秀康は若くして没し、その息子・忠長が家を継いだのだが、こんな時のお決まり、家臣の仲がまとまらず、内紛がはじまっているという展開である。史実では「久世騒動」あるいは「越前騒動」といわれるもので、幕府の裁定の場面はこの話でも読みどころで、双方の家臣の思惑とは別の、新しい主君の意図がなんともやりきれない。
第五話は、数々の家を転々としてきた御宿勘兵衛が、その人生の総決算というところの「大阪の陣」に参戦する話。後藤又兵衛や真田幸村との待遇の違いに憤懣を抱えながらも、真田丸を中心とする戦いで徳川軍を脅かし、最後の戦、大阪夏の陣で、単身、松平忠直のいる越前軍に切り込んでいく様子は、さすが歴戦の勇者というところで、賢しらな軍師や能吏の物語では、この辺の爽快感はでませんな。
さて、武田家を再興しようとする依田新蕃、織田家に殉じた佐々成政、理想の家中をつくろうとした結城秀康、あるいは秀吉に逆らった北条家、といった「破れた者」に加勢した「御宿勘兵衛」の物語は、成功物語ではない。」しかも、この物語にでてくる人々はけして最後まで諦める様子を見せないから、「滅びの美学」とは無縁なのだが。それでもやはり判官びいきで「敗者の物語」に寛容な日本人の感性に、妙に訴えるところがある。
勘兵衛だけではない、まともであるにはねじ曲がりすぎた、あの度し難い男たちは、たしかにあの戦乱の中で生きてきた。たとえ誰もが忘れようとも、年譜や歴史に記されずとも、右近たちは、彼らが生きた時代の続きを歩いている。
といった本書の最後のところを引用して、「忘れられていった者たち」「忘れられていく者たち」への手向けといたしましょうか。
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