常陸の名門・佐竹は「敗れたが、負けない」 ー 蓑輪 諒「でれすけ」

戦国の後期、特に豊臣政権から徳川政権に移行する間の「時代小説」は、どうしても、その舞台が「上方」か「江戸」が中心となることが多いのだが、「うつろや軍師」や「最低の軍師」で、中央からちょっと外れたところの戦国模様を描いた筆者による「東北・常陸」の名門・「佐竹家」の戦国終焉の物語が、本書『蓑輪 諒「でれすけ」(徳間書店)』である。

【構成は】

第一章 平定

第二章 東は東

第三章 花散る里

第四章 冢中の枯骨

第五章 巴渦

第六章 その香りは童心にも似て

終章 鬼骨は折れず

となっていて、物語の中心は、時代的には後北条家が豊臣秀吉によって攻め落とされる天正十八年(1590年)から、関ヶ原の戦いが終わって2年後の慶長七年(1602)までのほぼ十年間の物語。

【注目ポイント】

物語の主人公は、常陸国を支配する佐竹家の十八代当主・佐竹義重である。で、この佐竹家というのが

だが、佐竹家は違う。この家は、五百年来の歴史を持つ、紛れもない源氏の 後裔であった。
先祖は、 河内 源氏の棟梁・頼義 が三男、「新羅三郎」の通称で知られる源義光であり、その孫の 昌義 が常陸国(茨城県)佐竹郷に住まうにあたり、佐竹氏を名乗るようになった

という家で、名家中の名家といっていいのである。

なので、戦国大名の元祖といえる北条家に対しても

もともと、中部や近畿など早くから開け、下剋上が特に激しかった地域に比べ、東国は血筋や家格を重んじる気風が強く、北関東から東北にかけては特にその傾向が根強かった。
それゆえ、佐竹家をはじめよする利根川以東の領主たちは、北条家を、
ー東国にゆかりなき、西国よりの乱入者
として敵視し、この強大な新興勢力に対して、死にものぐるいの抵抗を続けてきた

といった具合であるので、戦国末期の天下統一の騒ぎは、おそらくは多くの部分で「不本意」であったろうと想像する。
というのも、秀吉、家康などの「西の勢力」による天下統一の名の侵略は、父祖伝来のと土地を、周囲の敵と戦いながら守ってきた「鎌倉以来の名門」の武士たちにとって、物理的な侵略だけでなく、「土地」というものに対する「概念」への侵略でもあり、それは物語の終盤、徳川家康と佐竹義重が対峙する場面での

「徳川殿から見れば、土塊はどこまで言っても土塊に過ぎぬのでしょう。しかし、我らにとっては、五百年の歴史と、血肉と、矜持が染み込んだ、かけがえのない土塊なのです。たとえ時代遅れと笑われようと、こればかりは曲げることができませぬ

といったところに現れていて、戦国の終焉史というのは、実は「西国」の土地に対する概念が、「東国」の土地に対する概念を擦りつぶしていった歴史という風に考えてもよいような気がする。

このあたりのところは、義重から家督を譲られた嫡男の義宣の行動によく現れている。
例えば、秀吉に急かされて、早急に常陸全土を攻略するため、臣従しない領主たちを居城・太田城に呼び集め、酒を饗応し、酔ったところを

四方のふすまが一斉に開き、刀槍を携えた刺客たちが躍り込む。驚愕する領主たちを、刺客は嗣ぐ次と容赦なく斬殺した。
その様子を能重は義宣の隣で、盃を傾けながら見ている。
・・・多くの死が広間を赤く彩ったが、大半の物はなにがおこったかさえ分からず、悲鳴を上げる暇もないまま絶命した。

という、先祖からのタブーであった「暗殺」に手を染めざるをえなくなるし、気は強いが愛していた元正室の「照日の方」が、実家が豊臣家に反逆したことによって側室に格下げし、佐竹家の中の居場所がなくさせ、ついには自害させてしまったところに、「時代の流れ」という名目で、自分が大切の守っていたものを捨てざるをえなかった悲哀をみるのである。

そして、それは義重自らが経験することでもあって、関ヶ原の戦の際、石田方に与して徳川を攻めようとする義宣を最後の最後のところでおしとどめて、徳川方に裏切らせた時、

暗闇の中で懐かしい記憶が、蜃気楼のように浮かんでは消えていく。父・義昭と共に馳せ駆けた初陣。北条や蘆名、那須に小田といった、東国領主たちとの死闘の日々。そして、あの雪原で鎬を削りあった、年若き仇敵。
だが、どれほど恋しくても、焦がれようととも、その過去がもはや還ることはない。過ぎ去った勝機が、二度と戻りはしないように。

といった述懐に、すり潰されていった「伝統」をみるのでありますね。

【まとめ】

「天下統一」の物語は、勇ましくて気分を高揚させるものであるし、天下統一の過程で、滅ぼされたり、陰謀に破れた物語は、悲しいが、日本人好みの「判官びいき」を刺激する。
しかし、古来より守ってきたものを捨て去って「生き延びた者」たちの物語は、派手でもなく、悲劇的でもない。だが、多くの、この世に生きる人々の姿は、様々なこだわりを捨てさせられながら、本書の表題の「でれすけ」(常陸弁で「馬鹿者」の意)と言われつつも「生き延びてきた者の姿」でもある。

関ヶ原の戦の責をおい父祖伝来の常陸から秋田に国替えになる際に、義重が家康に言う「我らは敗れた。されど、佐竹は負けませぬ」という言葉を、すべての「生き延びよう」とする我々へのエールとして受け止めておこうではありませんか。

【関連記事】

丹羽長秀・長重と江口正吉、丹羽家主従の逆境を跳ね返す大奮戦記 — 蓑輪 諒「うつろ屋軍師」

阿波の「狸」蜂須賀家政は、なかなかの「人物」であります — 蓑輪 諒「殿さま狸」

戦国末期の「忘れられた者たち」はこんなに魅力的だったのか — 蓑輪 諒「くせものの譜」

軍師は身なりで判断してはいけない。とんでもない知恵者かもしれないから。 — 蓑輪 諒 「最低の軍師」

コメント

タイトルとURLをコピーしました