国内にある「世界各地の豊穣さ」を楽しもうではないか — イシコ「世界一周ひとりメシ in JAPAN」(幻冬社)

一人で食事することが苦手なのに、世界を巡りながら一人で食事をする旅を「世界一周一人メシ」にまとめた、イシコ氏による、再びの一人メシの世界旅である。とはいうものの、「世界一周一人メシ」の旅から帰国後、岐阜県の定住者としてどっぷり地域に浸かってしまった同氏なので、海外ではなく、国内での「世界ひとりメシ」なんである。

収録は

1 テレビの一が気になるタイ料理店(東京都墨田区)
2 美人姉妹のいるイラン料理店でひとりメシ外交(愛知県名古屋市東区)
3 年老いたドイツ人店主の料理店はぼったくりなのか?(東京都港区六本木)
4 中国語でしか予約できない中華料理店(愛知県名古屋区中区)
5 エジプト料理店でか投げる日本がイスラム教になる可能性(静岡県静岡市)
6 ミャンマーの少数民族と怖い話(東京都新宿区高田馬場)
7 餅好きにはたまらないナイジェリアの「エマ」(東京都新宿区)
8 一夫多妻のスリランカ生活を想像する(愛知県名古屋市名東区)
9 焼鳥屋でスウェ−デン人が働く理由
10 謎のメモが導いた日本で唯一のスロヴェニア料理店(京都府京都市右京区)
11 ひとりメシに向かないトルコ料理店(東京都荒川区西日暮里)
12  世界一周したからってウイグル料理を知っているとは限らない(埼玉県さいたま市桜区)
13 インド料理激戦国日本で鳥栖に辿り着いたカレー職人(佐賀県鳥栖市)
14 辛くはできても甘くはできないバングラディシュカレー屋(福岡県福岡市中央区)
15 ロシア流酒の呼び方と飲み方(福岡県福岡市中央区)
16 カンボジア人との国際結婚を妄想する
17 韓国料理で刺身を食べる
18 遊牧民の血が騒ぐモンゴル人店主
19 ドミニカ共和国料理をなんとか食べたけど(北海道札幌市北区)
20 吹雪の中のブラジル料理(群馬県邑楽群大泉町)

となっていて、「世界」とはいうものの、出てくる国はアジア、中近東、アフリカ、ロシア、南米といったところで、まあ、「旅モノ」として読ませるなら、こうしたマイナーなところでないと面白くはないわな。

国内の外国料理店は個性のオンパレード

なので、国内と入っても、出てくる料理は、錦糸町の路地裏の食料雑貨店と一緒になったようなタイ料理店での

歯を閉じたまま息を素早く吸い込み、舌の辛さをやわらげた後、一気にビールを注ぎ込む。それにしても辛い。ヤムウンセンはタイ料理独特の甘さも酸っぱさもあるが、唐辛子の辛さが圧倒的に舌を支配している

や、名古屋の新栄の日本語の通じない中国料理店の

テーブルに僕が注文した料理が置かれた瞬間、絶句した。皿の上に盛られた蚕揚げである。吉林省など東北地方では貴重なタンパク源として食べる、文字通り「蚕」だ。
てっきり唐揚げ粉がまぶされ、表面が茶色の衣で覆われ、唐揚げのような感じで出てくると思っていたが、素揚げに近く、姿形がはっきりしている。黒いさなぎの山は釣り好きの友人の道具箱に並べられた 擬似餌 のワームを思い出す。
とても一人で食べられる量ではない。

といった風にとても個性的なものが多いし、名古屋のイラン料理店では

「イラッシャイマセ」
二十代半ばくらいだろうか。黒のタートルネックセーターにジーンズと普段着にもかかわらず、見とれてしまう。きれいな人だねぇ……男友達と一緒に来ていたら、顔を見合わせて言っていたに違いない。しかし、ひとりメシ。にやけ顔を作り笑顔に変え、軽く会釈をして店内を見渡す
(略)
厨房から白シャツにジーンズの若いイラン人女性が、メニューを持って現れた。これたまた美しい。イランの女性ってこんなに美しい

といった感じで、異国の美女たちとの出会い(「出会うだけ」なんだけどね)も、「旅の楽しみ」でありますね。

外国料理店は日本国内に溶け込んでいる

ここで、ふーむと思うのは、もちろん東京や名古屋、福岡といった都会地が中心なのであるが、外国の料理店の所在地が日本の広い範囲に及んでいることと、外国の料理を手加減なく提供しながらも、日本人が自分の食環境として受け入れているところで、それは、札幌のドミニカ料理店で

黄色のパンツを穿いた活発そうな女性とジーンズにコットンの白シャツを着た清楚な女性が店内に入ってきた。どちらも大学生にようだ。北海道大学の演劇サークルの公演ポスターや「学生さんは五十円引き」と墨文字で書かれた貼紙から、徒歩圏内の北海道大学の学生客の多さが想像できる

ということであったり、埼玉県さいたま市のウイグル料理店で

店主は日本に住んで十七年になるそうだ。来日して最初に通い始めた日本語学校がたまたま南与野にあり、そのままずっと住み続け、店まで出した。店内にはられたいちご狩りツアーのチラシやこの店が参加する地域イベントのポスターから、店主が地域に溶け込んでいることは想像できる。

や、福岡の「天神」から10分ほど歩くアパートの一階部分を改築したバングラディシュカレー屋で

開店してから三十分足らずで、客席の半分以上が埋まってしまった。昨晩同様、常連客が多かったが、この店が初めての老人のグループもいた、彼らが「カレーの辛さ」について店主に質問していた。
「甘くはできません。だったら薬膳カレーがいいと思います。」
誰に対しても態度を変えず、冷静に答える

といったところに現れていると思える。

まとめ

さて、筆者が最後に言う

知らない国の料理を食べるということは、人の足跡を辿ることに似ていると思うことがある。動物の心臓やフルーツを焼く、蚕や竹蟲を揚げる、蜂蜜や刺身を発酵させる……世界の誰かが最初に手を加え、口に入れ、足跡として後世に残していく。そうした世界中の足跡を日本で味わうことができるというのは、幸せなことである。この旅は、一旦、これで終了するが、今後も、日本のどこかで未知の国の料理を食べることのできる店を見かけたら、世界の足跡を求めて扉を開けると思う

のように、文化も宗教も、そして肌の色も違う人々を混沌のように受け入れ、同化ではなく同居するかたちで受け入れる日本文化はある意味、我々、日本人が立脚する原点でもあり、また存在意義でもあるように思う。堅苦しい教条や価値観に占拠されることなく、とてつもない混沌が続くことを祈りたいですな。

 

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