現代きっての歴史研究者が「司馬史観」を語る ー 磯田道史「「司馬遼太郎」で学ぶ日本史」(NHK出版新書)

経営者の愛読書ランキングで、一番多く出てくるのは、ドラッカーなどの経営学の大御所を除けば、司馬遼太郎氏の作品ではないだろうか。しかし、司馬遼太郎氏が「歴史家」として歴史の専門家から扱われたことはほとんどなかったのが実態であろう。

そして、現代きっての歴史研究者「磯田道史」が「司馬遼太郎」を「歴史家」と評価し、「司馬史観」の目線で近世から現代までの「日本史」を語ったのが本書『磯田道史「「司馬遼太郎」で学ぶ日本史」(NHK出版新書)』である。
 

【構成は】

序章 司馬遼太郎という視点
第一章 戦国時代は何を生み出したのか
第二章 幕末という大転換点
第三章 明治の「理想」はいかに実ったか
第四章 「鬼胎の時代」の謎に迫る
終章 二一世紀に生きる私たちへ

となっていて、司馬遼太郎氏の著作は、例えば「空海の風景」であるとか、「俄」といった江戸時代の上方ものとかあるのだが、本書が扱うのは、歴史小説では戦国末期の信長ー秀吉−家康の「国盗り物語」や幕末を扱った「花神」、日露戦争の「坂の上の雲」や歴史エッセイの「この国のかたち」といったところが中心となっている。

【注目ポイント】

「司馬遼太郎で日本史」とはなっているのだが、けして、司馬遼太郎の作品を総覧して、日本史のおさらいをしよう、というものではない、ましてや、これによって、受験生の方々の「日本史」入試対策をしようという類の新書ではないので、あらかじめご了承を。

著者によると

司馬さんは、ただの歴史小説家ではありません。「歴史をつくる歴史家」でした。非常に 稀 ではありますが、日本史上何人かこうした歴史家は存在します。歴史というのは、強い浸透力を持つ文章と内容で書かれると、読んだ人間を動かし、次の時代の歴史に影響を及ぼします。それをできる人が「歴史をつくる歴史家」

という司馬遼太郎氏の「歴史家」としての側面に注目しながら

本書では、司馬遼太郎さんの作品から、戦国、幕末、明治、そして司馬さんが異常な荷台ー「鬼胎(もしくは異胎)」と読んだ昭和前記をあつかったものを順に取り上げながら、それらを入り口ににて、日本の歴史、及び日本人の姿を見つめ直していきます。

ということなので、本書で印象に残ったいくつかのポイントを抽出してみた。

◯司馬遼太郎氏の「日本人」観

まずは、司馬涼太郎氏の「日本人」観なのであるが、

日本人というのは、前例にとらわれやすい「経路依存性」を持っています。第二章で触れた「合理主義」の対極にある日本人の性質が「前例主義」(経路依存性) です。

ということを根底におきながら、

司馬さんがこの物語で描きたかったのは、その後の日本、あるいは日本人の在り方のふたつの側面だと思います。ひとつは、合理的で明るいリアリズムを持った、何事にもとらわれない正の一面。そしてもうひとつは、権力が過度の忠誠心を下の者に要求し、上意下達で動くという負の一面。

というもので、日本人の、ふとしたことで熱狂して、一つの方向にまっしぐらに突き進んでしまう「性向」がえぐられてますね。

そしてこの性質は

社会の病というのは、現実の病気に似て潜伏期間があり、昭和に入ってとんでもない戦争に突入してしまう菌や病根は、やはり明治に生じていたのではなかったか。明治という時代は、まだそれが発症していない「幸せな潜伏期間」だったのではないか

としつつも

司馬さんは、明治という時代を「理想」がある時代としてとらえていました。それは、江戸時代という、じつに長い期間をかけて生育された実り(果実) が、明治という時代そのものだったという意味ではないでしょうか。

とあるのは、どうも、この「性向」は長い歴史で培われた「遺伝的形質」のような側面ももっていて、やれ国際化であるとか、グローバリズムだ、といった今出来のことで煽ってみても、なかなか変わらないものなのかもしれないですね。

ただ、こういう特性は

公共心が非常に高い人間が、自分の私利私欲ではないものに向かって合理主義とリアリズムを発揮したときに、すさまじいことを成し遂げるのだというメッセージと、逆に、公共心だけの人間がリアリズムを失ったとき、行き着く先はテロリズムや自殺にしかならないという裏の警告メッセージを、司馬さんは、私たちに発してくれているのではないか

ということの土台のであるような気がするので、よくよく注意しないといけないだろうね。

◯司馬遼太郎氏の「リーダー論」

では「歴史家」としての見識ももち、太平洋戦争当時の指導者には、痛罵ともいえるような評価を降していた司馬遼太郎氏なのだが、その理想のリーダー像というと、ここはかなり「硬派」な感じで

司馬さんが歴史上で愛した人物は、坂本龍馬のように、周りがどうであれ、しっかりと自己を持って時代を動かした人たちでした。黒田官兵衛にしても、最初は豊臣秀吉に付き従っていましたが、秀吉が朝鮮を攻めるにあたり、それが間違いであると思ったら、さっさと隠居して自分の道を歩みます。秋山真之も、自分がいるから日本の海軍と日本の安全は保てるのだと、一身でもって日本全体を背負うほどの覚悟を抱いていました。こうした「たのもしい」人物

ということで、いずれも、司馬遼太郎氏が作品にするまでは、たくさんの注目を集めていた人物ではないところで、氏によって、その「美質」が世の中に現れたことは、日本人として喜ぶべきでろう。

そして、

司馬さんが考える「歴史を動かす人間」とは、思想で純粋培養された人ではなく、医者のような合理主義と使命感を持ち、「無私」の姿勢で組織を引っ張ることのできる人物だったと言えます

ひょっとしたら、司馬さんがリーダーの資質としてより重く見ていたのは、「常識を破るリーダーシップ」ということかもしれません。自分は常識を破ることができなくても、破る技術を持っている人間を発見すればよいのであって、『花神』で言うならば、桂小五郎 がその例

といったところになると、顔を伏せたくなる「政治家」もいるんではなかろうか。こうした人物が国政を担うというのが理想のことかもしれないですな。

【まとめ】

最近、司馬涼太郎氏のような、博識で、懐の深い「歴史訴小説家」が見当たらなくなってきたのは残念ではある。
筆者は最後の方で、昭和史を書かなかった、晩年の司馬氏にふれながら、

司馬さんが描けなかった、影絵のように塗り残してしまった部分には、二一世紀を生きる私たちが考えなければいけない問題がたくさん含まれている

と投げかける課題に、「応」と答える作家がでてきてほしいものですね。

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