”間違える”というコストを”価値”に変える ー 小国士郎「注文をまちがえる料理店」(あさ出版)

注文をまちがえる料理店

本書で扱っている「認知症」の問題をはじめとして、福祉サービスの世界は、自分の周囲が健常者に取り囲まれていると、どこか遠いところの話のように実感がないのだが、自分や家族の高齢化といったことがおきると、突然「自分ごと」になる課題である。

ところが、本書の中で

取材をはじめたばかりのころ、和田さんが
「介護施設を建てるのって、結構大変なの知ってる?」
と聞いてきたことがあります。
僕はてっきり、建設費のことをいっているのかと思ったのですが、そうではなくて、地域住民や行政の理解を得るのが大変なな場合があるんだそうです。

とあるように、実はこの課題は「世間」というものが壁のように聳え立つことのある課題でもある。

そういった中で、期間限定の事業ではあるが、「認知症」に人がサーブするレストランについて、現場の様々なエピソードも含めて記録したのが本書『小国士郎「注文をまちがえる料理店」(あさ出版)』である。

【構成と注目ポイント】

構成は

Prpogue 「注文を間違える料理店」ができるまで

第一部「注文を間違える料理店」で本当にあったものがたり

story1 働くことができる喜び
story2 料理店で夫婦二人の演奏会
story3 「えっ?何の話」
story4 「忘れてしまうけれど」
story5 「お腹、空いちゃってるね」
story6 「うん 本当に粋だなぁ」
story7 「戻ってきたら、みんな笑顔」
story8 「間違えてもいいんだもんね」
story9 「お飲み物は、まだでいいですよ」
story10 少しだけの自信
story11 間違えることを受けいれられる価値
story12 「やっぱり最高のレストランだね」
story13 「誰もが受け入れられる場所」

第二部 「注文をまちがえる料理店」のつくりかた

”強烈な原風景”になったのはなんてことのない普通の光景だった!?
何かを失って何かを得るーあのとき思った”いつか”が来た
最高のクオリティで実現するために”粋な仲間”を集めよう!
僕たちが大事にしようと決めた「二つのルール」
おおらかな気分が、日本中に広がることを心から願って
伝えたいメッセージはーありません

Epilogue 「注文をまちがえる料理店」のこれから

となっていて、おおまかに分類すると、最初のパーツは、「注文をまちがえる料理店」での具体的な事例の紹介。次のパーツは「注文をまちがえる料理店」がどう出来上がったのかと「これから」となっている。

ざっくりいうと、このレストランは、認知症の人たちがサーブする店で

「このレストランで注文を取るスタッフは、みなさん認知症の状態にあります」認知症の状態にある方が注文を取りにくるから、注文を間違えてしまうかもしれない。
だから、頼んだ料理がきちんと届くかどうかは、誰にもわからない、というわけです。
でも、そんな間違えを受け入れて、間違えることをむしろ楽しみましょう″というのが、この料理店のコンセプトです。

ということなのだが、ここで当方が注目したのは、この取り組みの、認知症という病気を世間の人が認識するための啓発的なところではなく

ただ、ヨシ子さんにとって重要だったのは、間違えるか、間違えないかより、「仕事ができる」という事実だったのでしょう

といった風に、認知症の人が「働く」という役割を得ることによって「 失いかけていた自信を少しずつ取り戻すきっかけ」を取り戻す取り組みである点。
それは認知症だけでなく、病気になることによって「失う」ことを強制される生活への、できる限りの「反抗」でもあり、そうした個人ごとの「不自由となっていく人生へのレジスタンス」への周囲の応援でもある。こういったところは、人生100年時代といわれる中、いずれの立場におかれるにしても、けして「他人事」ではなく、ほとんどの人が「応援モード」になるのは間違いない取り組みであろう。

ただ、その取り組みは、その環境をリザーブする側はかなりのクオリティを要求されることでもあって、

「注文をまちがえる料理店」というからには、料理店としての体裁がしっかり整っていることがとにかく大事です。
もし仮に僕たちに福祉的な″いいことをやっているという意識が少しでもあったら、そこに甘えが生じる可能性があります。
「いいことやっているんで、多少イケてなくても許してね」は絶対にダメです。
そんな甘えが入ったとたんに、妥協が生じるような気がしたのです。
だって、注文をしても、間違ったお料理が出てくるかもしれないわけです。
そんなとき、お店の雰囲気がオシヤレでなく暗い感じで、出てくる料理の味もイマイチだったら、さすがに怒られちやいますよね。

というところや、「 お客さまが間違われて絶対に受け入れられないのは、味以上に値段。」、「 わざと間違えるような設計は絶対にやめよう。」といったところは、こうした介護サービスを提供する人と料理を提供する人が見出した共通のプライドでもあり、

”間違えちやうかもしれないけど、許してね″っていうコンセプトはとてもいいと思うんです。
でも、妻にとって、間違えるということは、とても、つらいことなんですよね…

とつぶやく認知症の人や家族へのいたわりとエチケットでもあって、なかなか困難なことも多いだろうな、と推察するのである。

ただ、本書の中で

これまで間違えるという行為、あるいは認知症という状態は、社会的には″コスト″と考えられてきました。
しかし、「注文をまちがえる料理店」という存在が登場することによって、その間違えるという″コスト”がぐるんっとひっくり返り、大きな″価値”に変わってしまったのです

というように、価値観の大きなどんでん返しであることには間違いなく、介護福祉のこれからの方向性についてたくさんの「啓示」を含んでいることは間違いない。

【レビュアーからひと言】

まあ、難しい福祉理論はその道の人に任せておいて、当方も含め多くの一般人は、このレストランの

緑さんは「注文をまちがえる料理店」で働いたことを、その日のうちに、すっかり忘れていたのです。
でも、それでいいんです。
これが私たちの、そして緑さんの、日常です
緑さんはもう全部忘れてしまってはいたけれど、本当にいい笑顔をしていらしたのです。

であったり、

レストランヘ行った人が休憩室に戻ってくると、みんな満ち足りた顔をしていました。
「疲れたなあ」といいながらも、笑顔がこぼれました。

といった様子をまず寿ごう。そして、こうした取り組みを続けていこうとする人々へエールを送るにはどうしたらいいか、を考えていこうではありませんか。

類書にはこういうのもありますね。

注文をまちがえる料理店のつくりかた
注文をまちがえる料理店

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