光秀は織田軍の中枢となるも、信長との不和が芽生えるー藤堂裕「信長を殺した男3〜4」

戦国時代

「本能寺の変」は、明智光秀が、信長のイジメに逆恨みしたか天下が欲しくなっての後先考えない衝動的な犯行で、その後、信長の仇をとって天下を平和に導いたのが、豊臣秀吉であった、っといった通説に真っ向から反論している明智光秀の子孫を名乗る「明智憲三郎」氏の著作をコミカライズした、「信長を殺した男〜本能寺の変 431年目の真実〜」シリーズの第3弾と第4弾。

信長の信頼を得て、織田軍の中心的存在として、軍事や政略に力を発揮する光秀なのですが、ここらあたりから、信長の自分の反対者への仕打ちが厳しくなってきた上に、天下統一後の戦略構想として、対外侵攻という選択肢が入り込んできたことによって、二人の仲に隙間風が吹き始めます。

【構成と注目ポイント】

第3巻の構成は

第13話 饕餮
第14話 雑草
第15話 血脈
第16話 海戦
第17話 乖離
番外編 日輪の告白 前編
番外編 日輪の告白 後編

となっていて、ここでこのシリーズの光秀の仇敵・秀吉のアコギな姿を描き出しています。今巻では、足利義昭に説得され、動き始めた軍神「上杉謙信」の軍を迎え撃つ「柴田勝家」軍に参陣しておきながら、勝家にわざと逆らって離陣をします。このへんは、「センゴク」「信長のシェフ」では心ならずも陣を離れる姿で描かれていたのが、今シリーズでは無駄死にを避けての逃亡に近い離陣に描かれています。

このあたりは秀吉の人生であわや信長に成敗されるか、といった感じのところなので、ここまでずる賢く立ち回ったかどうかは、当方的にはちょっと秀吉を悪く書き過ぎかもしれません。
そして、この上杉の動きに呼応するかのように、松永久秀が謀反を起こして鎮圧されるのですが、これがこの後の「荒木村重」の謀反への導火線になったような気がしますね。おそらくは、将軍・義昭の策略の「信長包囲網」の一環だったとは思いますが、信頼している味方から裏切りにあうのが、信長の特徴ですね。

さらにこの時期、武田方と通じた疑いで徳川家康の築山殿が臣下の手によって殺害、嫡男・信康が自害するという事件が置きます。通説では、信長の圧迫によって妻と嫡男を殺してしまった、となっているのですが、最近では、家康と信康との不和であるとか、徳川家中の「浜松派」と「岡崎派」との対立の結果だった、という説も出ているようですね。

このほか番外編の「日輪の告白」では、天下人となった後、信長の残虐なイメージと、光秀の悪評判を、秀吉が捏造していったといったトーンの話が出てきます。ここらは、きっと秀吉の子孫の方からすると「激怒」かもしれません。

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続く第4巻の構成は

第18話 代理戦争
第19話 追放
第20話 繁栄
第21話 鳥取城
第22話 斎藤利三
第23話 唐入り

となっていて、この巻のあたりから光秀と信長の間に大きな溝ができ始めます。天下の統一がだんだんと見え始めたところで、信長は海を超えて「唐(から)」つまり当時の明国へ侵攻することを考え始めますし、さらにそれを支える織田家の組織をブラッシュアップするための、古くからの家臣である「佐久間信盛」「林秀貞」の追放を行います。

このあたりは忠臣を容赦なく切り捨てる信長の冷たさというパターンで語られることが多いのですが、信長よりのことをいうと、今まで我慢してきて使ってきた旧弊な家臣をようやく切り離す時期がやってきた、というところかもしれません。現実に、この頃から織田家は「軍団制」が徹底し「尾張の弱兵」と評判を返上するようになってきてますね。

そして、この巻で、信長は宣教師の口車に乗って唐入りに意欲を示したような感じがこのシリーズでは描かれているのですが、「信長のシェフ」ではそこまで宣教師たちの甘い言葉を信じていない様子に描かれてます。どちらが真実に近いかは、信長びいきかどうかで分かれるかもしれません。

ただ、光秀が反対する信長の「唐入り」については、光秀以外にも反対者がいるようで堺の商人たちも自分たちの貿易商としての権益がなくなるのでな大反対なようです。
さらに、この巻の最後のほうでは、光秀と苦難をともにした家臣の斎藤利三や吉田兼見などの公家衆からも光秀の唐入り阻止に協力する約束をとりつけることができます。ただ、この約束がどこまで固いものかは、歴史が証明しているとおりですね。

もっとも、このあたりには異説もあるようで、宮下英樹さんの「センゴク」では、天下統一後、織田家に味方した諸将の暴発を防ぐには「唐入り」しかないとするのは、光秀も同じ考えで、信長は光秀を「唐入り」する自分の副将扱いにするつもりであったように描かれいました。このあたりは光秀も戦国武将の一人として「平和」だけを希求していたかどうかは、当方的にもちょっと疑わしいところですね。

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【レビュアーから一言】

光秀とともに足利義昭に仕え、古くからの「盟友」と言われた細川幽斎なのですが、光秀が本能寺の変で信長を弑した後、秀吉と天下を争う場面で、彼は光秀に味方せず、これが光秀の天下支配が超短期に終わった原因の一つとも言われています。
なぜ彼が光秀に味方しなかったのかは、信長生存の噂を信じたせいとか、秀吉軍と光秀軍のどちらが勝つか日和見した、とかいろんな評判があるのですが、本書の第3巻では、そのあたりについて、室町幕府の名門で、一時は光秀を家臣(というか光秀は「足軽」だったので、かなりの下っ端ですね)にしていたこともありながら、光秀の下風に置かれてしまった「名門の鬱憤」を抉り出してます。損得勘定より、案外こういう「感情問題」が真相なのかもしれません。

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