懐かしの町中華は滅びゆく食文化?ー北尾トロ「夕陽に赤い町中華」

グルメ

昔からあるにもかかわらず、古臭い、野暮といったイメージで敬遠されていたものが、突如として脚光を浴び始める。その典型が「町中華」ではないでしょうか。
「どこにでもある、なんでもない町の中華屋」さんなのだが、入ってみると妙に暖かく居心地がよくて、でてくる料理はなぜか懐かしい。そんな「町中華」の魅力の源泉と歴史について、わかりやすく教えてくれるのが本書『北尾トロ「夕陽に赤い町中華」(集英社インターナショナル)』です。これを読めば、最近流行の「町中華」について料理の味や店の佇まいを超える、ひと味違う「ウンチク」を語れること間違いなしです。

【構成と注目ポイント】

構成は

はじめに
第一章 町中華はどこから来たのかーもろびとこぞりて
1 人形町の「大勝軒本店」に見る戦前からの流れ
2 地方から東京へ 「下北沢丸長」に見る戦後の流れ
3 引揚者の参入で大陸の味が合流した
◆コラム1◆町中華店名考
4 日本人の食生活を変えたアメリカの小麦戦略
5 町中華の味を決定づけた”化調”の流行
第二章 町中華の黄金期ーワリバシは踊り、鍋は炎に包まれた
1 出前のバイクが町を走る
2 メニュー研究:”最強打線”と”三種の神器”が奇跡の合体
3 絶頂の八〇年代、ギターを中華鍋に持ち替えて
第三章 町中華よ何処へ行くー太陽はまだ沈まない
伝説の人、山岸一雄の味を求めて
『お茶の水、大勝軒』の挑戦
◆コラム2◆残っている町中華はなぜつぶれないのか
エピローグ
おわりに

となっていて、第一章から第二章にかけて、町中華の老舗を訪ねながらの、「町中華史」的考察、第三章が、つけ麺発祥の店として有名になりすぎて、町中華の店としては変質してしまった「東池袋 大勝軒」の町中華メニューに復活のルポを通じての町中華の未来の考察、という筋立てになっています。

なので、もともとの動機は、

町中華は消えいく食文化かもしれない。だから、いまのうちに食べ歩いて記録しておこう。単純な動機で始めたことだけれど、やってみたら異様に奥が深いのである。昭和の腹ペコ野郎の胃袋をがっしり支えてきた食文化は、掘れば掘るほど新たな興味や疑間が湧いてくる宝箱みたいなものなのだ

ということなのですが、筆者も所属する町中華探検隊が監修している「町中華名店列伝」、「町中華とはなんだ」「町中華探検隊がゆく」や鈴木隆祐氏の「愛しの街場中華 東京B級グルメ放浪記2」とはちょっと趣向が変わって、町中華の歴史をさぐる的な本となってます。

◇町中華の歴史は、戦後日本史とシンクロする◇

本書を読むと、町中華の歴史は大正2年創業の東京の日本橋人形町の「大勝軒」(つけ麺の東池袋大勝軒とは全く違う店)あたりにルーツがあるようなのだが、本格的な「町中華史」が始まるのは、やはり戦後から。本書でも

『大勝軒本店』のような戦前からの店を、すでに独自の味で営業してきた実績を持つキャリア組だとすれば、戦後の混乱期に飲食業に参入していった人たちはサバイバル精神にあふれたノン・キャリア組。従来の常識に縛られることなく、新しい業態としてスタートした″なんでもありの中華食堂″の中心となった人たちである。彼らを抜きにして町中華を語ることはできない

とあるように、中華料理だけでなく、カツ丼からカレーまで、日本の食文化の混沌を体現しているかのような「町中華」のカオスは、戦後の日本の高度経済成長と歩調をあわせて進化してきたことが本書を読むとわかります。

このへんは、中国からの引揚者によって「餃子」が「焼売」を押しのけて、日本の食卓を席巻したり、アメリカからの小麦の食糧支援や輸入によって、「ラーメン」が国民食となっていったことでもわかりますね。

当然、この高度成長に歩調を合わせるということは、

僕が生まれた頃の町中華は若者が働き、若者が食べにくる、活気あふれる中華の食堂だったのだ。いまの町中華を訪れる人たちは、「レトロで味がある」とか「夫婦で切り盛りしていて居心地がいい」などと感想をもらすけれど、当時はまったく違っていたのだ。食のジヤンルとしても新しかったし、若い力がみなぎっていた。店全体がバイタリティのかたまり。上り調子。

ということで、ひょっとすると町中華のパワーの衰えは、日本人のパワー、日本の国力の衰えともいえるのかもしれませんね。

◇化学調味料が悪者か?◇

本書では、「中華料理」が語られるときに、いつも問題とされる「化学調味料」のことについても考察されてます。ただ、その論調はそんなに否定的なものではなく、

最近でこそメディアで取り上げられる機会が増え、女性の間でも町中華という言葉が使われるようになってきたけれど、店へ行けば、そこで食べているのは圧倒的に男たちなのだ客層が被ると思われる牛丼チエーンの味は優しくなつたか。低価格カレーチエーンの味はマイルド路線を選んだか。そんなことはないだろう。男たちを納得させるのは、やけにバンチの効いた味。これは時代を超えた真実だと僕は思っている。

という味の要請に応えるためで、

化調が好評を得たのは、味の面はもちろんのこと、家庭にも浸透した調味料がもたらす安心感も関係があるだろう。客は家庭の味を求めて外食には出かけない。家ではできない味に金を払う。しかし、あまりにも尖った味だと好みの差が激しくなり、商売としてうまくない。実カの劣る店と見なされたら二度と来てはもらえない。

であったり、

全国チェーンなどなく、せいぜい小規模なのれん分けグループがレシピを共有していた当時、情報の伝達スピードが遅かったにもかかわらず、町中華ってだいたいこんな味だよね、というイメージの共有が進んだのだは、化調があったからこそだと言えるのではなかろうか

と筆者は「化調」に対して目くじらを立てていないのが特徴的ですね。まあ、一昔前に一世を風靡したグルメ漫画では、とことん「悪者」「悪魔」扱いされていたのですが、

戦前からの職人や本場の料理人が腕を振るうところはさておき、素人同然で始めたようなところは、自己流スープでやるしかない。大胆だ。そして濃厚というよリギトギトだ。それでも良かった。腹をすかせた男たちが求めるのは、有無を言わせぬ強さで満腹感を与えてくれるエネルギー源なのだ。

というのがルーツにある「町中華」の世界では、当方としても筆者の論に賛成でありますね。

◇筆者の選定する”町中華”スタメン◇

筆者によると、町中華のメニューを野球のスタメンのようにリストアップすると

一番>どこの店にもある出塁率の高い「餃子」
二番>店により当たり外れに少ない「もやしそば」
三番>味において飯メニューを引っ張り、四番の登場をお膳立てするチャンスメーカーの「炒飯」
四番>町中華の黎明期から全ての店を背負ってきた「中華そば」「ラーメン」
五番>スタッフのまかない飯からメニュー昇格した「中華丼」
六番>ツボにはまると長打力があり、クリーナップとは持ち味の違う「天津飯」
七番>野菜と塩味スープで、化調に頼らない安定感をもつ「タンメン」
八番>アレンジの効いた攻撃のバリエーションの豊富な曲者「焼きそば」
九番>主食にも副食にもなる器用なスイッチヒッター「ワンタン」あるいは「ワンタン麺」
DH>夏場にチームの力が落ちてきた時にありがたい助っ人「冷やし中華」

というラインナップだそうですが、あなたのチーム編成はどうでありましょうか?

【レビュアーから一言】

筆者は本文中で

心配なこともある。
町中華が注目されるのはいいのだけれど、 一時のブームとして消費されてしまいそうで気が気じやないのだ。味が懐かしい、個性的な料理がたらふく食べられる、雰囲気が昭和レトロで新鮮。そんな楽しみ方をしている間にも、町中華はゆるやかに衰退への道を進んでいく運命にある。

と町中華の未来についてかなり悲観的な思いを抱いているのはたしかです。さらに本書が書かれた当時には予測だにしていなかった新型コロナ禍が、町の小さな店に大きな冷水を浴びせているのも間違いないところです。この「町中華」の行く末を見守るのが、全てのB級グルメの責任なのかもしれません。

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