空海は「雨乞勝負」に勝ち政治化、最澄は最大の宗教論争へーおかざき真理「阿・吽」13

平安時代の初期、日本の思想界に相次いで出現し、日本人の思考に大きな影響を与えるとともに、世俗の権力へも大きな権勢をふるった比叡山や高野山の基礎を築いた。「最澄」と「空海」、二人の天才を描く『おかざき真理「阿・吽」』シリーズの第13弾。

前巻で、嵯峨天皇の近臣の実力者・藤原冬嗣の支援をえて九州・筑紫の国へ布教へ出向いた最澄と、橘逸勢と藤原良房の嵯峨朝廷後の権力抗争の種が見えてきたのですが、今巻では、空海が朝廷内でさらに力を伸ばし、高野山に寺を開くまでと、空海と最澄のすれ違いの様子が描かれます。

構成と注目ポイントー空海の政治化と最澄の宗教論争の行方は

構成は

七十話 神泉苑雨乞対決
七十一話 筑紫国巡行
七十二話 会津の徳一
七十三話 徳一菩薩
七十四話 比叡山澄法師、理趣釈経を求むるに答する書

となっていて、まず「神泉苑雨乞対決」は、空海と「法力」の勝負を何度も争った「西寺」の守敏との「雨乞い」の祈祷勝負。時期的には、824年の大旱魃の時で、当時の嵯峨天皇が陰陽師の「呪」や「龍舞」によっても一向に雨がふらない状況をなんとかするため、当時「法力」の最も優れていた二人の僧に競わせた、というのが史実ですね。

伝説では、守敏が先に七日間、祈祷したのですが降雨はなく、空海にバトンタッチをしますが、空海が祈っても雨が降らない。これは守敏が空海の手柄を立てさせないため、国中の龍神を封じ込めていたため。空海は、守敏が閉じ込め忘れていた「善女龍王」を招来して・・・といったことになていたのですが、本シリーズでは、世間の事情に通じている空海が科学的な解決法を見出します。それは今の「気象学」に通じる方法で・・という展開です。

この「雨乞対決」は、嵯峨帝と藤原冬嗣の仕組んだ「政治ショー」でもあったのですが、空海は見事その与えられた配役を見事に演じることによって、政治権力の中にがっちりと食い込んでいくことになります。

一方、七十二話・七十三話は、しばらく都を離れている最澄が東国へ行き、そこで布教を行っている法相宗の「徳一」と再会する話です。徳一は、東国で、坂上田村麻呂の騙し討ちされた「阿弖流為」を信奉していた「民衆」を束ねて、一種の宗教王国を築いています。

阿弖流為とともに出兵した若い男たちが、坂上田村麻呂の軍隊によって敗死した後、村を守る男たちがいなくなったため、山犬や狼が村の中まで出没していた村を再び、昔のような平和な村に復活させた徳一和尚の功績に対し、最初は尊敬の念を抱いていた最澄なのですが、彼が知り合った三人の娘たちがある娘は山中で見つけた「きのこ」の毒味役

あるいは、村から豺狼を遠ざける役目として

次々と姿を消していくことで、最澄は「徳一菩薩」の作り上げた「パラダイス」の秘密に気づきます。それは、仏教によって「救済される者」と「救済されない者」を厳重に区分けする、

という理念に基づく「パラダイス」であったのですが、それは最澄の説く「仏教哲学」とは真逆にあるもので・・・、という展開です。この「徳一和尚」との宗教論戦は、二人が亡くなるまで続く長期戦となります。

このほか、最澄が筑紫の国で出会った山中の屋敷の怪異であるとか、

理趣経の貸し借りを名目にした、空海と最澄の混じり合おうとしない物語であるとかが収録されているので、詳細は原書のほうで。

レビュアーから一言ー空海の政治化の評価は?

朝廷から離れて、布教の道を歩いていく最澄と、嵯峨天皇や藤原冬嗣の力を後ろ盾に、朝廷を布教の基礎作りに利用していく空海との「方向性の違い」が如実に見えてきたのが今巻のように思えます。史実では最澄は神泉苑で行われた「雨ごい」の2年前の822年に没しているので、この対決の様子を見ていたわけではないのですが、生きていたら、政治権力を呑み込んでいこうとする空海の姿に何を思ったか、気になるところですね。

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