おかざき真里「阿・吽」14=空海と最澄、密教界の二大天才の出会いの結末はいかに

平安時代の初期、日本の思想界に相次いで出現し、日本人の思考に大きな影響を与えるとともに、世俗の権力へも大きな権勢をふるった比叡山や高野山の基礎を築いた。「最澄」と「空海」、二人の天才を描く『おかざき真理「阿・吽」』シリーズの最終篇。

前巻で嵯峨帝と藤原冬嗣が企画した「雨乞い対決」に勝利し、朝廷との結びつきを深める空海に対し、最澄は東国で仏教の普及をしている法相宗出身の「徳一」和尚との宗教対立など自らの仏教思想を守るため孤立を深めていっていたのですが、災害が相次ぐ中で、朝廷から疎まれる最澄と朝廷に愛される空海との違いが際立ちながら、満濃池の改修といった難局に立ち向かう空海の姿が描かれます。

あらすじと注目ポイント

七十五話 結界
七十六話 顕戒
七十七話 人、金剛にあらず
七十八話 満濃池
七十九話 末法
後日譚

となっていて、空海は第3巻で出会った、水銀を操る「ツチグモ」一族の「ニウツ」と約束した地・高野山に自らの宗教拠点をつくる準備を始めます。現在は、山中に寺院のあるイメージなのですが、本書では当時、紀の川を通じて、上流は吉野とつながり南都(平城京のあった奈良)と水路で人や荷物を運びやすく、下流は空海の故郷である阿波のある瀬戸内へとつながり、平安京のある京都まで険しい山があまりなく、水路を利用した交通の要衝であるとともに、大和に古くから伝わる「神々」とも親和性の高い土地であることが示されています。

この地で、空海は、彼に付き従って高野山にやってきていた「泰範」から「名前」を奪い、彼と決別します。泰範は、天台の後継者となることを期待していた最澄を捨て、空海の後継者となることを狙っていたのですが、「自分は、人に好かれる、選ばれた人間なのだ」と誇る俗物性を嫌われたのでしょうか・・。

史実としてはこれからほぼ20年後、京都にある真言宗の根本道場である「東寺」の「定額僧」(律令制度上で認められた寺の正規の僧)の中に名前があるらしいので、空海の教団内でそれなりの地位を保っていたようです。

空海が高野山の開創を始めた1年後の弘仁9年、関東でM7.5以上の大地震が起きます。これによって、東国で信者を集めていた「徳一」の教団も被害を受けているのですが、現在の群馬、埼玉のあたりは山崩れなどの大きな被害を受けたようです。さらに西日本を中心とした大旱魃で飢饉が発生するとともに、全国的に疫病が蔓延
し亡国の危機に陥るのですが、ここで最澄と空海は対照的な様相を見せます。

まず最澄は、「全ての人を救わなければならない」として、仏教、特に天台宗を修行した人を各地に派遣して、仏教の教えを広めるとともに、その地の水利や開拓を行い、地域を振興するという政策案を帝に提案します。
しかし、最澄の前に立ちはだかったのが、まず南都七寺の僧侶たち。かれらは最澄の教えは「まやかし」「妄言」だと避難し、最澄の提案を退けるよう帝を脅します。しかし、これにめげる最澄ではなく、膨大な量の提案書を帝に再提出し、藤原冬嗣の弟・良岑安世の口添えで帝の前でプレゼンテーションの機会を得ることができたのですが、実はそこには、藤原冬嗣の「陰謀」が仕込んであって・・という展開です。
最澄の提案は、冬継の「疲弊した民にとって、混乱した国に於いて正しすぎる光は、毒になる」という判断で退けられることとなります。

一方、空海のほうは高野山で自ら土のまみれて寺院の建設作業と開墾作業を行っています。さらに土木建築の知識を活かして、南都七寺ともうまくつきあい、南都仏教の中心の東大寺に密教の灌頂道場をつくることに成功しています。さらに平安京に二つしかなかった官寺の一つ「東寺」を下賜されるなど、朝廷の扱いは最澄とは雲泥の差ですね。

この後、嵯峨帝から、この時代より100年前に築堤された讃岐の巨大ため池「満濃池」の修築を依頼されます。
空海は前任者が1年かけても完了しなかったこの工事を3ヶ月で終わらせると豪語するのですが、たびたび決壊し、周囲に被害をもたらしているこの工事は評判が最悪で、労働者を集めてもすぐに逃げ出すという始末です。さて、空海はこの難局をどう切り抜けるのか・・といった展開です。
ネタバレを少しすると、四国で海運業を手広くやっていて、人望も厚かった父親の人徳が活きてきますね。

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レビュアーの一言

空海には諸国を旅して、様々な奇跡を起こしたという伝説が各地にあって、それは高野山から派遣されて地方を布教してまわった「高野聖」の影響もあるのですが、基本のところは、本書で描かれているような、朝廷への上奏は繰り返すのですが寺内に籠もっていた「最澄」と、地元の民衆とともに土木工事をしたり作業をしていた「空海」との、民衆との関わりようの違いがあるような気がします。

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