迅三郎は博多で蒙古軍と再び対決ー「アンゴルモア 博多編」3・4

日本を「カミカゼの国」として認識させ、それ以後の国防に関する考えに大きく影響を与えた「元寇」のうち、最初に中国・元から侵攻を受けた文永の役で、対馬、壱岐が壊滅的な敗北と略奪を受けた後、九州本土へ押し寄せてきた元軍を日本の鎌倉武士が博多で迎え撃つ姿を描いた『たかぎ七彦「アンゴルモア 博多編」(角川コミックス・エース)』の第3弾と第4弾。

今回は、高麗船に密航した後、天草勢に救われて博多へ辿り着いた朽木迅三郎が、博多の町でごろついている「悪党」たちを率いて、博多湾」に襲来してきた元軍と戦い始めます。

あらすじと注目ポイント

第三巻 日元の本格戦が始まる中、迅三郎博多到着

壱岐へ到着した大蔵太子ら天草勢と迅三郎は、ここで壱岐の守護代の娘の頼みで城から脱出して潜伏している城将たちのもとへ行くのですが、そこで発見したのは既にこと切れていた太子の弟・大蔵種資です。

彼女の弟は天草から壱岐に渡って、そこで壱岐の守護代・平景隆の世話になっていたのですが、今回の蒙古侵攻から壱岐の民を守るために、城兵とともに戦い、命を落としたようですね。大蔵種資は実子を大蔵太子の養子としているので、自領であった天草の河内浦を何らかの事情で姉に譲って、壱岐へ出奔したといった事情でしょうか、本書ではその経緯は明らかにされていません。
さらに、この壱岐で、女真族の劉復亨に殺されたはずの鬼剛丸も生きていることが明らかになります。

一方、日元の戦乱は10月21日に板って、菊池、竹崎たち九州の御家人たちの突出をきっかけに一気に戦闘状態に入ります。最初小競り合いだったものが、主力同士がぶつかりあう決戦状態に入っているのですが、日本側にはまだ「蒙古」の力を侮っている気配が漂っています。この油断につけこむかのように、当時の中国の新兵器であった「てつほう」によって日本勢の馬をパニックに陥れて暴走させ、集団で殲滅にかかってきます。
さらには、蒙古族の「ウール三兄弟」の「雲の陣」の罠にひっかかり、これまた集団で取り囲まれて、小代たちの坂東武者が次々と討ち取られていくことになります。

ここで少弐景資が、千葉頼胤たち残りの坂東武者たちを煽って反撃に転じようとするのですが、博多湾に到着した、蒙古の千人大将・ウリヤンエディ率いる船団に乗った第三陣の大軍の前に蹴散らされていきます。

仮にこの場面で筥崎に駐留する本軍からの支援があれば戦局も変わったかもしれませんが、ここの陣する少弐、大友の主力は、双方が元寇終了後の勢力温存を狙って牽制し合うばかりで、どちらも動こうとしません。このへんの腹の探り合いが日本勢が押し負けていく原因でもありますね。

そして、迅三郎たちのほうは博多湾近くに来た天草勢の船から逃げ出し(太子がこれをわざと見逃した感じがありますが)、少弐景資勢に再会することになります。

アンゴルモア 元寇合戦記 博多編 (3) (角川コミックス・エース)
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第四巻 朽木迅三郎、少弐の軒先をかりて出陣する

少弐景資に再会した、名目上の捕縛を受けた後、少弐家へ味方し、蒙古撃退に向けともに戦うよう依頼されます。迅三郎としては、何よりも対馬への米の輸送を優先したいところですが、すでに制海権が蒙古にある以上、これを退けないと米も送れないのは事実なので、しょうがなく少弐家のもとで戦うことを承知します。

そして、再び蒙古勢と戦うことを決意した迅三郎の配下となるのが、対馬の宗家の家臣である船中の小太郎と、かつて鎌倉で迅三郎の部下であったウカカミ藤太です。藤太は大和から流れてきて博多で勢力を延ばしている「荒蜘蛛衆」の頭となっているので、自動的に、この乱暴者たちも配下に加えたことになりますね。

そして、日元戦争のほうはいよいよ「博多息浜」での対決の時を迎えます(どういうわけか、大蔵太子も戦陣の一端に加わっています)。
迎え撃つ日本軍は、少弐景資を総大将とする鎌倉の御家人連合軍、元側は、千人大将・のガルオス、ウール三兄弟、ウリヤンエディをそれぞれ大将とする三派連合です。この物語の主人公の朽木迅三郎は、前日の戦で「宇都宮」勢や「小代」勢を押し包むようにして殲滅した「雲の陣」を敷く「ウール三兄弟」めがけて突っ込んでいきます。当然、周囲をウール三兄弟率いる蒙古兵に囲まれることなるのですが、迅三郎の付け目は、兵士たちの囲む速度の違いで、副将の「走る雲」こと「ダフトゥリトゥグ ウール」目掛けて突撃していくのですが・・・という展開です。

さらに、この迅三郎の捨て身の突撃で、いつもはバラバラで統制もなくテ敵と戦う「個人戦」を戦っていた日本勢いは、蒙古軍の弱くなっているところに向かって、殺到してきます。バラバラに動いていた野犬たちが、弱った獲物に集団で襲いかかっているような状態ですね。もともと個人技としての武勇には定評にある鎌倉武士なので、疑似的な集団行動が始まると、蒙古兵の敵うところではありませんね。

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レビュアーの一言

朽木迅三郎の対馬から博多までの航海を助けてくれた天草の女地頭・大蔵太子ですが、彼女には2人の男兄弟と一人の女姉妹がいて、父の天草の領地は、長兄が高浜・平浦、次弟が河内浦を相続し、彼女は本砥島の地頭職を相続しています。「男尊女卑」がセオリーだったと思われる武家社会なのですが、元寇の頃は、女子にも相続権があったようで、このあたりは目鱗でありました。
そして、彼女のような「女武者」は、ほかにも数多くいたようで、けして「戦うこと」は男性の独占事項ではなかったようです。このあたりは『長尾剛「女武者の日本史」(朝日新書)』に詳しいので、興味のある方は読んでみてくださいな。

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