梶川卓郎「信長のシェフ」30=信長の「唐入り」政策の中身は捨て身の「日ノ本」防衛策

現代からタイムスリップをしたフレンチのシェフが、織田信長の専属料理人となった上に、彼の命を受けて信長の前に立ちはだかる様々な難題を「料理」によって解決していく『梶川卓郎「信長のシェフ」(芳文社コミックス)』シリーズの第30巻。

前巻で祖国ポルトガルがスペイン王・フェリペ二世によって併合され、本国におけるイエズス会の勢力が低下し、日本へフランシスコ会が進出することを怖れたヴァリニャーノによって提案された「明国征服」に対する「信長」の対応が描かれるのが本巻です。

あらすじと注目ポイント>信長の「唐入り」政策の中身は捨て身の「日ノ本」防衛策

第246話 天下の面目
第247話 統一後の未来
第248話 日の本の価値
第249話 謎を込めた風炉
第250話 信長の後押し
第251話 祝言の夜
第252話 ヴァリニャーノの書簡
第253話 信忠と武田

となっていて、まずは前巻でヴァリニャーノから提案された「明国政征服」について、信長と光秀が話し合うところからスタートします。本シリーズでは、光秀は信長の腹心として主要政策にも関わっている参謀系の家臣で、政権内の地位は方面軍の司令官的な秀吉より「上」な感じで描かれています。
そして、ここで信長が光秀に示したプランは、明国を征服して根拠地として、フィリピン、マニラへと侵攻していく計画です。

これが本当に実現可能と信長が思っていたかどうかは、本書を見る限り明らかではないのですが、南蛮諸国の日本征服を阻止するため、東アジアにおける一定の支配権の確立と明智光秀は推理し、周辺国との関係を悪化させ、国内からも不満の続出する政策なのですが、日本の独立を守るためには必要な策だと考えています。ただ、その実行者が、尊敬する信長で、彼が後世に汚名を残すことに納得がいかないようです。

ただ、管理人としては、南蛮諸国から日本を防衛するための自らの評判を犠牲にした救国の策というよりも、戦国時代が統一されていくに従って用済みとなるであろう「軍事」体制の「処分」の方法として「唐入り」を考えていたと推測します。特にヴァリニャーノが日本を離れるにあたっての送別の宴を催すにあたり、天下一統の後、「日本は弱くなる」といい、これから南蛮との交渉で中心となるのは「外交戦」であるといい、

と言っているあたりをみると、秀吉の実行した「刀狩り」や家康の「元和偃武」のような大規模な軍の解体すら考えていたのかもしれません。

となると、実際に朝鮮に出兵してしまった秀吉は、「日の本防衛」という「信長の野望」を山崎の合戦で勝利させられることによって、一番悪い形で「光秀」に肩代わりさせられてしまった「被害者」なのかもしれません。

そして、信長の天下一統のほうは、本願寺勢力と和睦がなり、長篠の合戦後、高天神城が徳川方に落ちたことで次の局面へと進んでいきます。

四国方面では、畿内の反織田勢力が阿波に流れ込んだことにより、長宗我部の四国平定が困難になり、甲信越では、高天神城へ救援を送らず見殺しにしたため、武田勝頼への家中の信頼が低下が著しくなってきて、織田・徳川連合軍による武田殲滅の戦が近づいてきているようです。ここで、本シリーズでは、勝頼は見殺しにしたわけではなく、織田との和睦交渉がなんとかなりそうなので、それを頼みにしていたのですが、この和睦交渉そのものが勝頼に下手をうたせる信長の罠だった、という説を紹介しています。

長篠の合戦で破れ、上杉謙信死後のお家騒動「御館の乱」で北条氏と不和になって下り坂になったと言われる武田勝頼は、実は北関東の佐竹氏ほかの戦国大名と盟約を結んで北条氏を圧迫し、武田家史上最大規模の領土を獲得しているので、あながち「凡愚の将」ともいえないようで、織田信長とケンの前に立ちふさがってくるのは間違いないようです。

次巻以降では、元許嫁の「松姫」への未練いっぱいの織田信忠がキーになってきそうな感じが漂っていますね。

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レビュアーの一言>日本の結婚式の原型は戦国時代にすでにあった

本巻の中程では、長い恋人時代が続いていた、ケンと夏がやっと祝言をあげます。「夏」の衣装はこの当時の正式な花嫁衣装である「純白」の小袖と打掛での嫁入りです。

武家ではないとはいえ、ケンは信長のお気に入りの料理長かつ料理を使った諜報活動もする情報将校でもあるので、地味婚とはいかなかったようですが、この当時から行われたとされる「三三九度」や、夫婦の寝所で3日間過ごす間は白装束で過ごし、3日後に色柄の着物に着替える「お色直し」までは流石にやめておいた、というところでしょうか。

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