江戸末期の天保年間を無頼にして、晴らせぬ怨みや、利害や因縁がもつれあってしまった困難事を、闇の世界に救う「小悪党」たちが、「妖怪」が絡む怪事とみせかけて解決していくのが「巷説百物語」シリーズです。2010年に、上方を舞台にした「西巷説百物語」から11年後、「妖怪話」のメッカである岩手県遠野を舞台に、新たな「化け物退治」にみせかけた揉め事解決の物語が描かれるのが本書『京極夏彦「遠巷説百物語」(角川書店)』です。
あらすじと注目ポイント
収録は
「歯黒べったり」
「磯撫」
「波山」
「鬼熊」
「恙虫」
「出世螺」
の六編。
「巷説百物語」「続巷説百物語」「後巷説百物語」の山岡百介のように、物語の語り手と「表」で動く中心人物となるのが、若い頃、遠野南部家の当代城主・南部義晋の小姓に抜擢され、その信頼を得た後、現在では藩籍を離れ浪人となった上で、盛岡で藩の家老職を務める南部義晋の耳目「御譚調掛」という非常勤の役目を拝領して、遠野郷の情報収集を行っている「御夫方祥五郎」という元藩士です。
この遠野南部家というのは、もともと北奥羽に勢力をはっていた南部氏の一族で、八戸を領していたのですが。江戸時代になって遠野の支配を任され、以後、その地を独立的に治めるとともに、中野氏、北氏とともに御三家として南部家の世襲家老を務めてきた盛岡藩の名門です。ただ、当主は南部盛岡藩の筆頭家老でもあるので盛岡を離れることができず、このため領地の動静をつぶさに知るため、「祥五郎」を密偵として使っているという設定です。
この「御夫方祥五郎」が探査のため、遠野城下でおきる「怪異」な事件に首をつっこんでいくのですが、そこで遠野の山中にある「迷家(まよいが)」を根城にする「座敷童衆」の「花」、なんでも屋の「仲蔵」、献残屋の「柳二」といった怪しい人物たちと出会い、表でおきる事件の、裏の真相を知っていくこととなります。
第一話の「歯黒べったり」は、目鼻がなく、お歯黒をべったり塗った大きな口ばかりあって、人が通りすがると振り向いてケタケタと嗤う女妖怪の話です。遠野の町中には、「山田屋」という地方の菓子の名店があるのですが、そこの妻女の「信」の目鼻がなくなったという怪異な噂が広まっています。
その姿は、前述の「お歯黒」妖怪そっくりで、困った山田屋の主人が屋敷内に妻女を幽閉したいたところ、数日して、その妻女の行方がわからなくなります。そして、それから遠野の山中に「お歯黒」妖怪が出没するようになって・・・という展開です。
この妖怪退治に家中で剣の腕がたつと言われている勘定方の大久保平十郎が妖怪退治にでかけ、見事、妖怪を打ち払った、という筋立てなのですが、実はその裏で、仲蔵や柳二たちの請け負った本当の「仕事」が裏に隠れています。そして、彼らから聞いた真相は、山田屋の妻女に奇妙な話で・・という筋立てです。
第二話の「磯撫」では、まず巨大な鮫とも鯱ともいわれる巨大な魚の妖怪話が語られます。さらに、その巨魚が遠野を流れる橋野川を溯上してこようとしている、という噂にまでつながっていくのですが、これが今回の事件の中心となる米商人の行方不明にかかわってきます。
その米商人というのは、盛岡の勘定所からの急なお達しで、遠野に入ってくる「米」を一手に引き受けることを認められた盛岡の商人なのですが、当然、そのことは地元の百姓や商人には寝耳に水で、皆が反発して、その米商人のところと米商いをしようとはしません。ところが、米を一手に引き受けてくれるという噂から、遠野の近くの海の漁師たちは、獲れた魚を米と交換してもらおうと米商人のところへおしかけます。このせいで、遠野の町中が大混乱となり・・という展開です。
不合理な勘定所のお達しに不自然なものを感じた「祥五郎」が調べていくうちに、仲蔵たちから、その騒動の発端にはある汚職事件が絡んでいることを教えられるのですが・・という展開です。
このほか、娘が連続してかどわかされ、家の前に上半身を黒焦げにされた状態で発見される事件のおきる「波山」や、廃屋となっている大きな屋敷跡で頭を撃ち抜かれた巨大な熊と鋭利な爪のようなもので抉られた、女衒やかどわかしをやっているとして評判の悪い三人の男が発見されるのですが、という「鬼熊」など、妖怪の引き起こす怪事件と見えながら、実は人間の所業がからむ事件の数々が語られていきます。
そして、後半になるに従って、事件の規模が大きくなり、最後は、藩の存続にかかわった大事件へと話が拡大していくのですが、詳細は原書のほうでお楽しみに。
レビュアーの一言
今巻の時代設定は、天保12年に幕府の実権を握り、その後、風俗粛清や奢侈禁止の厳しい取り締まりを断行し、また、貨幣の改鋳などによって物価統制を図った天保の改革を主導した水野忠邦が失脚してから数年後(弘化二~三年)のあたりらしいので、ペリーの来航はまだにしても、異国船が浦賀や長崎に入港し、幕末の動乱の臭いが漂い始めたころですね。
ただ、その風はまだ遠野のほうまでは吹き込んできておらず、江戸の「怪異」の最後の輝きを見せたころなのかもしれません。
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