画狂人・北斎をセレブ門人の視線からみると=梶よう子「北斎まんだら」

富岳三十六景をはじめとする膨大な量の浮世絵と、その斬新な画法とアイデアで、日本だけでなくヨーロッパの絵画界へも大きな影響を与えた画狂・葛飾北斎。その絵師に弟子入りを志願する地方の豪農商の跡取りの「高井三九郎」の視点から、北斎とその娘・お栄、渓斎英泉たち画に取り憑かれた変人たちの姿を描く「浮世絵師」シリーズの一つが本書『梶よう子「北斎まんだら」(講談社文庫)』です。

あらすじと注目ポイント

物語は弟子入りを願って江戸へ出てきた高井三九郎が、浅草明王院内の五郎兵衛店の北斎とお栄が住居兼アトリエにしている長屋へやってくるところから始まります。

この物語の語り手となる高井三九郎のことを少し紹介しておくと、三九郎は信州国高井郡小布施村の豪農で酒造業を営んでいる「高井家」の十代目で、天明の大飢饉のときに、倉を開放して食料を飢えた人々に提供した功績で名字・帯刀を許された旧家の金持ちですね。名字の「高井」というのも地名の信濃国高井郡の「高井」に由来するそうですから、まあ地方の「上流階級」ですね。当時、酒造業をはじめとする商売の営業エリアは信州にとどまらず、江戸、京阪北陸、瀬戸内まで広がっていたそうですから、地方の優良企業でもあります。

三九郎はその跡取りなので、若い頃から京都で遊学して、儒学、国学に始まって、書、絵画、和歌、漢詩と当時のセレブが身につけるべきとされていた教養のほとんどを習得していたという人物です。ただ、この当時の彼は、ある秘密を抱えていて、北斎がそれを解決してくれそうなのと、北斎を小布施に招いて、彼の師匠として絵を描いてもらいたいという思いから、この長屋にやってきたというわけです。

しかし、三九郎が北斎の長屋を訪れて弟子入りをお願いするのですが、彼の発言をろくに聞きもせず、弟子入りを許すとも許さないともいわず、「おめえ、面白いものを持っていそうだ」と言うなり、長屋を出ていってしまいます。

三九郎は、北斎の「アゴ(お栄のと)よぉ、おめえが見てやれ」という言葉を頼りに、その日から、北斎の長屋を訪れて、お栄のいいつける雑事をていくこなしていくうちに、北斎の門人の一人である渓斎英泉と知り合うのですが、そこで、北斎の甥の重太郎が引き起こしている北斎の贋作のトラブルの始末に巻き込まれていくことになります。

そこで、三九郎は、彼が子供の頃から隠し、悩んできた「妖怪が見える」という因果な才能との向き合い方を、お栄や北斎から教えてもらううちに、彼らの「画」に対する業(ごう)に気付かされていき・・という展開です。

物語の後半の贋作を描いていた重太郎を打ち据えながら、北斎がいう

「北斎は、おれひとりだ。おれしかいねえのだ。娘だろうと、孫だろうと、弟子だろうと、北斎はおれだ。北斎はおれ一人で十分だ。」

という言葉には、弟子は幾人も抱えながら、後継者を決めることはなく、一門を形成することもなかった、葛飾北斎の「孤高」の天才性が現れているような気がします。

Bitly

レビュアーの一言

物語の時代設定的には、中程に鼠小僧次郎吉が、「昨年の四月にお縄になり、八月にはお仕置きになった、と画塾の塾生の買ったかわら版で読んだ覚えがある」という記述があるので、天保四年ぐらいかと推測できます。ちょうど富嶽三十六景の初版摺りが完結したあたりですね。お栄はすでに離縁し、北斎と同居。英泉は、美人画のほうはだんだんと描くことが少なくなり、女郎屋を経営するかたわら浮世絵批評などの文筆家としての活動の重点を移していた時期であることは本作中からも伺いしれます。

平成7年の天保の大飢饉、天保8年の大塩平八郎の乱、そして天保12年の天保の改革といった、幕末の大動乱へと滑り落ちていく事件や政変がおきる前の「嵐の前の静けさ」の時代といいでしょう。

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