メディアアーティストや、デジタル世界の研究者として活発な活動を続けながら、「日本進化論」、「働き方5.0」、「半歩先を読む思考法」。「落合陽一 34歳、「老い」と向き合う」といった時代をリードする著書を数多く世に出し続けている筆者が示す、新型コロナ禍以後の新しい日常を生き抜くための読書論が本書『落合陽一「忘れる読書」(PHP新書)』です。
あらすじと注目ポイント
構成は
はじめに
なぜ今、本を読むのか
読書はもっと自由でいい
第1章 持続可能な教養ー新しい時代の読書法
第2章 忘れるために、本を読む
第3章 本で思考のフレームを磨け
第4章 「較べ読み」で捉えるテクノロジーと世界
第5章 「日本」と我々を更新する読書
第6章 感性を磨く読書
第7章 読書で自分の「熱」を探せ
となっているのですが、最初に注目しておきたいのは、筆者の「読書」というものに対するスタンスです。
筆者によれば、今の時代に読書する意味は
第一に「思考体力をつけるため」
第二に「気づく力をつけるため」
第三に「歴史の判断を学び今との差分を認識するため」
(「はじめに」より引用)
と提示されていて、筆者は、読書という知的情報収集の方法を、現在の先行きのわからない時代を生きるために必要となる、「新たな教養」「持続可能な教養」を身につけるためにとても有効な手段としています。「持続可能な教養」というのは、物事を「抽象化する思考」と「課題を見つける力」であるとも提示されているのですが、読書という形式が、そこに含まれている情報を自らとっていくことと、自分なりに加工することを迫られるため、必然的にそうした力が「鍛えられる」のでしょう。
さらに、その力の鍛え方も、「人生百年時代」を生き抜くためには
自分は「ここだ」と決めた一点に的を絞って、ひたすらその一点を掘り下げて知識を蓄えていき、誰もやったことのないことをやり続けていく必要があるということです。
グローバルに活躍したいと考えるなら、「1教科だけ1万点」を目指してほしい
と、一点集中型の読書がすすめられていることが特徴的です。たしかに、通り一遍の情報や知識だけであればネットを検索すればすぐさま手に入る現在において、この「深さ」が他者と自分を差別化していく、たったひとつの方法なのかもしれません。
ただ、「読書」というと、読み取った情報をしゃかりきになって暗記しておく、というのが今までの通例であったようですが、本書では
これからの時代、クリエイティブであるための知的技術は、読後に自分の中に残った知識や考えをざっくりと頭に入れ。「フックがかかった状態」にしておく
ことが大事で、言い開ければ「適度に忘れていくことが大事」とされているのが、情報が氾濫していて、フックさえもっておけば、いつでも詳細なものがネットなりから引っ張り出せる現代風なところでしょうか。(本書では、本全体の10%ぐらいが頭に残るぐらいでちょうどいい、とされています。)
こういうところから、「本の目次は読まない」、「ザッピングするほんと精読する本は分ける」「本は読み通さなくてもいいし、冒頭から順を追って読まなくてもいい」という独自の読書法もでてくるわけですね。
そして第4章以降は章ごとのテーマに沿って、筆者が読んできた本から抽出した考えやヒント、そしてその敷衍のやり方といったことが紹介されています。
取り上げられている本は、ケヴィン・ケリーのインターネット・テクノロジーに関する著書から、日本人独特の感性である「空気」について考えを深めることのできる、「失敗の本質」「ミカドの肖像」といった現代的古典、さらには、能を大成した世阿弥の著した「風婆花伝」まで、たくさんの本がでてきますので、筆者のナビゲートに従いながら、次の読む本を物色する参考にしてみてもいいかもしれません。
レビュアーの一言
筆者の「本」というものに対する認識は
「本」というある程度体系化されたパッケージは、持続可能な教養を身につけるために、とても適しています。思考体力と気づく力は、ウェブで細切れの情報に触れているだけでは、なかなか身につきません。
と積極的な位置づけがされているのが印象的です。そして、筆者のいう「本」とは紙媒体のものだけではなく、電子書籍は当然、ネット上にある論文も含まれ、さらにそれを超えて「動画」すらも」本」として考えていい、というのが興味深いところです。
いわゆる「本」とネットに流れていく情報との違いは、編集者の「校閲」、論文の「査読」といった情報の確かさを第三者の目によるフィルターを通はしているかどうかにあると思っているのですが、筆者の「本」というものに対する信頼感はそうしたことも関係しているような気がします。
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