若者は「地元」は好きだが、田舎が好きなわけではない — 阿部真大「地方にこもる若者たち」(朝日新書)

地方に在住し、上昇志向よりも地元で仲間たちと仲良く暮らしていく、新しい地方在住層を見出した「ヤンキー経済」が2014年に出版されている、本書は2013年出版であるので、ほぼ、「ヤンキー経済」の論考と軌を一にする。しかも、本書の対象が「岡山・倉敷」といった地方中枢都市をとりあげていることで、「ヤンキー経済」の現象が全国的な現象であることを証明しているようだ。
構成は
現在編 地方にこもる若者たち
 第1章 若者と余暇
 第2章 若者と人間関係
 第3章 若者と仕事
歴史編 Jポップを通して見る若者の変容
 第4章 地元が若者に愛されるまで
未来編 地元を開く新しい公共
 第5章 「ポスト地元の時代」のアーティスト
 第6章 新しい公共のゆくえ
となっていて、本書の注目点は、今現在の分析だけではなく、「歴史編」で
BOOWYの楽曲で歌われる自分らしさとは、何らかの充実した中身がそこにあるわけではなく、(あるとしてもたいして重要ではなく)自分らしさを抑圧するものに背を向けること自体にある(P101)
から
(B’Zの)曲には、社会への反発というモティーフは一切なく、現状のシステムのなかでいかに生き抜き、自分の夢を叶えるかということが歌われる(P115)
へと、そして、
ミスチルは、不安定な社会において変わらないもの(キミとボクの世界)を探し求め、そこに精神の安らぎを見いだす「関係性」とでも余分べき表現の方法をとった。・・・ここで重要になるのは、890年代後半の「関係性の時代」はB’Z的なギラギラした「自分らしさ」をも消し去ったということである(P129)
と、時代のヒット・ソングに、その時代の若者をリードする「思想性」を明らかにしたことであろう。
筆者の分析する、「いまどきの若者」像を見てみると、イオンモールが
彼らにとって、それは楽しむ場所のない家のまわりを離れ、1日かけてドライブを楽しみ、ショッピングを楽しみ、映画を楽しみ、食事を楽しむことのできる、極めてよくできたパッケージであり、まさしく「遠足」と呼ぶにふさわしい余暇の過ごし方なのである(P25)
であって、一見すると「地元が好き」といった平板な分析に陥りがちなのだが、筆者はその先の
若者の「地元志向」が強まっていると言うとき、彼らの思い描く「地元」の姿は、旧来の「地元」の姿とまったく違うものになっていることに注意しなくてはならない。彼らがノスタルジーを感じる「地元」とは、モータライゼーション以降の「ファスト風土」、ショッピングモールやマクドナルドの風景なのである。そしてそんな郊外の姿に若者たちはノスタルジックな気持ちすら抱き始めている(P87)
(地元志向の若者が)地元が好きなのはわかるのだが、都会と田舎という単純な二項対立で彼らの地元志向を理解しようとすると間違うことになる。・・彼らが愛してやまないのは、昔ながらの田舎ではなく、ショッピングモールやコンビニ、ファミレスが立ち並び、マイホームとそれらの間を自由に車で行き来することのできる快適な消費空間である。つまり彼らは地元は好きだが田舎が好きなわけではない(P150)
といったところに及ぶことによって、地方公共団体の繰り広げる「移住定住」策が陥りがちの「田舎賛美」が、実は、呼び返したい若者の志向とは微妙にずれてしまう可能性のあることを示していることは、地方行政関係者はもっと認識しておくべきであろう。
さて、筆者は
彼女ら(ギャル)が「地方にこもる若者たち」を外に向かって開くポテンシャルをもっていることは明らかである。
彼女らの特徴は、第一に身近な人間関係の多様性に意識的だということである。だから同室的な仲間集団に対する愛着心は強い(だからギャルはギャル同士でつるむ)。・・・そのうえで、異質な他者とのコミュニケーションのチャンネルを確保している。これは「統合」と呼ばれるモノで、極めて高度なコミュニケーション能力が必要とされるものである。
と、地方のこもる若者たちが新しいステップに上がっていくキーワードに「ギャル」のもつ「聞き上手」な点に注目し、彼女たちに、今までの男性文化からの強制的な「同化」ではなく、それぞれの個性を尊重しながら、まとまる「統合」への可能性を期待している。
これから、AIやテレワークの進化によって、彼女たちの手法が中心となって、今までの強権的な「統合」や「吸収」ではなく、地方に若者が「在住」しながら、緩やかに「まとまっていく」。そんな社会のあり方がでてくると嬉しいですね。

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