「期待しないこと」で心の安定を保つ方法もある

人事とか、上司の判断などに左右される物事で一喜一憂するのがサラリーマンというもの。こうした物事の特性は、相手方が判断のイニシアティブを持っていて、自分の方はその結果をひたすら待つという状況にあることで、事の成否もこちらの思うようにならないというところにある。
 
こうした物事はできれば、事の成否は考えず、心穏やかに、努力を続けられ、事が成らなかった時にも平静でいる、なんていうことができればいいのだが、そんなことは、聖人君子のみが為せる業で、大方の人は、発表までそわそわして、ダメな時は「やけ酒」といったことが多いのではなかろうか。
 
いっそ、そんなことで悩むよりもフリーランスに、という声もあるのだが、そう容易く思いきれないのが、現実であろう。
 
で、ここで、心を安定させて仕事をする一方法として提案しておくのは、それを決める権限をもっている方々に対する「期待値を下げておく」というもの。
自分では一所懸命努力し、実績をあげていると思うのだが、これがわからないのは、時代に恵まれないからか・・、といったような、自分を貶めない「諦観」を持つこと。
 
つまりは、期待するから、うまくいかなかった時の落胆も大きいのだから、はじめから「彼らにはわかんないかもしれないね」といった精神的な退避路をつくっておくということで、いわば、「自分で決められないことは、思い悩まない」という大原則の、他人を悪者にする応用形でありますな。
 
まあ、「自分で決められないこと」にあれこれ悩んで「精神的なパワー」を浪費するのが一番良くないと思うわけあります。
 

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