「粉もん」は日本のソウルフードなのか、ジャンクフードなのか?

 
もともと粉食自体が、日本の中において、米の作付に適さないところの食物といった感が強く、「米食」「粒食」が主流である日本で、「粉食」は一段下がった感があると思っている。ところが、大阪という「日本の特異地」をくぐりぬけて、たこ焼き、お好み焼き、けつねうどん、というようにコテコテの大阪の風味をつけられ、、最近、「粉食」=「粉もん」の価値観と世界観が一段アップしているような気がしていて、「粉もん」愛好者は「大阪」へ足を向けて練てはいけないのかもしれない。
 
そうした大阪の「粉もん」から始まって日本の特徴的な「粉もん」の世界を取り扱ったのが、本書 熊谷真菜『「粉もん」庶民の食文化』(朝日新書)である。
 
構成は
 
まえがきー粉にするところから始めよう
第1章 粉もんのアイドル たこ焼き誕生
第2章 粉もん軸の食文化論ーB級グルメ隆盛を可能にした製粉の技術革新
第3章 麺類万歳
第4章 ふるさとのおやき
第5章 粉もんの地位ー代用食の時代とアメリカの小麦戦略
第6章 粉もんロードの終着点ーもんじゃ、にくてん、お好み焼き
第7章 対談 粉もん礼賛 石毛直道☓熊谷真菜
付録 めっちゃ楽しい、ホンマにおいしい、粉もんレシピ
 
となっているのだが、筆者の熱愛の中心は、やはり「大阪」(あえて関西と書かずに「大阪」とする)の「粉もん」にあるようで、それは
 
粉もんをさしおいて、関西の食を語るのは現代ではむずかしい。粉もんを起点として、粉もんを入門編として味わいつくした舌で、初めて・・のいう高度な職を味わえるのであって、玄関を夜おらずに、勝手口から突然奥座敷に通されて、はんなり、まったり、奥深い旨味の文化を味わうことなど、子供にお酒を飲ませるような話である。
 
といったあたりに見て取れるのである。
とはいうものの、関西の名物をとりあげる際、江戸・東京ではないにしろ、具はこうでないといけない、とか出汁はああでないといけに、とか妙にこだわるところと、「大阪は包容力あるし、ええかげんですから」といった、ものに拘らない二つの路線があるのだが、本書は、ものによって立場が異なるようで
 
例えば、たこ焼きの具では
 
大阪人と同じで、たこ焼きはええかげんな食べ物、厳密な定義はない。あの鍋で焼いて、一口サイズの丸い形であれば、中は何を入れようと「たこ焼き」と私は考えている(P43)
 
と寛容なところを見せながら、大阪うどんでは筆者の言葉ではないのだが
 
多くのうどんが、麺や具材がメインなのに対し、大阪のきつねは麺とだしとお揚げ、いずれもが主役といえば主役だし、引き立て役といえば引き立て役とも解釈できる三位一体の微妙なバランスの上に成立したうどんといえる。(P121)
 
「あっさり」「まったり」「こってり」は完成の料理の基本やないかと思てます。
そんな訳やから、きつねうどんは麺が勝っても汁が勝っても具が勝ってもあきまへん。水も小麦も穏やかな性質でのうてはいかんのは、大阪のおうどんは何かひとつの勝った味、割り切れた味を嫌うからです(P123)
 
 
 

という大阪うどんの名店「松葉屋」の二代目の言葉を引用するなどのこだわりをみせていて、同じ大阪の「粉もん」といってもそれぞれの生い立ちや伝統が千差万別なことを表している。大阪文化もあけすけのようで、いろいろ奥も秘所もあるのかもね、と思わせる次第である。
 
ついでにちょっと賛同できないかなと思ったのが、それぞれの地方の「粉もん」、例えば「おやき」とかが作られなくなったことに対して
 
土地の人々は「いまは作らない」とのんきにおっしゃるが、あなたが作らなければ、次の世代は絶対作らないし、それは食文化の断絶を意味する。・・・その土地に生まれ育まれた小さな粉もんの知恵と技の伝承が「こんなもん、あんなもん」という評価のまま、忘れさられていくなんて、これほどもったいないことはないだろう。
 
その土地ならではのおいしさを伝え、味はもちろんのこと、作り手や道具、またそれがおいしいという判断をする味覚体験の文化系生姜なくては、その町の魅力まで半減する。その味が生まれ育った人の自慢となるような、独自性とアイデアに富んだものが伝え残っていれば、よそへ出て行った人も、必ずそこへ戻ってくるものだ。(P133)
 
という主張は至極最もであるのだが、辺境部に住まう身としては、つくる手間と子どもや孫の反応を考えると、仮にその伝統食が貴重で、ジャンクフードより希少性があっても、やhり敬遠してしまう。土部深いものは都会の中心部に住まう人々には貴重ではあるかしれないが、我々辺境部の者は田舎の象徴として、時にして都会人のからかいの対象となる「ありがたくないもの」の側面もあるのだよな、とひっそりと呟いてしまうのである。
 
ま、文句があるのはそれぐらいで、総体として、筆者の言葉を借りれば「粉もんははかない。・・ほかの料理とは扱いも別で、料理と認められないこともある。」といった言葉を使いながらも庶民の味の「粉もん」に対する情熱にあふれた本であることは間違いない。
さらに「たこ焼き」の誕生秘話や給食のパン食が大々的に導入された理由などは、日本の戦後の歴史の一コマとして興味深いものがある。
大阪の「粉もん」が中心であるものの、東京の「武蔵野うどん」や「もんじゃ」、長野の「おやき」など日本各地の様々な「粉もん」のこぼれ話も多く、「粉もん」世界をざっくりと、愛情こめて知るには良い一冊であろう。

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