織田軍は銃火器の装備を充実し、「長篠」の戦へ向かう ー 宮下英樹「センゴク天正記 3」

美濃・斎藤家の落ち武者から国持大名にまで出世したのに、自らの突出によって島津との戦に敗戦して改易。一家離散のどん底から再び国持大名まで出世。さらには徳川二代将軍のときには「秀忠付」に任命されるなど徳川幕府の重鎮となった「センゴク権兵衛」こと「仙石久秀」の戦後時代一のジェットコースター人生を描く「センゴク」シリーズSeason2の第3巻。

前巻で、伊勢長島の一向一揆を重火器を使った殲滅戦で滅ぼした信長軍がいよいよ、本巻から、戦国最強の軍団・武田とぶつかり合う「長篠の戦」が描かれる。

【構成と注目ポイント】

構成は

VOL.20 権兵衛今浜へ
VOL.21 光秀と秀吉
VOL.22 鉄砲殲滅戦
VOL.23 根来の一族
VOL.24 進軍開始
VOL.25 長篠城
VOL.26 信玄を継ぐ者
VOL.27 織田家の両翼
VOL.28 鳶ケ巣山
VOL.29 設楽ケ原布陣

となっていて、今浜(現在の滋賀県長浜市)に城を築いている藤吉郎のもとにセンゴクが呼ばれ、長島の鉄砲戦の一部始終を語ってくれ、というところから本巻はスタート。ここの明智光秀もやってくるのですが、彼が藤吉郎に向かって言った第一声が

ということで、かなり「不穏」のひと言に尽きます。明智の言う本旨は「これから兵器は弓矢槍から火器・・、戦術は威嚇戦から殲滅戦」へ変わり、その変化についてこれるのは織田家中では藤吉と光秀しかいない、と言いたいらしいのですが、この人のいいぶりはいつもセンセーショナルですね。悪い方向にとらえれれば、織田家のっとりととらえられても仕方がないかも。さらにその言葉の応酬を発端にした二人のやりとりに見える武将としての性格は

というように真反対で、これが本能寺以後を象徴しているように見えます。

ここで舞台は、武田と織田の戦いの最後の大舞台「長篠」に移ります。藤吉郎軍には武田に攻められている徳川の加勢に向かうよう命令が下るのですが、ここで「そばかす」が自分が根来出身の鉄砲の名手・津田妙算であることを明らかにします。鉄砲戦へと戦術変化していく中、センゴク軍にとってはかなり貴重で心強い味方ですね。

で、徳川への加勢として到着した藤吉郎なのでしが、高天神城で露骨な援軍サボタージュをした織田軍に対してかなり冷たい態度を取ります。酒井忠次は

といったふうに、織田勢の覚悟を聞いてきますし、家康は藤吉郎の目の前で武田からの調略の文を破って動揺を誘います。

ただ、信長と家康が二人だkで対面するところで真意がわかるのですが、ここは原書での確認を。

そして場面は、武田の陣中へと移ります。武田勝頼というと、織田によって一家全滅となって信玄の築いた版図を「無」にしてしまうので、「愚将」として描かれるものもあるのですが、本書では、家中の中には

と彼を軽視する武将もいる中で、しかも、立場も息子・信勝の後見のような役回りでありながら、織田家から十八の城を奪い、武田家の版図を史上最大にした武将であるのだから、並外れの智謀と武略の持ち主である。本書では

といったふうな描かれ方をしていますね。
なので、「長篠の戦」に対しての武田勢が織田の三段柵などの計に破れ、得意の騎馬隊の力を削がれ敗退したとする通説に対し、

①なぜ、武田軍は合戦の常道を逸し、大河を背に、織田軍の面前に迫ったのか
②なぜ、武田軍は一国の大将たる勝頼までが織田軍の眼前まで迫ったのか

と疑問を呈し、勝頼が、撤退を進言する武田の重鎮たちを押し切って決戦を選んだもので、

実は勝頼の立てた「乾坤一擲」の策が隠されていたと推理するのだが、そのあたりの詳細は原書のほうで確認してくださいね。
ちなみに、武田軍の背後に回って奇襲をかけるという徳川方の酒井忠次の作戦は、勝頼お見通しの「愚策」扱いされています。

【レビュアーから一言】

歴史というのは、勝者の側からみたものが残されるとともに、戦乱の中での真相というのは現場の混乱の中でなかなか伝わらないもの。その意味で、武田勝頼は、その後、家臣に裏切ら田上に、天下をほぼ統一した当時の絶対勝者・信長に滅ぼされたということで、なかなか真の姿が伝わらなかった武将なのかもしれません。本ブログのレビューでも「レイリ」や「信長のシェフ」の「勝頼」像はさまざまに分かれているのが実情のところ。
戦国時代ファンの方々は、こうした隙間を活用して自分なりの「勝頼像」をつくっていくのも楽しいのではないでしょうか。

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