九州の小藩・豊後岡藩の下級武士であったのだが、藩の上役の妻となった幼馴染と駆け落ちして諸国放浪の末、吉原の四郎兵衛会所で遊郭内の揉め事を、陰で始末する私設用心棒「裏同心」となった、神守幹次郎とその妻汀女の「幕府御免の遊郭・吉原」での活躍を描く「吉原裏同心」シリーズの第4弾が『佐伯泰英「清搔(すががき) 吉原裏同心4」(光文社文庫)』。
前巻で、第10代将軍・家治が逝去して、それに伴い今まで幕政を牛耳っていた老中・田沼意次が失脚して、幕府の新しい権力関係がまだ定まらない混乱をついて、吉原の実権を奪おうとした見番・大黒屋の陰謀を挫いた四郎兵衛と幹次郎だったのですが、政治バランスがまだ定まらない中、吉原の権益を奉行所が独占しようと食指を伸ばしてくることによる混乱が起きるのが本巻です。
【構成と注目ポイント】
構成は
第一章 初春無心文
第二章 雪隠勝負
第三章 五十間道大黒舞
第四章 陰間の刺客
第五章 妖しの辻斬り
となっていて、吉原で幹次郎は裏同心、妻の汀女は遊女の手習いと俳句指南と、吉原を陰から守る役について一年ほどが経過したところなのですが、今回は、幹次郎が働いている「会所」の存在価値を揺さぶられる事態がおきてきます。
まず、第一章の「初春無心文」では、吉原では、外に出られない遊女が誘客したり、馴染み客に 頼み事をしたり、という時には手紙を書いて、「文使い」という役割ウをする男衆に届けてもらう、というしきたりだったようですが、この偽の「文使い」が出現し、花魁の偽の手紙を届けて馴染み客から大金をだまし取る、という詐欺事件が発生します。しかし、届けられた「文」には、花魁と客の間しか知らないような秘密も書かれていて、これが客が信用して金を出してしまった原因でもあります。吉原の人間でなければ、そういう秘密は手に入らないことから、吉原内にいる犯人を調べ上げることになるのですが、どうやら、その秘密を手に入れれれるは、幹次郎の妻の汀女が開いている遊女の手習い所が一番怪しくて・・、という展開です。お人好しの奥さんが利用された感じですが、犯人の女郎の事情も事情で、ちょっと哀れな事件です。
第二章の「雪隠勝負」では、今巻で「会所廃止」の大騒動を起こす元凶となる面番所同心・山崎蔵人が新たに就任します。この同心、就任早々、四郎兵衛はじめ吉原の有力者たちを集め、土間に座らせたまま、以後、彼が勤番のときは全ての揉め事や訴えは会所を通さず、面番所で裁くので、会所の帳簿をすべて提出し、さらには裏同心も解雇しろと命令してきます。本来ですと、吉原の監督は、北町奉行所と南町奉行所が交代で務めるので、同心が勝手にできないはずなのですが、奉行所のエライ人とつながっている気配を醸し出してます。
この章でおきる事件は、会所の機能が半停止となったために、横行するようになった組織的なひったくりの取り締まりですが、こちらは小物の事件ですので、読者は何か悪事を隠していそうな、この同心のほうを注目しておきましょう。
第三章の「五十間道大黒舞」で、吉原の会所を潰して奉行所のほうで実権を握ろうという陰謀を進める面番所同心・山崎の黒幕が北町奉行の「曲淵景漸」、さらに奉行の後ろには、一橋卿がいるとうことが明らかになります。そして、曲淵奉行が在職中に、吉原の実権を一気に手中にしようとする彼らが攻勢にでます。まずは面番所に臨時に雇われた浪人たちと幹次郎が対決するところをお楽しみください。
第四章の「陰間の刺客」では、いよいよ面番同心・山崎の旧悪が明らかになります。彼が出世のための賄賂にするため、辻斬りで金を奪っていたことがつきとめられるのですが、ついでに、彼が吉原の遊女たちに全く興味がない原因も明らかになります。彼の恋人である若い僧の刺客と、同心の手先となっている岡っ引きとの決闘シーンが読みどころです。
最終章の「妖しの辻斬り」では、同心・山崎の男色趣味を逆利用いて養子先から追い出したり、吉原・芝居小屋・魚河岸に多額の慰労金を無心している北町奉行を幕府のお偉方も同席する巡視の会食の席でとっちめたり、と追い詰めていきます。
そして、やはり最後の読みどころは、今まで吉原を苦しめてきた番所同心・山崎蔵人と、彼を使って吉原から多額の賄賂を搾り取ろうとしていた奉行所与力・進藤唯兼と、吉原裏同心・神守幹次郎との対決で、いつものように剣豪アクションが展開されますので、ここは原書のほうでお楽しみください。
【レビュアーからひと言】
本巻で、18年間務めた北町奉行からもっと権力のある職を目指して、吉原や魚河岸から献金を募ろうと画策する北町奉行として描かれ、最後は吉原の顔役たちに招かれた送別の宴で、松平定信の実父・田安宗武の前でお灸をすえられる「曲淵景漸」なのですが、実は田沼意知が刺殺された事件の裁きを担当したほか、米の供給をめぐっての打ちこわし騒動では庶民側にたった処置をしたり、と人気のあった「お奉行様」だったようですね。このうちこわしの処置が庶民に寛大であったために、北町奉行から左遷されるのですが、後に勘定奉行に抜擢されているので、ちょっと弁護しておきます。
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