時代小説の手練れで人気も高い佐伯泰英さんの作品の主人公は、剣術や槍の達人であるとともに、出身地での諍いを逃れて江戸や上方に出てきた、といったお武家さんや、由緒ある十手を預かる腕利きの目明しの親分といったのが目立つのですが、趣向をがらっと変えて、若い町人で、しかも悪党たちとの対決ではなく、立ち向かいのは「自然」という形の新趣向が打ち出されているのが本書『佐伯泰英「新酒番船」(光文社文庫)』です。
構成と注目ポイント
構成は
第一章 百日稼ぎ
第二章 新酒番船
第三章 沖流し
第四章 石廊崎の海賊船
第五章 浜走り
となっていて、舞台となるのは、西宮。ここで酒造業をしている酒蔵樽屋に父親をはじめ一族一統で、丹波篠山から杜氏の出稼ぎにきている「海次」という18歳の青年が主人公です。時代は、文政の頃の設定されていますので、いわゆる文化爛熟期で、江戸も上方も「贅沢」がもてはやされていた頃ですね。
この「海次」は、杜氏の親方の次男で家のほうは長男の「山次」が継ぐことになっていて、さらに丹波篠山で大きな旅館を営んでいる、兄弟の幼馴染の娘と祝言をあげることになっている、という設定。定番の流れであると、この兄になにかの事故がおきて、とか、事件的なものがおきるのですが、最初に言っておくと、そういうことはないので、ご承知を。
物語のほうは、杜氏の家を継げないということもあるのですが、もともとその仕事への適性というか興味のほうが薄かった「海次」が、蔵本の新酒を江戸へ運ぶ 「新酒番船」の荷積みの手伝いをきっかけに、その蔵本の輸送船に密航し、臨時の船員として雇われるのですが、その力持ちと視力のよさをかわれて、戦力として頼りにされていく、といういわゆる青年の「成長物語」ですね。
この過程で例えば、競争仲間である他の船の密航騒ぎであるとか、ベテラン船頭が操舵する船が暴風雨に襲われて太平洋上に難破していったり、途中に船の荷と乗組員の身代金を狙う海賊と洋上で戦ったり、と時代劇ではお決まりの「活劇」が栗広がられていきます。
そして、一番のクライマックスは、今回、建造したての新船で臨み、蔵本の借金も増えているため、一番がとれないようであれば、
縁起の悪い船として売り払いもありうるという追い詰められたシチュエーションの中で、果たして、海次の乗る船は「一番乗り」ができるかどうか、というところなのですが、 ところなのです。ここでは意外なことに、「海次」の働きが大きな役割を果たすことになるのですが、詳しいところは原書のほうでご確認ください。
レビュアーから一言
主人公が、武家出身や岡っ引きでないせいか、この筆者の作品には珍しく、刃傷沙汰はほとんどありませんし、政争や人間関係のよるドロドロも少ない、明朗な海洋小説という印象です。自粛生活で外出ができなかったり、こもりっきりで気分がくさくさする時には、海の香りも味わえて、達成感も共有できるというお得なお話となっています。
佐伯泰英ファンにはいつもとは雰囲気が違うので戸惑いもあるかもしれませんが、ライトな時代小説ファンに広くおススメできる仕上がりです。
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