御老中やお奉行様の評判はいかに? ー 山本博文「武士の人事」

江戸幕府の老中や若年寄といった幕閣や町奉行などの江戸市中を取り締まる役職の幕臣たちの実像というのは、古文書やなどにとんと縁のない我々にとっては霧の中のようなところがあって、時代小説などでの描写でしか知りようがない。しかし、幕府の役人も人間であるし、お武家であっても、それぞれの生まれも育ちも違うのだから、それぞれに個性があったのは間違いないのだが、例えば町奉行だと大岡越前や遠山の金さん以外は、どんな人が町奉行だったのかとんと知らない、興味がないといったところが実際のところだろう。

本書『山本博文「武士の人事」(角川新書)』は、松平定信が老中であった頃に、近習番を務めていた幕臣が、幕府役人や旗本、町人たちの噂や発言をまとめた「よしの冊子」という記録をもとに、当時の老中や幕閣大名、町奉行や勘定奉行たちの行動や評判をまとめて、その生態を描き出した一冊である。

【構成と注目ポイント】

構成は

はじめにー松平定信の登場
第一章 政権交代ー松平定信と田沼意次
 一 吉宗の血を引く貴公子ー松平定信
 二 地に落ちた権力者ー田沼意次
第二章 老中たちの評判
 一 賄賂で老中になった名門大名ー阿部正倫
 二 温厚、何の害もこれ無くー松平康福
 三 心得違いを反省ー水野忠友
 四 真っ先に登用された若手の俊秀ー松平信明
 五 下馬評の正確さー的中する老中人事
第三章 幕閣大名の生態
 一 側用人から老中格へー本多忠壽 
 二 次代を担う若年寄ー堀田正敦
 三 刀を忘れて自ら謹慎ー京極高久
 四 将来を嘱望された寺社奉行ー脇坂康菫
 五 出世を厭う坊っちゃん育ちの大名ー井上正国
第四章 町奉行の勤務ぶり
 一 失言で左遷ー曲淵景漸
 二 町方から馬鹿にされた町奉行ー柳生久通
 三 天国から地獄へー初鹿野信興
 四 萎縮した金太郎侍ー池田長惠
第五章 勘定奉行と勘定所役人
 一 御三卿・清水家を改革ー柘植正寔
 二 型破りの豪傑ー根岸鎮衛
 三 御城が家より好きー柳生久通
 四 人々が感服する能吏ー久世広民
 五 上をだます感情吟味役ー佐久間茂久
第六章 江戸の機動隊、火付盗賊改
 一 母のために昇進を厭うー堀帯刀
 二 江戸町民に大人気ー長谷川平蔵
 三 定信との関係を自慢する自信家ー松平左金吾
 四 平蔵の毒気にあてられるー大田資同
終章 松平定信の退場

となっていて、底本となった「よしの冊子」という幕府の近習番を務めた幕臣によってまとめられたものをもとに、老中、幕閣大名、町奉行、勘定奉行、火付盗賊改めのエピソードと江戸市中での評判をまとめたつくりとなっている。

まず最初のところで、清廉潔白で有名な「松平定信」に対する「奥祐筆」たちの

昔より仕事は増え、朝から晩まで勤めぬいても、今は政治にはかかわらないように言われ、人の使い方も悪く、何もくれず、そのくせ仕事は多くて遊山にも行けず、たまに行っても石部金吉(堅物な人)でおもしろくもない。本当に、縁の下の力持ちとはこのことだ。

といった愚痴から始まるのは、種本となった「よしの冊子」の正直さを表しているし、

先日、御城内で、「田沼が死なれたそうな」と、ある番衆が同僚が並んでいる席で言うと、その場にいた二、三人が口を揃えて、「そうだな、なに田沼の事を、死なれたと仰せられなくてもよろしい。田沼はくたばったと言うのがよろしい。天下の極悪人で、今でも田沼がした事が残って世の中が悪い。しかしながら奇妙に運はよい人だ。今でも一万石の大名で済んでいます」と言ったということです。

と田沼意次の失脚時の城内の噂話には、「権力を失った者」への世間の冷たさと手のひら返しは、今も昔も変わらないのだねー、と思ってしまいますね。

で、これを皮切りに描かれる老中、幕閣大名、町奉行たちの姿なのだが、松平定信が老中になった時に先任の老中たちが次々引退する中で、若手のホープとして登場してきた松平信明が

御勘定留役などは、御老中では一番鳥居がいい。伺い事などをよく先例を覚えておられて決裁が滞らず、そのときに、「先例はこうだけれども、御仁政に関わることだから、このように仰せ付けられてもよい」などと、すぐに決断が有る。一番いけないのは信明殿だ。何にも先例も何も知らないで、ただぐずぐずとむずかしく理屈を言われ、ちょっとした事でも信明殿へ伺った日にはめったなことでは済まぬと噂されています

といったあたりは、世間の評判と実際に部下として仕えた場合のギャップというものの普遍さであるとか、若年寄に抜擢された「本多忠壽」の

本多のやっていることは、国や国民全体を見る財政ではなく、幕府だけを見る財政だった。一万五千石の 知行 で、倹約を重ねてようやく勝手向きをよくした本多が、その発想で直轄領四百万石の幕府財政を切り盛りすると、財政規模が縮小し、民間にお金が行き渡らないようになる。寛政期の不況は、こうした幕府の財政政策にも原因があっただろう

といったあたりには、地位が上になると途端に色あせてくる「ピーターの法則」の江戸時代版をみるような気がして、こうした人事法則というのは時代を超えて共通なのね、と思い知るのである。

そして、長谷川平蔵の

平蔵は、自分の借金が増えるのは少しも 厭わず、部下の 与力・同心 には酒食を与えて喜ばせ、町方の者が夜中などに盗賊を連れてくればすぐに受け取り、 蕎麦 などを振る舞った。冷や飯に茶漬けなどでは誰も喜ばないが、ちょっと蕎麦屋に人を遣わして蕎麦を振る舞ってやれば、町人はご馳走 になった気がして恐れ入り、またありがたがった。こうして江戸の町人は「平蔵様、平蔵様」と慕うようになったのである。

とか

平蔵の能力は誰もが認めるものだった。しかし、町方一統が平蔵に帰服し、「どふぞ町奉行ニしたいと願ひ居り候由」とまで評判していただけに 嫉妬 され、もともと高慢だった平蔵が上司から疎まれたのかもしれない。
平蔵が姦物であるとか銭相場に手を出したとかの噂も、昇進を阻む口実となったようである。平蔵は、人足寄場のために銭を大量に買い、そのため銭相場が高騰していたのである。

といったあたりには「鬼平犯科帳」の違う側面が見られて興味深いですね。

ざっくり読んだ感じでは、役人というのは今も昔も変わらずにいろんなのがいたのね、というところなのだが、こんな風にいろんな人材が幕閣から奉行までに就任できる人事体制をつくっていた、ということが江戸幕府が二百年以上続いた理由でもあるようなきがします。多様な人材が活躍する、ということの大事さが垣間見える感じがいたします。

【レビュアーからひと言】

本書の最後のところは松平定信の失脚のところで終わるのですが、この定信の失脚について将軍の側衆であった林忠篤が「越中とのさえ下から取って投げられなされた」と言っていて、筆者は

黒幕は、中奥役人以外には考えられない
(略)
こう考えると、定信引退の策を 弄 した可能性が一番高いのは、定信と二人三脚で寛政改革を行ってきたはずの本多である。実は本多は、この直前に、息子のことで定信と 一悶着あった。
(略)
そうだとすれば、定信の老中辞任は、まず将軍家斉が思いつき、その相談を受けた奥兼帯の老中格本多がそれに賛意を示したことで、突然の仰せ出されとなったものかもしれない。家斉は、父一橋治済 を大御所として江戸城に迎え入れようとし、定信に阻まれている。信頼している老中ではあるが、彼がいると自分の自由にならないことも出てくる。そのため、定信の退任願いを許可したのではないだろうか

と定信失脚の仕掛け人を「本多忠壽」ではないか、と推理しています。実は、坂井希久子さんの「居酒屋ぜん屋 ふうふうつみれ汁」の松平定信が失脚するところで、主人公のお妙の亭主を殺害した「近江屋」の黒幕が、この定信の政敵とされていて、当方はてっきり徳川(一橋)治済かと思っていたのですが、案外、この本多も絡んでいるのかも、と思った次第であります。

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