「集中する」ことばかりが能じゃない ー 森博嗣「集中力はいらない」

「あちらこちらに気を散らさないで、もっと集中しなさい」とか「集中していないから、そんな失敗をするんだ」と、親や教師、上司から叱られた経験のある人は多い。
ただ、そうは言われても集中しようと思っても、気になるものは多いし、無理だよ、というのが本音のところだろう。
さらに、メールや相談事など、集中して仕事に取り組もうと思っても、意識を中断させることは日々起こってくるし、仕事はどんどん降ってくる。「シングルタスク」で向かいたいのだが、「マルチタスク」で破綻寸前、というビジネスマン諸氏も多いだろう。
 

そんな、「集中力がない」と悩んでいるあなたに、「集中すること」ってのは本当に一番大事なことなの、と疑問を投げかけ、集中ではなく「分散」することの意義を教えてくれるのが、本書『森博嗣「集中力はいらない」(SB新書)』である。

【構成と注目ポイント】

構成は

第1章 集中しない力
第2章 「集中できない」仕事の悩みに答える
第3章 「集中しない」と何故良いか
第4章 考える力は「分散」と「発散」から生まれる
第5章 思考にはリラックスが必要である
第6章 「集中できない」感情の悩みに答える
第7章 思考がすなわち人間である。

となっていて、まずは

「集中」や「集中力」は求めるべきもの、高めるべきものと信じて疑わない社会的な傾向が既にあって、その理想に向けて鍛錬しなければならない、と教えられる。
それに合う人はけっこうだが、僕のようにタイプが合わない人間には、むしろ逆効果になりかねない

と著者らしい「集中することが大事」という「世の常識」というものへと疑問をぶつけるところからスタートする。

もっとも、筆者は「僕は「集中力」を全否定するつもりは毛頭ない。」「全面的にそれを押し通すのはいかがか、という問題を提起したい。」ということで、集中することだけを強調することによる危険さや、集中しないこと(分散すること)の効用を訴えているものと考えていいのだが、「集中すること」は、

炎上させたい心理もまた、「集中したい症候群」のようなものに見えてしまう。
大勢が一つのことに集中することが、連帯感を抱かせるのだろうが、それ自体が倒錯だ。

であったり、

空気を読むことで多数派に入ろうと必死になっている人たちは、多数派であることに価値があると信じているから、少し外れた位置にある他者を非難する。非難することで、自分が多数派だと確認できるからだ。意見の違う者は、仲間ではない。

ということであるので、どうやら、今、重大問題化している「イジメ」や「ハラスメント」といったことの根っこには「集中すること」を重要視しすぎることが隠れているような気がしてくる。
そして、「集中」の対極として、筆者が位置付ける「分散」志向には

分散というのか、発散というのか、イメージが人によって違うかもしれませんが、一点に集中していない状態が、発想しやすい頭なのだと思います

であったり、

しかし、リーダになる人間は必ずしもそうではない。
リーダとは、自分が抱える部下たちに「問題を与える人」のことである。
問題は、リーダが作るのだ。さらに上から与えられるという場合もないわけではないが、それではリーダが必要ないし、いずれその組織は傾くだろう。新しい問題を見つけることがリーダの役目
(略)
問題を作るには、どこに集中すれば良いだろうかある程度の候補は幾つかあるはずだが、しかし、できるだけ広い範囲に興味を向け、ここに解くべき問題(つまり仕事)がありそうだ、というところを探す。そんな分散型の作業になるはずである。なにか一つの作業に集中して問題が作れるなんてことはまずありえない。
逆にいえば、問題が見つかれば、その解決は部下に任せられる。将来的には、機械にすべて任せられるようになる。

としていて、ひと頃話題になった、「アート」であるとか「デザイン」をビジネスに取り入れる思考法と共通いしているところが多いように感じるのだがどうだろうか。このほか、分散型の仕事法を採用していると、「不測の事態に対して、比較的容易に対処ができる」とか「時間が有効に活用できる」といったメリットもあるようだ。

そして、よくある一筋の道に集中して取り組むのが成功への道、といった主張に対しては

そもそも、何故成功したのかといえば、それはその時代にあって、誰よりも早く新しいものを生み出したからだ。誰も思いもしなかった発想があって、誰も見向きもしなかったものを実行したからである。まるで一つのことに集中して、 一心不乱にやり遂げたように語られることが多いが、実はそうではない。
あらゆるものを検討し、既存のものに集中せず、柔軟に対処した結果である。そこにあるのは、集中ではなく、分散だったはずだ。多くを見回し、たまたま見つけたものが育ったのだろう。既にあった問題を解決したのではなく、新しい問題を見つけ、それを解いた結果なのである

と真っ向から、異なる成功法則が持ち出されるのだが、ここらは、異論のある人も多いかもしれませんね。

【レビュアーからひと言】

さて、「集中すること」の危うさを知り、「分散」の大事さを知り、「よし。これからは「分散」が一番だ」と思ったあなた、そうじゃないですよ。筆者によれば

どんなものにも、いろいろな面がある。一方向から眺めているだけでは本質を見極めることはできない。また、見極める必要もない。観察できるものを素直に受け止め、清濁を併せ呑んで理解すれば良い。
そのためには、ものごとに集中しない、拘らない、思い込まない、信じ込まない、ということが重要であり、いつもあれこれ考えを巡らす分散思考が少し役に立つ。絶対に役に立つとか、すべてこれでいける、というものではない。それでは、「分散」の意味がなくなってしまう。

ということで、「集中か分散か」ではなく、「集中も分散も」というのが、とるべきスタンスであるだろう。思考のレンジ、幅を広く持って物事にあたる、っていうのが大事なところでしょうね。

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