センゴク、長宗我部軍と激突。しかし、そこに「箱網」の仕掛けが ー 宮下英樹「センゴク一統記 11」

落ち武者から国持大名へ、その後、戦で大敗北して改易。そこから復活して、徳川将軍家の相談役まで昇進した戦国一のジェットコースター人生をおくった「センゴク」こと「仙石秀久」の半生記が描かれる「センゴク」シリーズのSeason3「センゴク一統記」の第11巻。

長宗我部軍が四国の統一を完成させるため、讃岐・阿波へ向けて動き出したとの報を受け、それを抑えるために四国へ渡ったセンゴクたちが、いよいよ長宗我部本隊と向かい合うことになります。戦国時代一、二を争う乱暴れ者のセンゴクのこと、意気込むは十分で長宗我部軍もそこは圧倒するのですが、深謀遠慮の塊の長曾我部元親に彼の力が通じるかどうかが試されるのが本巻。

【構成と注目ポイント】

構成は

VOL.90 引田着弾
VOL.91 忠義と政略
VOL.92 同日開戦
VOL.93 機先
VOL.94 箱網
VOL.95 二辰刻半
VOL.96 巨京(くじら)狩り
VOL.97 箱網の底で
VOL.98 忠実な奴ら

センゴク、引田城近くへ布陣。味方の兵は二千。対する長曾我部軍は二万以上。およそ十数倍の兵力差です。
その中で

というのは、今まで戦国の世を生き抜いてきたセンゴクならではの言ですね。
一方、長宗我部元親は、羽柴ではなく、柴田に味方することを決意。

秀吉に信長と同じように「戦乱を求める臭い」を感じた、という理由ですが、案外、武功一点張りの勝家のほうが後日、扱いやすいと思ったのかもしれません。そして、秀吉の精神的なダメージを与えるため、センゴクを討つことを決めます。

ここでセンゴクに従う津田妙算が、この段階で、四国を統一する意思はあっても、畿内ヘ向かい、天下を狙うつもりのない長宗我部をあえて刺激するようにセンゴク隊が派遣された理由を

と推理するのですが、もし本当とすれば、センゴクは体の良い捨て石ということになるのですが・・・。

そして戦のほうは、引田城へ向け、長宗我部の別働隊・香川信保らが五千の兵が進みます。ここで香川の兵は、引田城が「空城」と思っているので、完全に油断している状態です。センゴクは彼らの油断につけこんで、山中に潜み、一本道を行軍する彼らの軍に銃撃を浴びせます。印象的には「明智の殺し間」のような戦法ですね。

センゴクの銃撃により、香川信保の軍は乱れ敗走するのですが、長宗我部元親は

と慌てません。彼の前には箱網の模型が置かれていて、どうやらとんでもない企みが隠されているようです。

長宗我部に別働隊を退却させたセンゴクは森村吉から預かった森三人衆の熱心な要請に負け、追撃を決めます。この追撃を意気に感じた十河存保も城を出て出陣するのですが、ここの元親のしかける「箱網の計」が仕掛けられているとは、この二人の武将いずれも思いもよらないことだったと思います。

合戦の行方は、與田へ布陣する長宗我部元親の本隊へ向かって逃げる香川の別働隊を追う、センゴク・十河勢の後ろを元親の弟・香宗我部親泰の軍勢が後ろを塞ぎます。センゴク・十河勢が包囲されたことを見極め、元親の本隊が押しつぶすように攻めかけてきます。

センゴク。十河存保ふたりとも討ち死にか?ということろで、森三人衆がセンゴクの危機を捨て身を救うのですが、ここから先は原書で。

【レビュアーから一言】

秀吉の軍隊と対峙する柴田勝家軍には、三方ヶ原の合戦で、センゴクとともに徳川家康の退却を助け、それ以来、センゴクのことを「ゴン兄」と尊敬する佐久間玄蕃が参陣しています。
彼は対峙したまま、膠着した戦を動かすため、

と柴田勝家に決死覚悟の策を提案します。どうやら、三方ヶ原の時は臆病者の気配のあった、この武将にセンゴクが付けた「炎」はまだ点いたままのようですね。

この三方ヶ原のシーンは「a href = “https://takafam.com/weblog/2019/10/24/sengoku-10/” target = “_blank”>三方ヶ原で織田・徳川軍、あわや全滅。その時信玄の身に・・ ー 宮下英樹「センゴク 10」」でどうぞ。

【関連記事】

秀吉の中国攻めのさなか、本能寺の変前夜へー 宮下英樹「センゴク一統記 1・2」

本能寺の変、勃発。光秀の統治策の真相は・・ ー 宮下英樹「センゴク一統記 3・4」

民衆の力をもとに秀吉、光秀に勝利す ー 宮下英樹「センゴク一統記 5~7」

信長後の体制が固まり、長曾我部との戦開始 ー 宮下英樹「センゴク一統記 8・9」

秀吉と勝家の対立は深まり、「賤ケ岳の戦」開戦 ー 宮下英樹「センゴク一統記 10」

コメント

タイトルとURLをコピーしました