落ち武者から国持大名へ、その後、戦で大敗北して改易。そこから復活して、徳川将軍家の相談役まで昇進した戦国一のジェットコースター人生をおくった「センゴク」こと「仙石秀久」の半生記が描かれる「センゴク」シリーズのSeason3「センゴク一統記」の第10巻。
前巻までで、本能寺の変で信長が斃死した後、山崎の合戦、清須会議と続き、なんとか織田政権の混乱も収まったかに見えたのですが、やはり両雄並び立たずということで、政権内の主導権を巡って再び「戦乱」へと向かっていくのが本巻。
【構成と注目ポイント】
構成は
VOL.81 合縁奇縁
VOL.82 時化の海路
VOL.83 日輪の下
VOL.84 織田家分断策
VOL.85 ややこい合戦
VOL.86 古豪の真価
VOL.87 築城合戦
VOL.88 膠着
VOL.89 合戦の主役たち
となっていて、秀吉と勝家との間がかなり険悪になっていて、一触即発という状況になっています。
ここで大きな役割を果たすのだが「お市の方」で、彼女が勝家を
と励ました後、「ネズミが憚るならば、殺しておしまい」とそそのかします。ここらは浅井長政が唆されたのと同じノリで、彼女の「天下統治の夢」はまだまだ衰えていなくて、かなり上昇志向の強い女性であるようです。乱世を後ろから煽っていたのは、実はこういった女性たちだったのかもしれませんね。
この後、信長の葬儀を断行した秀吉に対し、神戸信孝が怒りを露わにするのですが、柴田勝家は、信孝を支えるのではなく、自ら織田家を継承することを決意します。どうやら「お市の方」の誘導が見事に成功したようですね。
ただ、ここに至っても、
と羽柴秀吉の専横を諫めるというスタンスで止まっていて、織田家あるいは織田領の統治をどうするか、そして周囲の毛利や北条、上杉、長曾我部といた勢力とどう関係を結ぶか、経済政策はどうするか、といったことは明らかではありません。もっとも「お市の方」自身も「天下をとりなされ」というばかりで、ここらの統治論は全く見えてこないので、なんとなく「マウンティング」には熱心で武将としては有能でも、統治者としては失格なような感じがします。
これに対し、秀吉は丹羽長秀、池田恒興らと示し合わせて織田信雄を擁立して、柴田たちに対抗します。そして堺衆も
と味方に取り込み、神戸信孝の攻撃を始めます。単なる「戦働き」ではなく、商人たちに利を与える経済戦略を考えているあたりが、武将としては柴田に負けていても、政治家としての「格」は秀吉のほうが相当優れていたような感じがします。
そして、秀吉は
と天下取りに名乗りをあげます。どうやら、戦国時代がずっと育んできた「下剋上」の”完全体”が誕生したようです。
秀吉勢の攻撃に神戸信孝は降伏、その勢いをかって、冬季のため柴田勝家が北陸から動けないことをいいことに、滝川一益へと矛先を向けます。北陸に籠っている勝家のほうは、お市の方と夫婦の情愛を固くして「ともに織田家と信長を断とう」と決意するのですが、すでに「信長」の時代を超えて新しい時代を体現し始めた秀吉に対し、「旧勢力」という印象を拭えませんね。
物語のほうは、羽柴と柴田との一大決戦地「賤ケ岳の合戦」へと移ります。経済戦略などでは秀吉に敵わない勝家なのですが「戦」となると、秀吉は残念ながら劣勢です。
この劣勢を挽回するために、秀吉が採ったのが「若手への丸投げ」の戦略です。秀吉と勝家という主将の戦闘能力ではなく、羽柴勢と柴田勢という「チーム戦」で乗り切ろうという作戦ですね。ここらは「人蕩らし」の秀吉の能力全開というところでしょうか。
また、この「賤ケ岳の合戦」は、通常言われる「白兵戦」ではなく、筆者は「城塞群同士の戦」とみているようです。
さて、このがっぷり四つの戦で、堀秀政ほかの秀吉勢いの若手が立てた軍略に対し、秀吉は
と称賛を贈ります。さて、その戦略と結末は、というところは原書のほうでお楽しみを。
【レビュアーからひと言】
天下の帰趨を決める「賤ケ岳の合戦」をよそに、センゴクのほうは、長曾我部に攻められ追い詰められている三好の残党・三好三郎(十河存保)の救援のため、四国へ向かいます。後のことを考えると、センゴクと秀吉の間が薄皮一枚入ったような関係となるのは、ここらあたりからかもしれません。
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