「桶狭間の戦い」から「大阪夏の陣」までの、群雄割拠の戦国時代から天下一統へと大きく流れが変わっていき、その後の徳川幕府による長い泰平の世へ続くまでの45年間。「桶狭間の戦」「桶狭間の戦」「関白秀次切腹」「文禄・慶長の役」「関ケ原の戦い」「大阪冬の陣」「大阪夏の陣」と日本史を彩る有名な戦役、出来事が起きています。
そんな歴史的事件の狭間で、その渦に翻弄され、歴史の流れに呑み込まれていってしまった人々を描いたのが本書『伊東潤「家康謀殺」(角川文庫)』です。
あらすじと注目ポイント
収録は
「雑説扱い難く候」
「上意に候」
「秀吉の刺客」
「陥穽」
「家康謀殺」
「大忠の男」
の六篇
一番目の「雑説扱い難く候」は永禄三年、今川領である知多半島北部の「鳴海城」「大高城」を包囲しようとする織田信長勢に対し、東海一の弓取・今川義元が二万五千の大軍を動員してこれを迎え討とうと駿府を出陣し、その進軍先となる沓掛城内から始まります。
当時、沓掛城は近藤景春という武将が城主だったのですが、彼の娘を嫁にもらっている佐川景吉という武将に、戦の前に織田信長に味方する者を裏切らせて、織田方を混乱させておけ、という命令を受けます。彼は、妹を織田方の簗田広正に嫁がせていたため、白羽の矢が立ったもので、彼は、梁田に織田方を裏切り、織田勢が桶狭間に向かった隙に、清州城に放火してくれと内応を呼びかけます。
今川の大軍の前に織田勢が劣勢であることから梁田はその申し出を承知留守のですが、放火の後、織田の残党に殺されないよう、火をつけるとすぐさま今川方に逃げ込みたい、と言うので佐川は今川軍が桶狭間に入るスケジュールを教えるのですが、当日、桶狭間で起きたことは・・ということで、織田信長が天下人として駆け上がっていくきっかけとなった「桶狭間の戦」の真相がまず語られます。
そして、物語はここから本編に入ります。今川家が没落し、伊勢長島、加賀と一向宗徒となって一揆衆のところを転々としてきた佐川景吉は、桶狭間での裏切りから現在は「別喜右近」と名を変え、大聖寺と檜屋の二城を拝領するまでに出世している広正の殺害を計画します。それは桶狭間、小谷城、伊勢長嶋で「雑説」(情報)を掴んだり、虚偽の「雑説」を流して出世してきた広正を「雑説」によって復讐を図るもので・・という展開です。
二番目の「上意に候」は、殺生関白ともいわれ、秀吉によって後継者に一度は任じられながら、後にその地位を追われた上に切腹を命じられ、妻子も処刑された豊臣秀次の話です。
物語の始まりはちょうど秀頼が生まれたころで、今茲話の秀次は、関白位に執着する人物ではなく、関白を辞せば、趣味の古典籍の収集と整理、読解に専念できると考える人物なのですが、彼のもとへ徳川家康の重臣・酒井忠次が関白位を辞したほうがいいと徳川家の意向を伝えてきたり、秀次の重臣・木村重茲が、秀次が関白を辞せば、後釜に金吾中納言が座ってしまうとご注進をしてきたり、と様々な言説にふりまわされてしまいます。
そして、木村の勧めで行った鹿狩りが神社の神域を犯していたといった失態があったり、酒井忠次の、石田三成が秀次の失脚を狙っていると密告してきたり、とどんどん秀次は追い込まれていきます。そして、とうとう「高野山」への隠棲を秀吉から命じられてしまいます。
彼の人生はもともと、伯父・秀吉の出世戦略に沿って、浅井家の重臣の養子にされたり、阿波の名族・三好家の養子となったり、と「上意に候」という権力者の一言に翻弄されてきたのですが、三成によって自分がなぜここまで追い込まれたことに不審を抱く秀次に対し、東福寺の長老から語られた真相は、またしても・・という展開です。
ただ、彼の切腹は、彼を振り回してきた臣下たちを巻き込んだばかりでなく、関白位を豊臣家から返上させ、さらに秀次の妻子が処刑されたことで豊臣家の評判を地に落とすこととなり、秀次は自らの死で「上意」に復讐したともいえますね。
第三話目の「秀吉の刺客」は、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼして天下統一を果たした後、大陸へ侵攻を図った朝鮮の役の時の話。秀吉にその狙撃の腕を見込まれた根来寺の筒衆の一人・玄照は、弟・玄妙を人質に取られたうえで、朝鮮の役の前線へと送られます。
彼が秀吉から与えられた任務は、前線で朝鮮軍に投降し、「降倭」となって日本軍を攻撃する最前線に立て、というもの。その狙いは朝鮮軍内で軍功をあげて重用されることによって軍内に食い込み、その指揮によって日本軍を苦しめている朝鮮軍の司令官・李舜臣を暗殺することです。
その銃撃の腕で朝鮮軍内でも頭角を現した玄照は李舜臣に呼び出され、ある任務を命じられます。それは、日本水軍の指揮をとる来島水軍の長・来島通総を狙撃せよ、というもの。来島が狙撃されて指揮できない状況となれば、日本水軍の戦力はがた落ちするに間違いないのですが・・という筋立てです。
自らの命を狙って潜入してきた偽「降倭」と気付きながら、戦争終結のためにと命を救ってくれた李将軍に殉じる狙撃手の物語、とも読めますし、秀吉の放った刺客がブーメランのように帰ってきた話とも読めると思います。
このほか、関ケ原の帰趨を決めたといってもいい毛利家の動きを握った吉川広家にはりめぐらされた徳川家康と本多正信の罠を描いた「陥穽」、大坂冬の陣に出陣のため東海道を下る徳川家康に仕掛けられた暗殺計画を描いた「家康謀殺」、豊臣家が徳川家康たちの罠や謀略にはまって、力を削がれていく中で、豊臣秀頼に最後まで殉じた大阪城七手組の組頭・速水守久の忠義を描いた「大忠の男」が収録されています。
レビュアーの一言
徳川家康ファンの方には申し訳ないのですが、この短編集にでてくる家康は、本多正信と暗く笑い合う陰謀家の姿がほとんどです。そして、豊臣秀吉ファンにも申し訳ないのですが、秀吉も敗色の濃い戦況を、「暗殺」という手段で逆転させようとするあくどい武将姿です。
ただ、歴史小説ファンにとっては、戦国時代の最後の数々のエポックで、大きな歴史のうねりに巻き込まれた人々が丁寧に書き込まれていて、掘り出し物をみつけた感じになる短編ばかりです。
戦国史を彩る英傑たちの物語の隙間を埋めていく物語として押さえておきたい短編集です。
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