武田家滅亡の因「長篠の戦」は武田勝頼と「信玄の宿将」との戦でもあった=伊東潤「天地雷同」

京都の瀬田の地に自らの旗をたて、天下に号令をかけようとして上洛の途中、三方ヶ原で徳川家康を蹴散らしたところで、斃れた武田信玄の死から2年後、三河国長篠で、武田勝頼軍と織田信長・徳川家康連合軍が戦い、その後の戦国乱世の行方を織田優勢へ方向づけるとともに、「鉄砲」という近代兵器を戦の主力に押し上げた「長篠の戦」を武田・徳川・織田の三方向から描いた戦国巨編が本書『伊東潤「天地雷同(角川文庫)』です。

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あらすじと注目ポイント

物語は、武田信玄が上洛中に倒れ、領国へ引き返す途中で亡くなった場面から始まります。
信玄の死に直面して、宿老や物頭たち武田軍の主だったものが悲嘆にくれ、頭を垂れる中、「父上、すべてをやり散らかした挙句、勝手にお亡くなりになられましたな。」と心の中で叫ぶ勝頼の姿に、信玄との複雑な関係がうかがえるとともに、「四郎様(武田勝頼のことです)、法性院様(武田信玄のことです)の御遺言に従い、すべての儀を進めてよろしいですか」と有無を言わさず了解をとる山県昌景の様子に、信玄恩顧の宿老たちと勝頼の力関係もわかりますね。

物語の構成は、

元亀四年 四月十二日 信濃国駒場     勝頼
     五月二日  遠江国浜松城    家康
     六月九日  甲斐国躑躅ヶ崎館  勝頼
・・・

といった感じで、信玄の亡くなった元亀四年(1573年)から、長篠の決戦の翌日の天正三年の五月二十二日まで、武田勝頼、徳川家康、豊臣秀吉、そして武田軍に参陣している伊那郡の地侍・帯刀の四人のエピソードが連続していくといった形をとっています。

章立てにはなっていないのですが、出来事的にいくつかのタームにまとめることができるので、それぞれ解説していきますね。

まず一番目は、元亀四年の四月から七月まで。信玄の急死を信じていいのか迷っていて、武田軍の追撃や武田領の侵食に大胆な行動がとれない家康と、信玄の「三年不戦を守るべし」という遺言を忠実に守ろうとする宿老と信っ類衆と実権を握ろうとする勝頼と長坂釣閑斎ら勝頼の側近たちの間の対立が描かれています。
この対立が長篠城周辺の奥三河の土着勢力の分裂を招くこととなりますね。

二番目のタームは天正元年8月から天正二年二月まで。ここでは、いずれきたる武田軍との決戦に備えて、信長が秀吉に命じて、三千挺の鉄砲の調達を命じています。これには、鉄砲の製造だけではなく、それに使う火薬や銃撃手の養成も腹案れているので、かなりの難事業ですね。これに加えて、武田の騎馬隊と精強な歩兵軍とどう戦わせるか、という戦術の見直しもあるわけで、悪知恵も含めていろんなアイデアが湧き出てくる秀吉にその役目が降りてきた、という設定なのですが、明確な期限は示さず、時期に間に合うようにしろ、という命令だけ下すのが信長の人使いの荒いところです。

三つ目は、天正二年三月から天正三年一月までで、武田勝頼が宿老たちを説得して、高天神城攻めに乗り出し、城を落とすのですが、勝頼のこれを契機として、浜松・岡崎へと侵攻するという計画に対し、宿老たちは、これ以上は信玄の遺言に違背することになる、と動こうとしません。あくまで祖国防衛の範囲で軍を動かすべき、という主張なのですが、勝頼は宿老たちの反対をこの時点では押し切ることができません。彼が宿老たちを説得して、徳川領への本格的な侵攻が開始できるのは、武田領内への弾薬や火薬の流入が極度に減少し始めるの明らかになってからです。
残念ながら、この時間ロスが後の「長篠の決戦」の帰趨を決めたといってもいいです。このタームの最後では、徳川方の大賀弥四郎の武田への内応の動きもでているのですが、武田勢はこれをうまく利用できないまま、四月に入って大賀はクーデター計画がばれて処刑されてしまいます。

四ターム目は天正三年二月から長篠の合戦の前夜まで。はじめのところでは、鉄砲と銃弾・火薬の調達が順調に進んだと見た信長が、家康の援軍要請に対し、当座、兵ではなく、鉄砲と銃弾、火薬を五百挺分融通しています。兵は畿内での本願寺などとの戦でまわすことができないので、という理由なのですが、実は、ここに武田軍を「長篠」へおびき寄せる大きな罠が仕掛けられ始めています。この鉄砲などを浜松城ではなく、吉田城へいれさせるのもその一環ですね。
そして、勝頼のほうは、長篠城を囮に使って信長と家康をおびき出し、武田軍得意の「野戦」で一気に決着をつける、という作戦をたてているのですが、これはすでに信長によって誘導されているものであることを気づいていません。

5ターム目は、「長篠の合戦」当日から翌日まで、ですね。ここで筆者は丑の下刻(午前二時頃)から子の上刻(午後十一時頃)までの戦況を時間を追って詳細におっかけていっています。天候が雨で、鉄砲に威力が半減するため、圧倒的有利と思っていた武田勝頼たちは、雨が止んだところで織田軍の多さに圧倒されます。
安全策をとって軍を退くことを進言する宿老や親類衆なのですが、長坂釣閑の策をいれた勝頼が宿老たちを侮辱する言葉を吐いて、侮辱されたことに反発し、信玄の宿将たちはその感情を抑え、決戦に臨んでいきます。

このあたりは、「敗れる軍とはこういうものか」という感慨を覚える人が多いかと思いますが、実際のところ、自らの判断間違いで多くの名将たちをむざむざと死なせてしまったことで受けた勝頼のショックが武田家滅亡へと繋がっていった気がします。

そして、この武田家熱望へと引き金となった「長篠の決戦」の詳細は原書のほうでお楽しみください。

レビュアーの一言

武田信玄没後、武田軍の総帥となった武田勝頼なのですが、本編では、信玄を「お館さま」と崇拝する宿老たちとの関係に苦労しています。
こんな時は、宿老たちは旧来の権力層で、新当主の回りにくるのは、旧権力に不満の新興勢力というのがよくある構図なのですが、武田家の場合、信玄の宿老たちは、信玄が門閥にとらわれずに抜擢した人物たちがほとんどで、勝頼の周辺で彼をサポートしたのが甲斐の門閥勢力だった、という通常と逆なのが特徴です。

この宿老たちは、この長篠の決戦で多くの武将が戦死してしまうのですが、「長篠の合戦」は、甲斐国内の旧権力が新興勢力を「織田・徳川軍」を使って葬り去って権力を握るための「謀略」でもあった、と作者は言っているのかもしれません。

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