新九郎は妻を迎え、関東の巨星・道灌、堕つ=「新九郎奔る!」14

戦国時代の「下剋上」の典型として、堀越公方足利政知の息子・茶々丸を攻め滅ぼして「伊豆」を我が物にしたのを皮切りに、関東管領の上杉氏の家臣から小田原城を奪い取り、その後、相模国を領土とし、戦国大名の魁といわれる「北条早雲」の若き頃の姿を描く『ゆうきまさみ「新九郎奔る!」(小学館)』シリーズの第14弾。

前巻で、幕府+鎌倉公方と古河公方の長期間の対立も、両者がそれぞれ痛み分けする格好で鎮まり、さらに大御所・足利義政の怒りもおさまって、ようやく、将軍・義尚の申次衆に就くことのできた新九郎なのですが、義政と義尚の対立が深まるとともに、東国の情勢も大きく乱れてくるのが今巻です。

あらすじと注目ポイント

第14巻の構成は

第八十七話 奥方は18歳 その1
第八十八話 奥方は18歳 その2
第八十九話 文明十七年の動乱 その1
第九十話  文明十七年の動乱 その2
第九十一話 和睦の傷痕 その1
第九十二話 和睦の傷痕 その2
第九十三話 当方滅亡

となっていて、冒頭では出所している新九郎が、将軍・義尚の近習・広沢尚正に将軍の元へ出頭するよう命じられるところから始まります。
「広沢」という姓は、足利本宗家の初代・足利義康の孫・広沢義実に由来する名門なのですが、彼はそれとは血筋的には関係なく、男色の相手として寵愛していた尚正を足利一族として取り立てるため、広沢を名乗らせたもので、もともとは観世流の猿楽師の出身ですね。

その出身のせいで、幕府内の武士たちは彼を嫌う者も多かった、とのことですが、嫌われる理由はそれだけでなく、君主の寵愛を受けて成り上がった者の通例通り、権勢を笠に着る振る舞いが多かったと伝わっています。

彼をはじめとして寵愛する者を高い地位につけたり、女性関係もあちこちに手を付けるというより、寵愛する女性を偏愛するという彼の性向はその政治姿勢にも現れていて、これが父・義政との激しい対立を生み、幕政を二分した原因とも思われます。もっとも、院政を布いていっこうに実権を渡そうとしない、義政の態度もどうかとは思いますが・・・。
今巻では、一旦、義尚が義政を出家させ、実権をすべて握ることに成功するのですが、史実をたどると、この後、義尚の側近政治の弊害がでて、再び義政の政治権力が復活しています。

新九郎のほうは、将軍・義尚の気まぐれや広沢尚正の高飛車な振る舞いに、内心では腹をたてながらも、渋々従っているのですが、結果として、彼と将軍・義尚の女性漁り(どうやら彼らはバイ・セクシャルだったようですね)が、新九郎に妻をもたらすことになります。その詳細は原書のほうで。

新九郎の妻となる「ぬい」は天真爛漫な女性で、幕府の「弓馬師範」を務め、武家社会の規範となる故実を伝えていた家である小笠原家の出身なのですが、実家は権力闘争の面ではあまり頼りにならなかったようです。案外、これが新九郎を都での政治闘争から離れさせ、ついには伊豆への進出、そして戦国大名の誕生へと導いたのかもしれません。

なかほどでは、太田道灌を中心として均衡していた、と思われていた関東の情勢が一挙に不安定化していってます。

声望があがり、実質的な関東随一の有力者となった道灌は、主家である扇谷上杉の当主・上杉貞正を関東管領の座につけようとあれこれそそのかすのですが、これがかえって、貞正の不信を招き、さらに、道灌家の跡取りを巡って、貞正の意見を無視したことから決定的な事態を迎えることとなります。
ただ、新九郎にしてみれば、今川の家督争いの時も大きな壁となっていた「太田道灌」という存在が消えたことにより、新たな関東戦略が見えてくることになりますね。

レビュアーの一言

今巻の途中で新九郎は、取次衆の役目のための京が生活の中心となるのが続くため、統治が少々重荷になってきた東荏原の所領を買わないか、と一族の伊勢盛頼に持ちかけています。
この時はまとまらずに終わっているのですが、伊勢新九郎が、関東へ下校し、もともとの本拠地であった備中の領地を手放した種明かしを、作者はここで試みているようです。
当方は、京都務めが長くなったせいで、親族の伊勢掃部助家に乗っ取られたのでは、と考えていたのですが、ここの領地争いに執着しなかったのには、新九郎にわりきる理由があったのかもしれません。

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