LCC就航当初の貴重な格安飛行機旅行記 ー 吉田友和「LCCで行く!アジア新自由旅行」(幻冬舎文庫)

ピーチ航空、ジェットスター・ジャパン、エアアジア・ジャパンなどなど、日本へLCCが就航を始めたころのアジア旅行記である。

構成は
第1章 新千歳〜関空
第2章 台湾〜フィリピン
第3章 タイ〜ベトナム
第4章 シンガポール〜バリ
最終章 マレーシア〜東京羽田
で、当時、羽田空港より関空のほうがLCCの就航が多かったせいで、ちょっと妙な出発地ではあるが、当時、日本初のLCCであるピーチ航空の拠点であるから、もっともな起点。
LCC日本上陸の頃は、旅のスタイルや飛行機の業界地図を塗り替えるといったものものしい言説があったものだが、日本のエアライン界ではメガ・キャリアのJALやANAではなくスカイマークの方が現時点ではもろに影響を受けているのは皮肉なものではある。
本書の旅で訪れた国が「7カ国」と東南アジアのかなりのエリアをカバーしているのだが、「かかった航空券の運賃総額は約3万5000円。税金、燃油サーチャージ、機内預け荷物料すべて込みで6万5000円」ということをみると、旅のハードルを下げたことは間違いない。だが、LCCで旅の姿が変わったのかと本書を読むと、台湾では
何を食べても外れはない味自慢の夜市であるが、僕には強いて食べたいものがあった。魯肉飯である。・・・豚のバラ肉を細かくして煮込んだものを、アツアツのご飯にかけてかき込む。豚丼のようでもあるが、見た目がそぼろかけご飯に近い。
 
台湾グルメの真髄は小吃にある。・・・小吃とは小皿に逸品料理のことで、肩肘張った高級レストランというよりは、屋台や街の食堂などで味わえる庶民の味である。(P63)
 
一口運んだだけで呆気なく頬が緩んだ。美味い!心の中でひそやかに絶叫しておいた。とろっとろに煮込まれ、適度な甘みを醸し出したそぼろ状の肉片が食欲を刺激する。これほどご飯が進む味もないだろうとさえ思う。つゆだくだった。汁気を帯びた白米が滑らかに喉を通り過ぎていくーあえなく完食。(P66)
であったり、ベトナムでは
バラエティ豊富なアジアの麺の中でも、フォーは個人的に大本命といえた。平打ちのきしめんのような麺は艷やかで、絹のような食感でするする口に入る。スープはそのままだとアッサリで、食卓の上の調味料を使って客が自分好みに味付けする。
そしてこれが重要なのだが、お皿に溢れんばかりに盛られた香草が出てくる。パクチーやバジルやもやしなどなど。これらをわしゃわしゃかけてライムを搾り、わしゃわしゃ食べるとアドレナリンが止まらなくなる。(P207)
といった具合で、旅行費用の減少はあっても、訪れる現地での「食道楽」というのは旅の原型でもあるし、また不変の基本形でもあるようだ。
さて、じゃあ旅の姿を「最も変えている」のは何か?というと

海外旅行中であっても、常にネットに繋がっていられると、あらゆる場面で旅は革新的に便利になる。知りたいことがあれば、その場でちょちょいと調べればいいし、地図を起動すれば現在地もわかる。
・・だから現地に到着したら、僕は忘れずにSIMカードを入手するようにしている(P54)
 
スマートフォンが普及し、世界規模で通信環境が整ったおかげでたにが格段に便利になったし、旅のあり方が新しいステップに進んだ実感を伴う。
デジタルに頼って旅する者たちのことを「フラッシュパッカー」と呼ぶらしい。言葉なんてなんでもいいのだけれど、そういった用語が生まれるほどにデジタル依存型旅人が増えている現状があるのは事実だ。(P273)
と本書にあるように、実は旅の費用やビザなどの渡航手続きではなく、「インターネット」なのかもしれない。特にスマホの普及と格安SIMというセットが、いつ、どこでも「日常の環境」にアクセスできる状況を生み出していて、ネットがつながるところであれば、全くの「見知らぬ地」はどこにもなくなっているのかもしれないし、また「未知」と出くわす機会が奪われているといってもよい。
初めて訪れる地であっても、その暑さはすでに「既知」のものであり、初めて食べた料理もすでに「紹介された」状態であり、始めた足を踏み入れた土地も、GoogleMapにピンづけされた地となっていることが、旅の形を変えつつあるように思うし、いずれ、「旅」がもたらす意味を変えてしまうのかもしれない。
しかし、そうではあっても、
楽しかった経験はいい意味でのトラウマになる。旅が終着地にさしかかった寂しさとは裏腹に、早くも次の旅へくめての意欲みたいなものも芽生えてきた。いつもそうして、旅立ちを繰り返してきたのだ。一つの旅の終わりは、一つの区切りにしかすぎない。(P299)
である限り、旅は続く。
そう思いたい。

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