ゲーテの言葉に託して人生を語る — 斎藤孝「座右のゲーテ 壁に突き当たったとき開く本」(光文社新書)

「座右のゲーテ」「「座右のニーチェ」「座右の諭吉」の「座右」三部作の一つ。本書は、ゲーテの名言や言葉を引用して、それにもとに、人生や仕事などの様々なアドバイスをするという形式で、これは、このシリーズ共通の手法である。
構成は
Ⅰ 集中する
 1 小さな対象だけを扱う
 2 自分を限定する
 3 実際に応用したものしか残らない
 4 日付を書いておく
 5 完成まで胸にしまっておく
 6 実際的に考える
Ⅱ 吸収する
 7 最高を知る
 8 独創性などない
 9 独学は避難すべきもの
 10 自分だけの師匠を持つ
 11 「素材探し」を習慣化する
 12 使い尽くせない資本をつくる
Ⅲ 出会う
 13 愛するものからだけ学ぶ
 14 豊かなものとの距離
 15 同時代、同業の人から学ぶ
 16 性に合わない人ともつきあう
 17 読書は新しい知人を得るに等しい
 18 癖を尊重せよ
Ⅳ 持続させる
 19 先立つものは金
 20 儀式の効用
 21 当たったら続ける
 22 他人の評価を気にしない
 23 異質なものを呑み込む
 24 邪魔の効用
Ⅴ 燃焼する
 25 現在というものに一切を賭ける
 26 計り知れないものが面白い
 27 感情を生き生きと羽ばたかせよ
 28 詩的に考える
 29 過去に執着しない
 30 青春のあやまちを老年に持ち込むな
 31 年を取ったら、より多くのことをする
となっていて、人文系の天才で、情熱家でも知られた「ゲーテ」を材料にとっているだけあって、本書のアドバイスの守備範囲もかなり広い。
ここで注意したいのは、この種の箴言本の読み方で、Amazonのレビューで、「本書の内容が、本当にゲーテの言いたかったことであるのか疑問」と言う向きもあるのだが、それはこうした「箴言」をネタにした本のお決まりで、あくまで「ゲーテの言葉の齋藤孝氏流の解釈」であることに間違いはなく、そういうものと思って、斎藤流「解釈」を、読者の側でさらに咀嚼して読むべきものであろう。
そうした目でみると
ゲーテは、自分の得意なこと、専門的なことを限定することによってパワーを生み出すことができると考えていた
であったり
天才と言われている人たち、もっとも独創的な人たちの幼少期を見れば、恐ろしい量を学習している、・・要するに世界でいちばんものすごい量を勉強した人間が独創的な仕事をしているだけ
や、
前の時代を技術的に超えられないというのはかなり恥ずかしいことだ。・・個性を言い訳に、基礎や基本という根から吸収することを軽んずる傾向は、やはり現代人が弱くなっている証拠でもある
といったところには、斎藤氏のオーソドクスな視点は随所に健在で、その意味でゲーテの言葉を使いながら、基本をおさめることの重要さ、一つの道を究めることの大事さを改めて指摘しているものでもある。
そして、それは仕事の手法についても同様で
異なる時代、異業種こそが刺激の宝庫である。芸術の場合は特にそうかもしれないが、普通のビジネスにおいても言えることだ。同業の人間は、同じようなことを考えがちだ。・・・むしろ、様々なアイデアがせめぎ合い、活性化している異業種からヒントを見つける方が早道だと私は思う
としつつも、
勝っているときはやり方を変えない。これは勝負に勝つ鉄則だ。アレンジを加えてもかまわないが、自分の基本の勝ちパターンは動かさないというのが重要だ
というあたりに、ゲリラ的な戦闘ではなく、隊列を組んで攻め込む正規軍の戦いが筆者は好みなのかな、と思うところである。
もっとも、蛇足ながら
本当にいいものをつくることができた場合は、この「力を誇示したい欲望」を抑えることも必要だ。・・・人から、あいつは凡庸だ、いつも同じことをやっていると言われることは、才能のある人ほど苦痛なものなのだが、批判に耐えるだけの神経の太さがほしいところだ。次々と新たな題材に手を出していって、せっかく見つけた大きな漁場を逃している人も多く見かける
現代は、新しいものを次々世に出す人が才能豊かだと見なす社会だ。しかし、苗木を大樹に育て、ずっと大量の実を採り続けることも重要である
といったところに、勤め人の中には、一つの道を極めようとしても、便利使いされて、その才能をあちこちの分野に拡散させられることもあるんだけどね、と少々愚痴も言っておきたい。
さて、こうしたアドバイスも若者だけに向けたものではないことが、本書の最後の方で
年を取ってエネルギーが落ちてくると、懐古的になり自分の未来を愛せなくなる。そうならないためには、年を取ったらより多くのことをして、自分自身を更新していくことが大切だ。
また、人は年をとると「何かを始めるのはもう遅すぎる」という考え方をしがちだ。・・・しかし考えてみれば五十歳からの人生は結構長い。「人生二毛作」は十分可能だ。あとは時間を編纂に費やすしか無い人生というのは、ゲーテの言う通り、あまりに悲しい。
と明らかになる。人生100年時代に、繰り言ばかりを言っていないで、頑張れ、といった、ゲーテに託した全ての世代への筆者のエールでありましょうか。

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