上田秀人さんの時代小説は「お武家もの」、それも江戸幕府のちょっとひねった役職についた若者、というのが主人公であることが多いのだが、今回はそれとはがらっと変わって「浪人」が主人公。しかも、活躍する舞台は、江戸城中とかの武士たちの世界ではなく、「江戸市中」ということで、ああ、これはいわゆる「人情時代物」の一種かな、と思わせるのだが、そうではない。江戸市中と商人たちの間の話ではあるのだが、「刀」を「米」と「金」にもちかえた、例えば今、継続中の「百万石の留守居役」シリーズや、「聡四郎巡検譚」シリーズと似た味わいの時代小説である。
時代は、吉宗が没する寛延の終わりから宝暦のあたりで、「聡四郎」シリーズでは幕政改革を行おうと、大奥やら幕閣たちの争っている姿が、とても元気がよく、先進性にあふれていた「徳川吉宗」だったのだが、このシリーズでは、自らの死期も近く、さらには自分が進めてきた政策がうまくいかなかったという後悔もあって元気のないのが印象的である。ただ、死ぬ前の最後っ屁のような「米から金へ」という指示が、このシリーズの札差、両替商といった豪商たちの争うの発端になるのだから、やはり、最後まで、人騒がせな”将軍様”であったのは間違いない。
【構成と注目ポイント】
構成は
第一章 その火ぐらし
第二章 米と金
第三章 商家と武家
第四章 難題追加
第五章 継がれたもの
となっていて、まずは、死が近い大御所・吉宗が、後の老中・田沼意次に「幕府を米依存から脱却させろ」という命令を下すところからスタート。この時、意次は「小姓番頭兼御用取次見習い」という長ったらしい役職で、まだまだ「軽輩」の身分である。ところが、この吉宗の命令を果たすために、これからトントンと出世して幕政を動かしていくことになるらしいので、悪名高い「賄賂政治」の原因は「徳川吉宗?」ということになり、(現存しているかどうかは不明だが)「暴れん坊将軍」ファンにとってはがっかりする設定かもしれませんね。
話のほうは、浅草門前町にある両替屋・分銅屋が店の拡張のために購入した隣の商家の片付けに、諫山左馬之介という浪人者が雇われるのだが、彼が隣家から、金を貸した先を記した帳面を発見するところが本編の始まり。その帳面には、あちこちの武家に多額の金を貸し付けていることが記録されているのだが、返済がほとんどされていないことが記されていて、その隣家のもとの持ち主が夜逃げしてしまったのも無理ないな、と思わせるものであった。ところが、その帳面を依頼主の分銅屋に渡し、仕事を終えて一杯引っ掛けて帰宅する途中、どこの誰ともしれぬ男が寄ってきて、その隣家で見つけたものを教えてくれれば一両出す、さらにはその金を受け取って江戸を出ろ、と脅しをかけてくるのだが・・・、といった展開。
一度は撃退したものの、左馬之介は引き続き男につきまとわれる上に、彼の長屋に忍び込んでくる忍者のような女も出現して、と発展していくのだが、たかが一軒の夜逃げした商家に遺された帳面に何が隠されいるのか、といったのが今巻の前半部の筋立てですね。
その後、この左馬之介に起きた出来事や隣家の残されていた帳面に、商売ネタの臭いをかぎつけた分銅屋は、左馬之助を日雇いから月極めに雇って用心棒がわりに使うようになるのだが、その二人の前に現れたのは、御庭番を連れた田沼意次。彼は二人に、自分の味方するよう要求してくるのだが、彼の狙いは果たして・・・、さらに武家の禄米を預かる札差たちの影もちらついてきて・・、といった感じで話が動いていきますね。
【レビュアーから一言】
面白いのは、たいがいこういうシリーズにでてくる武士、特に「田沼意次」のように世間から「悪人扱い」される人物は、主君から何かを命じられると待ってました、とばかりに策謀が次々と出てきたり、出世のチャンスと張り切るのが通例なのだが、このシリーズの意次は、吉宗か『幕府を米依存から脱却させて「金」主導にしろ』と命じられても、「さて、どうしたらいいんだ」と悩んで途方にくれたり、将軍・家重に「お役目返上」をお願いしたりするところであろう。
主人公が「浪人」ということで、幕府のエライ方も少々変わった風情で、上田秀人流「江戸時代もの」の新基軸が楽しみなシリーズの滑り出しであります。
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