旅館を舞台にした、江戸のお仕事ガールの物語 ー 中島久枝「お宿如月庵へようこそ」

中島久枝

上野広小路から湯島天神に至る坂野途中にある、切妻破風の二階屋で、部屋数が十二の小さな宿だが、料理も旨く、もてなしもよい、という旅館に、火事で焼け出されたことが縁で、部屋係となって働くことになった十五歳の娘・梅乃の奮闘を描く、江戸版「Hotel」物語が、本書『中島久枝「湯島天神坂 お宿如月庵へようこそ」(ポプラ文庫)』シリーズ。

この旅館に働いているのはおかみのお松を中心に、仲居が住人、板場が二人、下足番や庭仕事をする男衆二人なのだが、力も強く、武芸に秀でているベテラン仲居の「桔梗」や十年前に一度泊まっただけのお客も覚えている下足番の「樅助」などいずれも一癖も二癖もありそうな人ばかり。さて、梅乃の奮闘やいかに、といった感じで展開していく、江戸版「お仕事ガール」ものであります。

【構成と注目ポイント】

構成は

プロローグ
第一夜 悪戦苦闘の部屋係
第二夜 雪に涙の花嫁御寮
第三夜 和算楽しいか、苦しいか
第四夜 一人寂しい、河童の子
エピローグ

となっていて、シリーズの出だしであるので、主人公の「梅乃」が火事にあって、上野の油問屋に通いで働いている姉・お園と離れ離れになるシーンからスタート。この姉妹は早くに母を流行り病でなくし、三年前の地震で和菓子屋をしていた父親も亡くしたという設定ですね。この火事で焼け出され、お救い所で知り合いになった「お民」という女性と姉を探しているうちに、湯島天神坂で宿屋・如月庵をしている「お松」という女将さんに出会い、世話になることになります。

第一話の「悪戦苦闘の部屋係」は、如月庵に雇ってもらって初めての「部屋係」での出来事。梅乃が始めて部屋係として世話をするのが、下総流山でみりんの商いをしていると名乗る「安次郎」というお客なのだが、初日から大酒を呑んで夕飯をすっとばかすやら、部屋で見刺しを焼いたり、と面倒事を起こす厄介な客である。そのうち、実はみりん商ではなく、札差から頼まれた「幽霊画」が描けないため、逃げ出した、売れない絵師・江戸川遊斎であることが判明する。彼から宿代と宿が立て替えた借金を返済させるため、梅乃は安次郎こと「遊斎」に幽霊画を描かせるよう女将から命じられるのだが・・、といった展開です。この遊斎は、写実系の絵師のようですが、売れっ子になりたいために己の才能の方向を見失っていて、さらに愛妻と息子を流行り病で失っている、という境遇なのですが、妻子が死ぬときも、その様子を絵に描いていたというトラウマをもっていて、それをそう昇華させるか、というのが梅乃の才が試されるところです。

第二話の「雪に涙の花嫁御寮」では、この宿で化粧や行列を整えて、翌日、婚家へ花嫁行列を仕立てて向かう、という花嫁の御一行が宿泊します。この花嫁の家は品川の呉服商・田丸屋、相手は上野のかんざし商・山崎屋という、どちらも大店で、宿としてはしくじりたくないお客です。
ところが、この花嫁が嫁ぐ先の山崎家の跡取り息子・幸太郎は、二年前、この如月庵で別の大店の娘・お千香と結納を交わしていたのですが、この家が番頭に乗っ取られて破談になっている経歴の持ち主。しかも、その娘さんとまだ付き合っているのでは、という噂があるような、優柔不断で女性にスキの多い若旦那です。どうやら、今回嫁入りする田丸屋のお嬢様・お琴には、差出人のわからない文が届いたり、神社でひいたおみくじが二回とも大凶だったり、と今回の婚姻にはいろんなことが絡んでいそうです。そして、その夜、花嫁衣装の打掛の下に着る「振袖」の泥のようなものがべったりと塗られている、という変事がおきます。さて、これを仕掛けた犯人は・・・、といった展開です。一見、おとなしそうに見える女性も、嫉妬の炎に焼かれると、といった筋立てですね。

第三話の「和算楽しいか、苦しいか」では、お徒士の家から、旗本の勘定奉行のところへ養子に入る男の子・源太郎の話です。源太郎は七十俵五人扶持の家の子供なのですが、父親が病死してから葛飾のほうで母親と貧乏暮らしをしています。そこへ父親の実の兄で、若いころ五百石の旗本の養子に入り、今は三千石の勘定奉行をしている真鍋宇一郎から、源太郎を養子に、という話が舞い込んできます。大変な出世と喜ぶ母親と、宇一郎に対面するのですが、父親の好きだった「和算」を続けさせてほしい、とお願いする源太郎に、真鍋は厳しく、しばらくは剣術の稽古に専念し、和算はしばらく封じるよう命じます。てっきり、真鍋が和算が嫌いだと思った梅乃なのですが、源太郎のもっていた和算の教本が、実は真鍋宇一郎から、源太郎の父・宗二郎に譲られたものであることを知ります。さて、真鍋宇一郎の真意は・・といった展開です。亡き弟の気持ちを継いで、甥を代わりに育てていこうとする実直な武士の姿が描かれてます。
さらに、ここで、梅乃が姉・お園と離れ離れになった火事の出火元が、姉の勤めていた油問屋で、しかもそれが付け火ではなかったか、さらに、その時、盗賊を引き入れた店の者がいたようだ、という疑惑がもちあがります。ひょっとして、それは姉の仕業か?と梅乃は悩みこむこととなりますね。

第四話の「一人寂しい、河童の子」では、深川の薬屋・小川屋の大おかみと若主人夫婦が逗留します。彼らは、二年前に行方のわからなくなった孫娘の千代が雑司ヶ谷の鬼子母神の近くで見つかったので引き取りに行くという。しかし、連れられてきた娘は、梅乃が火事の時に暮らしていたお救い小屋で一緒だった「鮒吉」という孤児の女の子で、けして大店の孫娘ではない。鮒吉は大店の孫娘だと偽りを言って、小川屋に入っていい暮らしをしようとしていたのだが、食事の時の行儀の悪さで、それが判明する。てっきり小川屋の人たちは激怒するかと思いきや、若主人は「千代なんて娘はいい。・・・時々、お袋は夢を見るんだ」と言い放つのだが、その理由は・・・といった筋立てです。

そしてエピローグのほうで、梅乃は姉と再会できるのですが、今まで、いい人だと思っていた人物が実は・・、といった展開がみられます。

【レビュアーから一言】

戦記物や捕物帳でない、日常の謎解きや人情を主体にした時代ものの楽しみは、物語の筋のほかに、大事な場面ででてくる「料理」などの小技がを楽しみっていうのもあって、このシリーズでは、第一話で、酒を飲みすぎて寝てしまい、夕飯を食い損ねた絵師の遊斎に無理を言われ、梅乃が料理人の杉治につくってもらう夜食の

釜の底に残ったご飯にぬくもりがあったので、杉治は香りのいいわかめを火鉢でかるくあぶってもんで混ぜ、お櫃に移した。その一方で、小鍋にかつおだしをきかせたそばつゆを温めて葛でとろみをつけ、卵を一筋すうっと流して手早く混ぜた。そばゆつの中で卵の黄身が細き糸をひいたように広がり、菊の花びらを散らしたようだ。すぐさま温めた豆腐にかける。

であったり、第四話で、小川屋に入り込もうとした鮒吉が馬脚をあらわす、小川屋の主人たちとの会食で出される

その日は形のいい鮎が入ったので、塩焼きが養子してあった。へたのとげが痛いほどとがった元気のいいなすを茶筅に切ってさっと揚げて甘辛い天ぷらのつゆをかけたもの、かぼちゃといんげんはだしをきかせた煮物にして、豆腐はまわりを寒天で固めている。井戸水で冷やし、さっぱりと辛子じょうゆで食べると、夏の暑さがひくようだ。薄く切って日に干してパリパリと歯触りよくなったへちまは酢の物にして、香りとこくのある豆味噌の汁は最後にみょうがを散らした

など、小料理屋もの、居酒屋ものと時代小説にでてくる料理とはちょっと趣のかわった料理が物語の薬味になっていて、これもまたいい味だしてますね。

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