旅籠の調理場見習い少女は、幕末江戸の「赤毛のアン」ー柴田よしき「お勝手のあん」

柴田よしき

料理を扱った時代物というと、たいていは江戸の下町の居酒屋や一膳飯屋といったところが多いのだが、本書『柴田よしき「お勝手のあん」』の舞台は、今は東京都のビジネス街の中心に位置しているが、当時は江戸市中からちょっと離れた宿場町で、吉原より少々格の落ちる岡場所もある「品川宿」。

しかも舞台は、旨いものを食わせるところではあるが、おしだしのいい「料理屋」ではなく、中堅どころの「紅屋」という旅籠で、主人公も、天才料理人ものや剣術使いのお武家や幕臣でもなく、調理場の見習い少女という、普通の時代小説とはちょっと違う、「柴田よしき時代もの」が本書『柴田よしき「お勝手のあん」(時代小説文庫)』です。

【構成と注目ポイント】

構成は

一 神奈川宿
二 お勝手のやす
三 下魚の味
四 よもぎ餅
五 お嬢さま
六 なべ先生
七 おしげさんのお粥
八 冷めた天ぷら
九 茜色の時
十 勘平とたけのこ
十一 秘めた思い
十二 できない約束
十三 夜中の湯漬け
十四 希望

となっていて、本作の主人公は「おやす」という女の子で

どうにも、器量よしとは言い難い。不憫だが、将来人目を惹く美人になるとは思えない。しかし、利発そうな目をしている。しげしげと見ていると、なぜか可愛いらしくも思えて来る。不思議な顔だ。

といった風貌で、「紅屋」に奉公するきっかけも、神奈川宿の「すずめ屋」という旅籠が風呂番に男の子の奉公人を探していたところに、口入れ屋が間違って斡旋してしまったのを、たまたま泊まっていた紅屋の主人がもらい受けたという偶然の結果ですね。

まあ、こういう感じの偶然の出会いの時は、主人公の子は実は名のある料理人とかの隠し子で・・とか秘密のなんとかがあることが多いのですが、今回の場合はそんなことはありませんので念のため。ただ、この娘、最初の出会いのときに「茹で栗」に匂いをかぎ分けたりと、「嗅覚」のほうは人並み外れた能力をもっているので、このへんが料理人修行に活きてくるということだと思います。

さらには、この嗅覚の鋭敏さに裏打ちされていて、第3話の「下魚の味」で見せる

出汁を唇から少しふくんだところで、やすは首を傾げた。舌先だけで甘みを探ったときには感じなかったが、口中や舌の横、奥などが味を拾い始めると、何やら様子が違う。いつものあわせ出汁よりも味の芯が細い気がした。鰹節が出張ってこない。そうだ、酸味。鰹節の出汁ならばかならず感じる、ごくかすかな酸っぱさが弱い。

といった細かな味の違いがわかる繊細な舌も武器になりそうですね。

話のほうは、血なまぐさい殺人や、おおがかりな盗みといった「犯罪」や「捕り物」の類は登場することなく、品川宿の脇本陣「百足屋」の娘で、「蘭方医」になることを夢見るお嬢さま「お小夜」や、そこに招かれていた絵師「河鍋」との「よもぎ餅」が縁での出会いとふれあいであったり、紅屋の調理場での修行の日々であるとかが穏やかに進行していきます。
大きな事件といえるのは、紅屋の女中頭・おしげの弟で飾り職人をしている千吉と、品川宿で売り出し中の芸妓・春太郎との逢引きと駆け落ち未遂というところぐらいなので、ひさびさにほんわかとする「時代劇」を読むことができます。

もちろん、料理をテーマにした時代ものであるので、第8話の「冷めた天ぷら」での

鍋の木蓋をとると、出汁のいい香りがやすの鼻をくすぐった。その出汁を、喜八さんが慎重な手つきで椀に注ぐ。上からかけるのではなく、天ぷらの下の冷や飯がひたるように。なるほど、こうして出汁を張れば、天ぷらもしばらくは出汁浸しにならず、出汁に触れた下側は衣が出汁を吸って飯に溶け、上側は天ぷららしい歯ごたえが残る。その上から刻んだセリをパラっと少し散らし、さらにほんのひとつまみ、塩もふった

という「山うどの天ぷらの出汁漬け」であったり、第13話の「夜中の湯漬け」で

おしげさんの長屋に着くと、半間ほどの小さな台所を探った。お櫃に入った冷や飯、鰹節、それに銚子のお醤油。醤油は紅屋のお下がりだ。少し古くなって風味の落ちた醤油は、女中たちが貰って帰る。
急いでおかかをかいて、醤油と一緒に飯に混ぜ込み、小さめの握り飯にした。七輪を外に出して火をおこす、こんな時刻に火をこしていたらご禁書さんから叱られるかとびくびくしながら握り飯を香ばしく焼いた。湯を沸かし、おかかの残りでさっと出汁をとった

という仕立てでつくる「焼きおにぎりの出汁漬け」など、豪華絢爛ではないのですが、もわず喉を鳴らしそうな料理がでてくるので、そこらもお楽しみください。

【レビュアーからひと言】

表題のように主人公を称して「あん」というのは、脇本陣「百足屋」のお嬢さま「お小夜」が、「おやす」を漢字で表すと「安」がいい、「安」の字なら「アン」と呼ぼうという勝手な命名に由来しています。

おそらく、作者がイメージさせたいのは、あの「赤毛のアン」なのでしょう。「ダイアナ」に比せられる「お小夜」は、かなり活発なのでちょっとイメージとずれるかもしれませんが、本シリーズののびやかな感じは「赤毛のアン」シリーズと似た雰囲気をもってます。おもわず、主人公の「アン」こと「おやす」に声援を送りたくなってくること間違いありません。時代小説といえば「捕り物帖」という固定観念で敬遠しているあなたに、おすすめしたい「想像力にあふれた少女」の読者を暖かくする一冊です。

Bitly

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