滝沢馬琴の「八犬伝」の完成を支えた「嫁」の本音は?=西條奈加「曲亭の家」

「南総里見八犬伝」や「椿西弓張月」などの人気作で、山東京伝とならんで日本初の職業作家ではあるのですが、人づきあいの悪さから師の山東京伝や弟弟子の山東京山とはケンカ別れ。毎日規則正しい生活をしながら旺盛な執筆活動を続けるのだが、本の校正は細かく、家計には口うるさい、という一緒に暮らすにはどうかなーという江戸期の読本作者・滝沢馬琴の息子の嫁兼馬琴の口述筆記者として、馬琴の執筆生活を支えた「土岐村路」の半生を、直木賞受賞後の第一作として著されたのが本書『西條奈加「曲亭の家」(角川春樹事務所)』です。

本書の紹介文には

小さな幸せが暮らしの糧になる。
当代一の人気作家。曲亭馬琴の息子に嫁いだお路。
作家の深い業に振り回されながらも己の道を切り開いていく。
横暴な舅(しゅうと)、病持ち・癇癪(かんしゃく)持ちの夫と姑(しゅうとめ)」・・・
修羅の上で見つけたお路の幸せとは?

とあるのですが、これから抱くイメージは、性格の悪い家族ばかりの夫の家で、涙にくれながらも健気に頑張っていくという、今なら「土屋太鳳」ちゃんが演じそうな役柄の物語なのですが、そういうステロタイプで収まらないのが、「西條流」時代小説です。

あらすじと注目ポイント

構成は

一 酔芙蓉
二 日傘喧嘩
三 ふたりの母
四 蜻蛉の人
五 禍福
六 八犬伝
七 曲亭の家

となっていて、この物語の主人公である「土岐村路」さんについては、目の見えなくなった馬琴の口述筆記者として仕えた「貞女」みたいなものと、杉本苑子さんの「馬琴」に出てくる無口で不愛想な女性、あるいは群ようこさんの「馬琴の嫁」のような我儘な家族をしっかり支える明るいヒロイン、といったものまでいろんなイメージで描かれているのですが、今巻の「お路」さんは、紀州藩のお抱え医師で町医もつとめる明るく、お気楽な父と芝居や遊山好きの母親、父親とは反りが合わないながら実直で、医師をしている兄・元祐、母に似て、流行りの着物や芝居が大好きで、世間でも評判の美人の姉のお静とお伊保に囲まれながらも、歳が離れていたせいか、ちょっと家族の輪に入れず、情に強いところがある、という性格で描かれています。

ただ、そんな少し「固く」て「暗い」ところのある「お路」から見ても、嫁にいった「滝沢家」は、人づきあいが苦手で万事細かい舅の「馬琴」、息子べったりで癇癪もちの姑「お百」、病弱で線が細い真面目な人柄ながら、父に対する劣等感から、時折、狂ったように癇癪を炸裂させる夫「宗伯」という相当「難しい」家族ばかりで。嫁にはいった「お路」は心の休まらない毎日で、といった筋立てです。

当然、料理や炊事をしてくれる女中さんも長くは続かず、その分、お路の負担も大きくて・・といったところですね。

巻の前半部分は、暮らしにくい婚家の中で、実家の明るい家族に愚痴をこぼしたり、時には実家へ家出したりしながら、子供のために我慢をしながら、義理の両親や夫に仕えて、次第に一家の中心となっていく女性の姿が描かれていくのですが、馬琴がだんだんと視力を失っていき、夫の宗伯も生まれついての病弱さのため、床につくことが多くなり、遂には衰弱死したため、当時、大流行していた「八犬伝」を完成させようとする馬琴の口述筆記者となっての毎日は、さながら、原作者との「格闘」のような毎日が描かれています。

さらには、折角、大金を使って仕官させた息子が病を得て隠居同然となったり、義母「お百」が、義父「馬琴」との不義を疑って家を出てしまったり、と、馬琴の家は、揉め事・厄介ごとの連続となっていきます。

まあ、こんな中で、「お路」さんは健気にも・・といった感じで話が展開していきますので、このあたりは、いわゆる主人公が不幸な境遇に打ち勝っていくサクセスストーリーが好きかどうかで好みが分かれていくところかもしれません。

個人的には、最終的に、気難しくいことで知られた「馬琴」の素直ではないながらも、「八犬伝」完成の功労者として評価されていくというストーリーは嫌いではないですね。

曲亭の家 (角川春樹事務所)
神田の医者の娘として自由な家風で育ったお路(みち)が嫁いだのは、稀代の人気&...

レビュアーの一言

本巻で、夫と性格も風貌も、才能もまったくかけ離れていて、お路が密かに憧れていた「渡邊崋山」は本巻の後半部分で、南町奉行・鳥居耀蔵の主導した番社の獄で閉門となり、その後、主家に災いが及ばないように自害しているのですが、彼への圧迫は死後も続いていて、崋山の息子が藩の家老となった後も墓を建立することを許されず、ようやく許されたのは、幕末近くの27年後のことであったようです。

ここまで厳しい弾圧があるようだと、臆病で用心深かった馬琴が関りをもとうとしなかったのは想像できる反応だったと思われます。ただ、これによって、馬琴の「薄情」という評判が定着していった原因の一つだったかもしれません。

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