「雪華」に見せられた男たちの幕末ちょっと前の物語ー西條奈加「六花落々」

江戸時代の天保年間、関東地方の真ん中あたりの現在の茨城県西端の「古河藩」の藩士・小松尚七、通称「何故なに尚七」をメインキャスト、当時、古河藩の有能な政治家として有名であった鷹見忠常(泉石)、寺社奉行や大阪城代・京都所司代などの幕府の中枢の職を歴任した子が藩主・土井利位をサブキャストにして、蘭学事情やシーボルト事件など、その後の幕末の動乱が訪れる前の時代を生きる武家の姿を描いたのが本書『西條奈加「六花落々」(祥伝社文庫)』です。

構成と注目ポイント

構成は

第一話 六花邂逅
第二話 おらんだ正月
第三話 だるま人生
第四話 はぐれかすがい
第五話 びいどろの青
第六話 雪の華
最終話 白炎

となっていて、代々、郡奉行の下役の代官手代を務める三石一人扶持の小禄の武士・小松家の長男の小松尚七が、藩主の側仕えをしているお物頭・鷹見忠常に出会い、尚七が「雪の結晶」を調べていることが縁で、古河藩の次代藩主・土井利位の「御学問相手」に登用されるところから始まります。

「何故なに尚七」、古河藩の時代藩主に見いだされる

この時代、まだペリーの黒船来航はないものの、ロシアのレザノフなどによる開港要請があるなど、そろそろ対外関係が騒がしくなりつつある頃ですね。
ただ、尊皇攘夷といった狂信的なナショナリズムが日本を覆っていないころなので、蘭学がまだ禁じられていない、江戸期の最後の「開けた」時代といっていい頃です。

この時代の雰囲気を背景に、尚七は主君・土井利位とともに雪の結晶の研究を進めたり、仙台藩の蘭医で蘭学者でもある大槻玄沢の学問所で開かれる「オランダ正月」を祝うパーティーに参加したり、大黒屋光太夫と知り合ったり、といった「蘭学三昧」の生活が描かれます。「珍陀(チンク)酒」と呼ばれていた赤ワインを呑んで「血に似ているようで、舌を引っこ抜きたい衝動」にかられたり、イノシシ肉のステーキがなかなか切れないでナイフをすっ飛ばしてしまい、後に妻となる幕府天文方の佐野関蔵の娘・多加音の手に怪我を點せたり、とハプニングも多々起きて、当時の未知の知識を取得しようという熱気を感じ取ることができます。

シーボルト事件の裏事情と「雪華」研究の思わぬ効果

しかし、幕末に至る気配は、物語が進むにつれてだんだんと濃厚になっていって、幕府の天文方であった高橋景保から、日本沿岸の地図を手に入れようとしてシーボルトが国外追放されたり、幕府の役人が多数処罰された「シーボルト事件」がおきます。近くにいた当事者の一人として、一見人のいい人物に見えながら、スパイ活動をしていたシーボルトと幕府の隠密であった間宮林蔵の水面下での駆け引きを知ったり、尚七を引き立ててくれた清廉な政治家・鷹見忠常の古河藩を守るための冷徹な処置に驚いたり、とこの事件の「内幕」のようなところにふれることができます。

さらには、尚七と土井利位、鷹見忠常を結びつけた「雪華」の研究が進むということは気候の寒冷化を示していて、雪の絵図をまとまた「雪華図説」の完成が、日本中を「飢え」の状態に落とし込んだ「天保の大飢饉」と密接な関係にあったことや、この「雪華図説」がベストセラーになることが、古河藩の領民の飢えを救うことになったり、とか、物事の因果関係の深さを知ることになります。

「大塩平八郎」は本当に正義の人?

そして、歴史の「通説」と違ったところを垣間見ることができるのが「大塩平八郎の乱」で、主君・土井利位が大阪城代に出世したのに随従した尚七は、厳しいことで知られる大塩平八郎の私塾「洗心洞」にしばらくの間通うことによって、大塩の謹厳さとともに、自らの「才」を誇る自信の深さを知ることとなります。「大塩平八郎の乱」は、通説では、天保の飢饉によって大坂の庶民が困窮しているにも関わらず、大坂東町奉行の跡部良弼が江戸へ米を送る廻米をしたことなどに反対して起こした「正義の乱」のように描かれることが多いのですが、筆者は、むしろ、引退しているのに大坂町奉行所に豪商から借金をさせようとする越権行為が認められなかったりしたことをはじめとした、自らの「献策」と「才能」が認められなかった「鬱憤」が引き起こしたものと位置づけています。
大塩平八郎が奉行所に捕らえられる前に、息子を刺殺し、凄惨な自死を遂げたあたりは、彼を蝕んでいた「狂気」を象徴しているのかもしれません。

レビュアーから一言

話としては、当時の実在の幕閣や古河藩の重役、そして蘭学者をキャストにして描かれ幕末前の情勢が伝わる筋立てなのですが、「中の人」からみたシーボルト事件や大塩平八郎の乱といった「幕末蘭学裏話」的なところも感じられる時代物になってます。
この時代は、後の幕末の激しさに影が薄い時代なのですが、暴風雨が来る前の不穏な空気の漂う風情が感じてみてはいかがでしょうか。

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