11世紀のイングランドからノルウェー・デンマークにかけたヨーロッパ北部を舞台に、その猛々しさと強さで巨大な北海勢力圏を築き上げたヴァイキングの戦いと、アイスランド生まれのはぐれ者のヴァイキング「トルフィン」の軌跡描いたシリーズ『幸村誠「ヴィンランド・サガ」(アフタヌーンコミックス)』の第5弾から第6弾。
前巻までで、トルフィンが行動を伴にしているアシェラッドの軍勢は。デンマークのスヴェン王の第二子・クヌート王子を保護し、スヴェン王から恩賞をかち取ろうとしているのですが、雪の中の行軍で、デーン人の裏切り者でイングランドに雇われている「のっぽのトルケル」の追撃を受け、窮地に陥るのですが、ここでクヌート王子が覚醒します。
第5巻のあらすじと注目ポイント
第5巻の構成は
第29話 父と子
第30話 主従の食卓
第31話 ケダモノの歴史
第32話 逃亡兵団
第33話 裏切り
第34話 アヴァロン
第35話 両軍接触
となっていて、前巻で、ウエールズからダービーへと向かう途中、マーシア伯領で大雪にみまわれたアシェラッド軍とクヌート王子一行は、途中の村を略奪し、イングランド軍に悟られないよう村人を殲滅するのですが、生き残った一人の娘から情報を得た「トルケル軍」によって追撃を受けることになります。
ここでアシェラッドのとった手が、クヌート王子保護の功績を独り占めするため、王子の忠実な従臣であるラグナルの謀殺です。トルフィンの仕留めた兎を、王子と三人で食している最中に呼び出されたラグネルは森中でイングランド兵の伏兵に襲われたと偽装されて殺されるのですが、いまわの際に、ラグネルがアシェラッドに告げたのは、クヌート王子の宮廷内のビミョーな立ち位置。アシェラッドの思惑はここでかなり頓挫してしまうことになります。
一方、クヌート王子の情報をつかんだトルケルは全軍をあげて、アシェラッドを追撃します。ここで、もともと恩賞目当てで集まっていたアシェラッドのヴァイキングたちなので、勇猛なトルケルに追われている恐怖と恩賞に目が眩み、アシェラッドからクヌート王子を奪おうと、内訌が始まります。
一番の部下であるビョルンに王子を託し、自らは反乱者たちと戦うアシェラッドだったのですが、反乱者の数が多くかなりの劣勢です。しかし、ここに追撃してきたトルケル軍が追いつき、トルケル軍、アシェラッド軍、反アシェラッド軍の三つ巴の戦いが始まります。
第6巻のあらすじと注目ポイント
第6巻の構成は
第36話 戦場のふたり
第37話 愛の定義
第38話 ゆりかごの外
第39話 王の目覚め
第40話 トールズ伝
第41話 共闘
第42話 裁定
となっていて、前巻で、トルケル軍、アシェラッド軍、反アシェラッド軍のバトルが始まる中、父親の仇であるアシェラッドを倒そうとするトルケルの前に、トルフィンが立ちはだかります。自らアシェラッドを倒すためには、ここでトルケルの動きを封じておかなければ、というところですね。
このため、トルケルとトルフィンのバトルが急遽始まってしまうのですが、ここでトルフィンの戦い方が自分の気に入るようなら、父・トールズの生前の様子を教えてやるとトルケルが告げてきます。
戦闘を続けながら、トルケルの語る、バルト海で最強といわれたヨーム戦士団で、トルケルとともに戦士団で4人しかいない大隊長を務め「戦鬼」とまで呼ばれたトールズの武勇弾と彼が戦士団を逃亡した理由が語られていくのですが、その詳細は原書のほうで。
一方、アシェラッドやトルケルから離れ、雪原に放置されたクヌート王子は、死んでしまったラグナルを思い出しています。武術も得意でなく、気の優しい青年として成長したクヌートは、スヴェン王の宮廷の中ではハズレものとして扱われていて、父王も彼に全く期待をしておらず、味方といえるのはラグナルのみといった状況であったようです。
彼の死に打ちひしがれるクート王だったのですが、その場に居合わせた修道士と「愛」について対話をしていくうちに、「神」と決別し、「王」として覚醒をしていきます。
そして、トルケルとトルフィン+アシェラッドの大バトルの現場に到着した、覚醒クヌート王子が彼らに命じたことは・・ということで物語が新たな段階へと進化していきます。
レビュアーの一言
第5巻の冒頭で、アシェラッドたちに殲滅された村人たちの墓で、ラグナルとともに神に祈りを捧げている様子を見ると、クヌート王子もこのタームの前半部分では経験な「キリスト教徒」であったようです。民衆の殺戮や略奪を続けるヴァイキングたちの行為を直に目撃し続け、神への疑問をうちあける神父を叱責している様子にもそれが現れているのですが、このあたりは自らに愛情を注いでくれない、父王スヴェンの姿が投影されているようです。
少し調べてみると、史実的にはクヌートは、スカンディナヴィアの国民の多くがキリスト教に帰依していない中で、キリスト教会の恩恵を宣伝したり、キリスト教徒に教会を建てることを許したり、聖職者に敬意を表して遇したようなので、一応キリスト教の理解者といえるようなのですが、異教徒の王と同盟を結んだり、彼の賢慮基盤が盤石になるまでキリスト教に利益誘導しなかったようなので、宗教に冷静な「権力者」の側面が強い人物であったように思われます。
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