伝説の名・スタンドオフの「リーダー論」 ー 平尾誠二「人は誰もがリーダーである 」

同志社大学の大学選手権3連覇や、神戸製鋼の7連覇を成し遂げた、ラグビーの司令塔のとして活躍したが、53歳の若さで2016年に早逝。現在の世界選手権での日本代表の活躍を見ることは、叶わなかったのだが、学生時代。神戸製鋼、日本代表時代を通じて、日本ラグビーの「顔」であったのは間違いなく、相手陣営の屈強なフォワードの攻めを翻弄して、パスでボールを繋ぎ、オープン攻撃をしかけていく姿は、オールド・ラグビー・ファンなら覚えている方も多数であろう。
そんなかつての伝説の名スタンド・オフであった筆者による「リーダー論」が本書『平尾誠二「人は誰もがリーダーである 」(PHP新書)』である。

【構成と注目ポイント】

構成は

第一章 弱さを知って初めて「強い個」は生まれる
第二章 部下の弱さを克服させ、強さを生み出すリーダー力
第三章 人は生まれながらにしてリーダーである
第四章 強い組織は成熟した個人の集まりから生まれる
第五章 個人と組織の力を最大限に活かす戦略とは

となっていて、冒頭

これまでの日本で、理想的なチームや組織のあり方とされてきたのは、いわば「野球型」であった。
すなわち監督とも呼ぶべき上司が戦略を立て、ほぼすべてを判断・決定して指示を出し、選手にあたる部下は躊躇なくその指示に対し忠実に動くことを求めるというシステム

といったあたりは、本書が書かれた「野球全盛時代」を反映していて、筆者が今の「サッカー」「ラグビー」全盛時代を生きていたら、ちょっと違う言い方になったかもしれない。ただ、その立脚点は現在でも通用するところにあって、

未成熟の状態にある個人や組織を、一定期間内にあるレベルまで引き上げるには、最短で最適な方法だったであろう。
(略)
ただ、その方法では限界がある。一定のレベルまで実力が上がってしまえば、もはや仲びしろがなくなってしまうのだ。そこからは選手個人個人の力が問われるのである。

という認識は、むしろ「個」としての力が重視される現在における羅針盤として有効であろう。

いくつか注目すべきポイントをあげておくと、

「フツトボール型」の社会では、攻守は頻繁に入れ替わる。事態はどんどん変化していくのである。その中で流れを的確につかみ、最終的に最良の結果を残すためには、ひとつの考えに凝り固まるのではなく、柔軟な発想と思考を持って事にあたったほうが適切な判断を下せると思うのである。

といったところでは、変化の激しい現代のビジネス社会での対処の方法が示唆されているし、

不得意なことはたくさんあった。逆に私の苦手なことが得意な人もいる。それならば、自分の不得手な部分はそれができる人に補ってもらって、自分にしかできないことをしよう――私はそう考えていた。自分の弱点を克服しようとするのではなく、強みを活かそうと考えたのである。得意なことを仲ばそうとするならば、多少困難にぶち当たったとしても、乗り越えるのはそれほど難しくない。これも、「マイナス」を「プラス」に転化するひとつの方法だと思う

といったところには、とかく欠点を克服することを優先して、かえって力を削いでしまうことのある現在の社員教育の欠点を教えてくれるのである。

さらに、リーダとーとして大事なのは

それでは、こうした時代において求められるリーダーの資質とは何か――それは、ひと言でいえば「キャパシテイ」であると私は思っている。すなわち、異質なものやいびつなもの、対立するものを排除しようとするのではなく、取り込んでいく力のことである。自分と違う意見を頭ごなしに否定するのではなく、「そういう考え方もあるな」と認める。たとえ昨日までは敵だったとしても、今日になって状況が変わったのなら平気で手を握ることができる。そのくらいの「寛容性」が、これからのリーダーには欠かせないと思うのである。

ということであるので、自信や実績のあるリーダーほど、自分と異なるものには耳を傾けないといけないようである。どうも「実るほど、頭をたれる稲穂かな」は今でも有効な格言のようであるようだ。

このほか、マラソンのような「複数・不特定」な相手と戦う時とラグビーのような「単数・特定」の相手と戦う時の違いとか、「自分の強みに固執しすぎると、それは逆に「弱み」に転化してしまう可能性がある」といったところなど、プレッシャーのかかる多くの選手権を勝ち残ってきたキャプテンの重みのある言葉が随所にあるので、お見逃しなきように。

【レビュアーから一言】

筆者によれば

リーダーというものは、状況によって交代してもよい。現代という社会は、驚くほど複雑かつ多様化している。そんな状況下で、はたしてひとりのリーダーがすべての選手や部下の力を引き出し、組織としてまとめていくことができるものなのだろうか。
「困難」だというのが私の答えである。

ということで、ワンマンなリーダーが常に全体を引っ張っていくというモデルは、ちょっと時代遅れらしい。世間に、カリスマ的なリーダーの出現を待望したり、一人のリーダーに全幅の信頼をしてすべてを預けてしまう気配があるようなら、ちょっと気をつけないといけないのかもしれません。

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