左馬介と分銅屋の新たな敵は「水戸」と「会津」ー上田秀人「金の美醜」

歴史上、「賄賂政治」と悪評の高い田沼意次の時代を、八代将軍・徳川吉宗が仕掛けた幕府再生のための「米(コメ)」から「金(カネ)」へと武家の価値観を転換する仕掛けがなされた時代と位置づけ、田沼意次に協力してその施策を進める両替商の用心棒となった「鉄扇」を使う、親の代から続く由緒正しい「浪人者」諫山左馬介の活躍を描く「日雇い浪人生活録」シリーズの第10弾が『上田秀人「金の美醜 日雇い浪人生活録 10」(時代小説文庫)』です。

前巻では、左馬介の罪を告発して、彼と分銅屋を窮地に陥れようとした、会津藩留守居役・高橋外記の奸計を、田沼意次自らが打ち砕いて失脚させたり、左馬介を捕らえようとしていた南町奉行所同心・佐藤に密告した岡っ引きの親分・五輪の与吉を追い詰めて奉行所に突き出して、当面の障害を退けたのですが、高橋外記が逃げ込んだ水戸藩が分銅屋へ借財を要求してくるといった新たな難題が発生したり、会津藩の隠仕事が明らかになってくるのが本巻です。

構成と注目ポイント

構成は

第一章 欲の善悪
第二章 城中城下の景
第三章 悪の溜
第四章 外れる思惑
第五章 武の衰退

となっていて、まずは、前巻で会津藩の留守居役・高橋外記から会津藩の野望を知った水戸藩江戸屋敷の家老の意をうけて、留守居役・但馬久佐が分銅屋にやってくるところからスタートします。彼の目的は、水戸藩が会津藩の野望の邪魔をするための軍資金を分銅屋から借り入れる交渉なのですが、このシリーズでよくあるように、金を借りるほうの武家方のほうが威張っていて、「金を借りてやる」といった調子を最初出してきます。もちろん、この鼻っ柱を、分銅屋や左馬介がへし折ってやるところが、一種の読みどころなのですが、どうも同じ留守居役でも、筆者の別シリーズの「百万石の留守居役」あたりとは違って、かなり出来が悪いようですな。

そして、左馬介のほうは、分銅屋の「いなくなっても誰も気にしない男を調達してこい」という命令で「賭場」出入りを始めます。このため、長屋へ帰る暇もなくなって、隣家に住む売れっ子芸者の「加壽美」こと、公儀御庭番の「村垣伊勢」に背中にのっかられて詰問されたり、分銅屋の女中「喜代」に嫉妬されたり、とS的な仕打ちに遭うこととなります。もっとも「賭場」潜入は、分銅屋の命令を遂行するより先に、分銅屋の蔵の中にある千両箱を狙う盗賊たちを呼び寄せてしまうことになるのですが、このへんの展開は、頭脳戦や心理戦ばかりで、欲求不満がたまりがちとなっているに違いない、アクション好きの時代物ファンへの不満解消の意図もあるのでしょう、佐馬介の新しい武器である鉄棒入りの刀や鉄扇の技の冴えをお楽しみください。

一方、高橋外記に蓄電された会津家は新たな苦難に直面します。今までは幕府から命じられることのなかった「お手伝い普請」を命じられることとなり、大騒ぎとなります。会津家は始祖・保科正之の功績のおかげか、御三家や彦江の井伊家、高松の松平家とおなじように「お手伝い普請」から免除されていたようで、これによる一万石あたり五百両かかるという財政的な負担もさることながら、会津藩士たちには、他の親藩や外様大名と同じ扱いをされたというのが一番腹立たしいことのようです。このあたり、何よりも「体面」を重視した武家社会の一面が垣間見えるようですね。

ここで、注目しておきたいのは、会津藩が見栄で希望していると思っていた、預かり地の本領への編入要望は、実はその土地に銅山があることが発見されたから、という本当の理由が明らかになります。銅山があることがわかれば幕府によってその土地が取り上げられることが明らかなので、黙って「本領編入」を企んだ、ということですね。しかも、その銅山で発掘された銅を使って、「鐚銭」をつくって市場流通できるかどうか闇で試していたことも読者の前に示されます。江戸市中の賭場の鐚銭騒動も、これが素かもしれません。

そして、「お手伝い普請」回避のための政治工作、いわゆる賄賂がひつようになるのですが、その資金確保には、懲りないことに、分銅屋から借金しようということとなり・・・という展開ですね。何が起きても、武家の基本の行動スタイルは変わらないということでしょうか・・・。

レビュアーから一言

「お手伝い普請」といえば、この物語と同じ頃の宝暦年間に、薩摩の島津家が幕府によって命じられた木曽三川の治水工事で藩士51名が自害、33名が病死、工事完了後に責任をとって家老・平田靱負が自害するという「宝暦治水事件」が有名ですね。この工事で薩摩藩は約40万両(現在に金額に換算すると330億円ぐらい)を使ったといいますから、これに限らず「お手伝い普請」が諸藩の財政に与える影響は甚大であったといえます。これによって、幕府へ反抗する力を削いだといえるのですが、今巻では、会津藩への命令は小手試しで、本命は御三家の財政力を削ぐことでは、と田沼が推理をめぐらしています。彼の推理通り、「大御所さまは、二度と御三家から将軍がでないようになさろうとしておられる・・」ということであるなら、当面のターゲットは吉宗と将軍位を争った「尾張徳川家」あたりでありましょうか。確かに、吉宗の倹約生活に反抗していた尾張藩主・徳川宗春は隠居謹慎中ながらまだ存命していたと思われますが・・。

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